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無味喧噪ってなんか中華の食材みたいな名前だよな

人に自慢できることなんぞほとんどない僕だけれど、そんな中でも他人様に誇れることの内の一つに

「その昔、とある有名ゲームの世界ランカーだったんですよ」

なんてのがある。


2011年にアメリカのエレクトロニック・アーツ社(EA)から発売された
『バトルフィールド3』
現代戦ベースの多人数対戦FPS(1人称視点シューティング)で、フィールドのオブジェクトを破壊することでマップの地形を変えたり敵を倒したりと戦略の幅も広く、最も人口が多かったときには世界で13万人近くが遊んでいたらしい、当時のFPS界隈でコール・オブ・デューティと人気を二分していたゲーム。
このゲームでは『使用武器別相手プレイヤー撃破数ランキング』や『拠点占拠率ランキング』とか色々のランキングがあったんだけど、中でも僕はとある武器のランキングで

『世界7位』


だったのだ。













なんかパッとしない順位じゃね?
とか思っただろう?ん?


大丈夫、僕もそう思う。


ちなみに世界7位っていうのも、そも使ってた武器が人気なくて競争相手が少なかったからランキングに入れたってのが理由だしね。

それでも、10年前の僕は界隈ではそれなりに強いプレイヤーだった。

トレーニングを積み重ねたアスリートが言う「相手の動きがスローに見える」なんてことも、ゲームしてるときによく感じていた。‟ゾーンに入る”というやつだろう。
あと「あ、あの先の部屋に敵プレイヤー2人いるな」って思ってそこを爆破すると本当に2人倒せたり。
「あそこの階段から20秒後に一人上がってくるな」なんて思ってそこで待ってくると1人上がってくるからその敵プレイヤーを倒したり。

たとえ一般人だとしても、毎日2-3時間の練習を2-3年も続けるとこんなエスパーみたいなことが出来ちゃうのだ。
「世界7位」の看板に嘘偽りなし、なのだよ、へへ。


とここまで自慢話をしてきたけど、当時の僕は世界ランカーだなんてことを自慢出来る立場には全然なかった。
なんでかってそりゃ、自分が所属してたチームにガチの

「世界1位」


がいたから。










フォントデカくしても違和感ないでしょ?これが世界1位のインパクトよ。



その人、アカウント名の頭文字を取って『Bさん』と呼ぶことにするけど、Bさんがどれくらい強かったかって僕がBさんに
「あそこの建物の中に敵が5人いるから、ちょっと倒してきて」っていうと
「終わったよ~~♪」って2分後には戻ってくるような。
5on5の試合で残り1人の状態から相手プレイヤー4人倒して勝ったり(ちなみに相手チームにいるプレイヤーにも世界ランカーいたりする)
とりあえず無茶苦茶強いのだ。The ワンマンアーミー。

そんでもって、何故か僕はそのBさんと仲がよかった。

最初は見てるアニメがよく被ってるとか、漫画の趣味が近いとかそんな理由だと思ったけど、そのうちチームの練習がない日に二人でお喋りしながらゲームしたりするようになった。
当時、僕もBさんも二人とも夜勤がある仕事だったから、次の日が昼過ぎから出勤だと分かると夜通しで遊んだりすることもあった。

FPSをやると僕は手も足も出ないから、そういうときは格闘ゲームをやる。するとさっきまであんなに強かったBさんが「え~!なんでよ~(´;ω;`)」って泣き言いいながら僕にされるがままになる。
僕は勝てるのが嬉しいから余計にボコる。彼は泣く。

「なんで格ゲーだとそんなに弱いのよ!!?w」
「そんなん分かんないよ~~~!!ww」

とか言いながら二人でよくゲームしてた。

そうやってひとしきりゲームしてるうちに夜中1時とかになる。
そうして疲れてくると、そこからは二人で取り留めなく朝方までお喋りし続けた。

僕「ねぇ、今の仕事続けるの?」
B「わかんない。正直むっちゃブラックだからやめたいんだけど、俺中卒だし仕事選べないんよねぇ」
「俺も仕事長続きしないんよねぇ、相性悪いのかなぁ」
「正直今の生活してても明るい未来とか考えられなくない?」
「分かる。俺らが家庭なんて持てる世界線ないでしょ」
「だよねぇ……」「だよなぁ……」


