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129 他人と暮らす


他人と住んで3年半くらい経ちました。

それまでの私は多分、
「他人」と住んだことがなかった。

実家にいれば
長い間ずっと一緒にいる間に
呼吸の仕方から、思考のパターンまで
全く親のそれを追随する形になって、
どこからどこまでが自分なのかわからなくなる。

余談だが最近
「親の影響の産物」と
「自分本来のもの」との区別が
つくようになってきた。

1回目の結婚で
前夫は概ね自身の考え方が完璧
と思ってるタイプだったので、
私のリアクションから何から
全て支配してくる人だった。


今まで暮らした人たちは私を含めて、
自分と他人の境界線が曖昧で、
その結果私はきちんと「他人」と住んだことがなかった。

今の結婚生活は
1度目に躓き、その結果学んだことを大事にし、
慎重に慎重を重ねた。


“自分がされて嫌だったことをしない”

お砂場遊びすれば身につくような園児の知恵だけど、
大人になってそれを忠実に実行することが
いかに難しいことなのか
身を以って知っているので、
一方的な価値観を相手に押し付けないように、
自分で勝手に気付くまで
基本的には常に放っておくことをしていた。


概ねそれに気付くために要した時間、
それが3年半だった。


基本的に他人に構わないタイプの夫。
自分のやりたいことには付き合わせるが、
やりたくないことは全然参加しない。
私の誘いに「面倒臭い」と
初めの1年は完全に一刀両断してた。

これもまた余談だけど、
私と出会う前の好きなタイプは
「構ってこない人」だったらしい。


しかし3年後の今は
休みの前日に
明日私が何をしたいのかに考えを巡らせる時間を持つようになった。
とんでもない変身っぷり。

朝が弱いのに、
私より早く起き上がって
珈琲を淹れてくれることすらある。

天気が良ければ
日中散歩に行く時間を持ってくれる。


こんな木陰でぼーっとできるなんて3年前は考えもつかなかった。


家でゲームしたり、動画見たり、昼寝したり
そういう時を至福の時間と思う人間が、
私のためにおひさまの元で体を動かしている。


基本的に私は、
「こうしてほしい」「ああしてほしい」みたいなことは言わない。
最低限しないで欲しいことくらいしか
伝えてきてない。

怒られるから、というのを行動の動機にしないで欲しいから。
自分で考えられるようになって欲しいから。


それに要した初動の時間が3年半。
これは長いのでしょうか、短いのでしょうか。

私は、こんなもんだと思うのです。
初動の段階で、
これくらいの時間を要するのが普通なんだろうな、と。

過去の私も、
過去私の周りにいた人たちもみんな、
せっかちすぎる。

なんでも瞬間的に出来ようとする。
でもそれは不自然なんだろう。
体得するまでには、
笑っちゃうほど時間が必要。

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