見出し画像

40歳の成長

2019年もあと半月。1年に1度の大きめの仕事を終えて、去年の私とは比べ物にならないくらい「変わった」という実感が持てた。

中田敦彦さんのYouTube大学を見るようになり、NewsPicksを知り、西野亮廣のエンタメ研究所に入って、尾原のオンラインサロンハックで理解を深め、塩田さんの「ハートドリブン」を読み、箕輪さんのFiNANCiE「ミノ村プロジェクト」に参加し、現在は箕輪編集室に入りたくてうずうずしている。

(この記事書いている途中でパトロンになった。。。)

画像1

今更何を頑張れば…と半ばあきらめモードだった去年の私。自己分析なんて、とうに終わっていて、自分自身の力量なんてわかってて、成功するのはほんの一握りの人だっていうことも十分理解したうえで、それでもこのままじゃダメっていう思いに突き動かされて、なんかしなくちゃって焦っていた。

2018年、40歳になった私にできたことといえば、YouTubeをはじめたことぐらいだった。結局そんなのただの趣味で、素人がさほど勉強もせず思い付きで始めたことなんて、ほぼ時間の無駄遣いだけど、それでもAdobeのソフトや動画編集の基礎を学ぶためには100%無駄ではなかったのは救い。2019年は、じゃあどうする?から始められたから、それもよかった。動けば何かが変わるんだ。

そして2019年、西野さんのオンラインサロンへの入会が一番の変化だったと思う。きっかけはいろいろあったけど、サロンへの入会のために実名Facebookを稼働させたことが、すべての始まりだと振り返る。そもそもSNSなんて、淋しがりやの自己満だって遠ざけていた私に「バカ!」って言いたい。

西野さんのサロン入会をきっかけに、多くの情報が入ってくるようになった。twitterは私のためのビジネス書みたいになった。

次の大きな変化は、箕輪さんのFiNANCiE。「ミノ村プロジェクト」のzoom会議の記事を見ていたら、いつの間にか会議に入っていた事故(笑)。班長さんたちに自己紹介して、さほど準備も意気込みもないまま意見を述べ、でもなんだか初めて話す人たちじゃないような不思議な感覚。そうか、まずは挙手することが大事なんだ。小学生のころ、授業中に手をあげて、発表したあの時の感覚に似ている。「動けば変わる。」を実感した事故だった。

その会議の延長で村探し班の活動に同行することになった。普段の私が、どれだけ閉ざされた場所に身を置いているかを実感したのと、ろくな意見も発想もないけど、こうしてオンラインからオフラインが産まれる瞬間を体験できたのは私の中では革命だったし、仕事や家庭以外で必要とされる場所があることは、これからの社会では重要なんじゃないかって真面目に思った。”can”を増やすには、環境の変化も大事だ。

こういった行動を経て、自分自身の考えや思いを言語化することが、習慣になった。深く思い悩むということではなく、インプットした情報を自分に置き換えてアウトプットすること。ただそれだけだけど、それをしていくうちに自分自身が成長していくことを感じられる。職場で求められることに対しての反応も、今まではだらだら1か月も2か月もかけていたレポートを次の日に返すことができたり、自分の足で情報を探しに行くことだったり、人に会うことも億劫ではなくなった。技術や知識が物凄く増えたわけではないし、知能レベルは低いままだけど、自分自身の意見や言動に一貫性がでてくるようになった。人前で話すことも、なんか頭いい風(笑)。もともと友達が少ないのに、お陰様でまますます嫌われそうだ。

2020年、職場でのwillは見つかったから、その実現に向けてスピードアップすることと、人生のwillがいつかみつかるように、canしまくる!!さて、ミノ編って何から始めるんだろう…誰か教えて<(_ _)>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?