ゲームやってるときはあんなに自分の存在を誇示できるのに、PS3の電源を落とすだけで一瞬にして社会不適合者に成り下がる二人。
そんな自分を否定しきることも出来ずに、朝方までお互いの傷をなめ合うようにダラダラと話し込む。
そうして話すことも尽き始める朝5時。
眠気が限界に達してお互い(つ∀-)オヤスミーって言い合って床に就く。
あの瞬間。
将来とか人生とかいう漠然とした不安から一時でも自由でいられたのは、本当にあの瞬間だけだった。



そんな話をした1年半後、将来の漠然とした不安とやらは見事に的中し、僕は目出度く無職になる。
失業保険もらいながらハローワーク行く毎日。
担当のオッサンと話して医療費負担が1割になる支援制度の申請をしたんで金銭面の負担をだいぶ減ったけど、それでもいつかは無くなる失業保険に不安感が増し、それから逃げたいばっかりに「在宅で楽に稼げる仕事探そう~~♪」とかふざけたことを抜かしながらネットばっかりやって、結局1日が終わる。

無為に過ぎてくばっかりの時間に毎日辟易していた。

そんなときはよく、お気に入りの小説1冊だけを持って喫茶店に行った。
オシャレ喫茶店でコーヒー飲みながら(その年になってようやく飲めるようになった)本を読むという行為をすることで発する、いや僕は人生順風満帆ですよ~~♪感に現実逃避してたわけですな。

その日も昼過ぎにコーヒー飲みに喫茶店に行った。
ブレンドを注文して席に着く。
自分が座った席は二人掛けの右側がパーティションで区切られたお店の中央あたりのテーブル。
さて、本でも読むかと思ったその時、パーティションの隙間越しに向かい側の席に座ってる人と目があった。
よく見たら中学の時の同級生だった。
お互い手元の本と相手の顔を10数秒ほど行ったり来たりしながら「〇〇君だよね?」って同じタイミングでおずおずと話しかけた。
彼、『智一君』は中学のときは学級委員もやってた子で、成績も良くて野球部で人当たりも良い、正しく優等生タイプの子だったと思う。僕もよくお喋りしたりしてたけど、休みの日に遊びに行くほど特別仲良かったわけではない、そんな子だった。中学卒業と同時に疎遠になったけど、別の友達から聞いた話だと美大に進学したってことだったはず。

僕「あれ?大学進学して実家出てたよね?仕事こっちだったけ?」
智「ううん、今埼玉なんだけどね……」

仕事先を聞いたら誰でも名前聞いたことある某世界的企業で、しかも割と重要なポストに就いてた。同い年でこれかぁと、自分との差を実感した。

 僕「なんかあったの?」
 智「うん、今休職中でさ、実家戻って来てるんだよね」
 「そっかぁ……」
 「そっちは?」
 「僕も今ハローワーク行ってるよ」
 「そっかぁ……」

それ以上はお互い聞く気にならなかった。
職場が有名企業だろうと零細企業だろうと、ミクロな不幸というのは僕らに例外なく平等に降り注いでくる。

今の境遇が似てるのもあってその日は大いに会話も盛り上がった。
そうして次の日から、頻繁に二人であっては取り留めも無くお喋りするようになった。
先行きのことなんて話してもつまらないので好きなアニメや漫画や車の話やらしてたと思う。「あそこのあのシーン良かったよねぇ!」とか「あの展開は熱かった!!」だの、そんなことばっかり。
一歩も前進しない日常。
いつだったか智一君が
「今さら『けいおん!!』ハマっててさ~、キャラソンばっかり聴いてるんだよ~~」
なんて言うから当時まだ持ってたキャラソンCDとかアルバムとか全部貸してあげたり。
他の友達とも集まって夜通し僕の家で吞んでたら祖父ちゃんに朝方
「楽しそうなのは良いけど、うるさくしないでな……」
って優しく説教され、寝ぼけ眼でみんなで謝ったり。

現実逃避するかのごとく、毎日取り留めなくお喋りする生活。
なんだかんだ大人な僕らはそうやって気晴らしをしながら、僕は新しい就職先を見付け、智一君は職場に復帰していった。

期間にして恐らく3か月あったかどうか。確かに短い間だったけど、それでも、無力感に襲われていたあのころの永遠に思える3か月間をスカして受け流せたのは、将来のことをかなぐり捨ててただ目の前の楽しいことだけに縋りついて、そのことを語り合ってたあの時間のおかげだったと思う。

命を繋ぐことが出来て、本当にラッキーだった。


そこからまた数年経って。
紆余曲折あり、結果的に僕はトラック運転手の仕事をするようになった。
運転手という仕事はとかく労働時間が長い。サラリーマンの多くが一日8-9時間労働+残業という構成だと仮定すると、トラック運転手というのは平気で1日14時間とか16時間とか働く(今は法律が厳しくなってそこまで働けなくなってきたけど)
僕も運転手なりたての頃は1日16時間労働がデフォルトで、しかも当然ながらその大半が運転の時間。
10時間くらいは運転することもある。


ただひたすらに、暇だ

昼はまだ良い。景色も変わるし人も多いから孤独感も感じにくい。
しかしこれが20時も過ぎ始めると途端に人通りも少なくなるし、お店も閉まるから町の活気もなくなってきて、そんな中夜通し走ってると不意に「何やってるんだ自分は」みたいな虚無感に襲われることも多々。

その日も夜中の12時まで走り続けなきゃならない日だった。
見も知らない街を一人走る孤独感に、その日の僕は耐え切れなくなってしまって、誰でもいいから話を聞いてほしい気分だった。
かといってよく電話するやつに限って夜勤だの結婚してるから電話かけづらいだのばかり。
どうしたものかぁ…と思い、車を停めてスマホの電話帳を眺めていると、大学時代の友達の高柳(たかやぎ)君が目に付いた。
高柳君とはその当時もよく電話でお喋りしていたけど、それは他の友達も交えてのグループ通話みたいなもので、1対1で話したことは大学時代を通じて一度も無かった。
「長い付き合いだけど二人で喋ったことないなぁ……」
と、元来人付き合いをめんどくさがる性分の僕は一瞬躊躇したけど、それでも寂しさが勝ったのか、そのまま電話をかけた。

高「あれ……?電話、珍しいねぇ」
僕「いやぁ~~~……ははw」

イヤフォンマイク越しの彼の声からは驚きと、ちょっとした緊張感が感じられた。10年近い付き合いのはずなのに、いざ面と向かって喋るとなると多少なりと緊張するものかとシミジミ感じつつ

「なんていうか……高柳君と二人でちゃんと喋ったことなかったなぁって思ったからww」

と、正直半分に答えた。

「そっかぁ……そうだねぇ…そういえばそうか…そうだわwww!!」

彼は今さらながらに驚いたみたいで、大きい声で笑い、つられて僕も一緒に笑った。
そこから、色々と取り留めなく話をした。
大学を卒業してからのこと。
仕事先が思うように決まらず、決まっても長続きせず、やっとキチンとした職場で働けるかと思ったら病気でやめることになったり。

僕「なんかねぇ~~、通院しながら仕事探すのって大変だったのよねぇ」
 「ごめんね、こんな暗い話ばっかりで……ww」
高「いや、僕も病院行ってたし、そのせいで仕事もやめたから、すっごい分かるよ」

10年目にして初めて二人きりで話した中で分かったのは、僕も彼も卒業後の人生が結構似ていたことで。
高柳君も大学時代からの知人関係のゴタゴタに巻き込まれ、裏切られ、そこに会社での激務が重なって鬱病になって入院、会社もやめていた。
電話したその時にはもう既に別の職場も見付け、ある程度社会復帰(?)できていたけど、それでも一度負った傷っていうのは一生消えないので。

光ささない人生の裏路地を彷徨ってるのは俺くらいなもんだろうって思ってたら、とっても近いところにお仲間はいた。

こんなに境遇も向いている方向も一緒なんだから、どうせならもっと早くに話せば良かったのにね!!って二人で笑った。

そこからも、やれ精神科の薬飲むのって敗北感すごくね?とか、実家でのご近所付き合いって俺らみたいなやつには不向きだよな~~とか、そんなことを延々と話した。

話し始めたのがたしか、茨城県の日立市あたり。
気付いたら夜11時半の千葉県柏市。
全力でうすら暗いトークをし続けてるうちに150キロ近く走ってるとか、根暗の熱量ってのは思ったより凄いみたいね。

「そろそろ寝ないとだけど、また話そうね~~」

「うんっ、ありがとうね」

こうやって電話を切る刹那に感じる幸福感。
お互いの根深い傷を舐め合って、一歩も進まない、明るい話題の皆無な、まったくもって非効率的で生産性の無い時間。

でも

それがあるから

傷を舐め合える誰かと喋ることで、たとえ一瞬でも痛みや苦しみを笑いや悦びに変えることが出来るから

気休めの笑いが、たとえ毎日でなかったとしても、この先もあるんだって思えるから

明日も、無理して生きておこうと思える。

それを実感したあの晩。
トラックの小うるさいエンジン音を枕に眠りにつくのが苦手だった自分が、初めてぐっすりと眠れたのがあの日の夜だった。

高柳君とは今でも週2回、日々思ったことをダラダラと話している。
そうやって無為に時間を過ごすのは、とっても気持ちがいいのだ。


ここまで書いてきたのは、僕がこの30数年の人生の内で過ごした一番暗い時代のこと。
未来という言葉には絶望感しかなく、希望という言葉に殺意を覚え、毎日やってくる朝日に恐怖心を感じていた4年くらいの出来事。

このどん底の時代を、なんとか生き永らえてこれたのは
未来への展望だとか、ひた向きな自己研鑽だとか、理性的に物事を見つめる知性だとか
そんな陳腐なものでなくて

日ごと誰かと、自分たちの辛い境遇を喋り合い
「俺らってほんと終わってるよなっ!!!ww」
って頑張って笑い合って。
そのうち本当に可笑しくなって、腹の底から笑い合った
あの、しょうがない夜。
‟こんなに可笑しいことが続くなら、とりあえず明日までは”
って思えた
あの、しょうがない夜。

あれがあったから、生き延びられた。
あれがなかったら、絶対に死んでいた。

これからも、しょうがなくて、面白可笑しい夜をすごそうよ。
毎日毎日、生きる理由を更新しようよ。
そうして、夜を笑い通して行こうよ。



ということで僕はこれからも、誰から構わず喋り倒して悦に入る嫌な奴として人生を全うする所存なので、お友達の人はいつでも僕に話しかけてください。ちなみに自分から話しかけるのは苦手なので出来る限りそちらから話しかけてください。

注文多いなこいつ。









16万人が見てたらしい、あの東京ドームライブ。
無論僕もそのうちの一人。

でも、東京ドームだからってやることは普段と変わらなくて。
5万人が取り囲むドームの真ん中で、
「なんでウーバーやってチップもらえないんだよっ!!!」
って絶叫する人と
相方に渾身のポークライスを食わせて
「おっっっっしゃああああああっ!!!!」
って雄たけびあげる人。

ドームまできても、やっぱり話すのは部活終わりの部室トーク。
それが本当に、最高に気持ちよかった。

でもなんでこんなにおもしろいんだろう、って思ったら
それは、16万人を笑わせる二人のトークと、あの頃毎夜続けていた僕のしょうがない夜が、ちょっとだけリンクしたから。
勿論二人の会話は名人芸で、余人に真似なんて絶対に出来ないけど
でもね
二人のしょうもない会話を聞いてると、あの頃の僕がやっていた傷の舐め合いも、ちょっとだけ肯定されてるみたいで、嬉しかったから。

ラジオが好きな理由って、多分そこにあるんだと思う。
無意味な行為を肯定してくれるのがラジオなんだから
だから僕はこれからも


ラジオフリーク






え?そんなに熱っぽく話す割に春日のタオル買ってないだろ!!って?


そこはまぁ、良いじゃないぃ

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