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日常の些細なことから熟考。知行合一の精神。人間生まれてくる瞬間は泣いて、死ぬ時も泣いて…

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日常の些細なことから熟考。知行合一の精神。人間生まれてくる瞬間は泣いて、死ぬ時も泣いてる。せめて死ぬ時くらいは笑っていたい。断捨離を始めて早14年。最初に手放したの自動車でした。そこから少しずつ減らして。2023年にようやく衣類が50着くらいに。

最近の記事

5年で302個

断捨離した物の数 2019年 78個 2020年 100個 2021年 64個 2022年 34個 2023年 29個 可視化できるように紙ベースの手帳に書いて管理。スマホのアプリとかでもいいのですが手帳も未だに併用して使用。 今年も今現在までで6個断捨離。今年の目標個数も達成したのであとはのんびりで。 如何に使っていない物が多いかを毎年思い知らさせる。無駄な物は極力買わないのだが万が一のため買って結局使わなかった物も一つだけある。それはパソコンの内蔵用HDD(2TB)だ

    • 賢い消費

      賢い消費者というワード、うまく買い物をする、安く買う、コスパなどを取る。値段交渉をして消費財を安くする。ポイントが貯まる買い物をする。 上記のような消費行動を上手にこなすことが賢い消費者とみなされるような傾向がある。 しかし、本質的な意味で賢い消費者とはうまく買い物をする能力が高いことではないのかもしれない。例え安くうまく買い物をしていても、必要ない物を買ったりポイントがたくさん貯まるために必要以上に物を買う行動も含まれている可能性もあるからだ。 「本当に必要な物」と「欲しい

      • 溜め込みと遺伝

        ごみを捨てずに溜め込んでしまう。 忙しくてできないなどそういう理由がない状態で続いてしまう。 親と子で溜める物は違っても溜まることに違いがないという現実。 そういう状態を綺麗にする片付けるという行為は問題の解決にならないことは承知している。だが本人たちが精神疾患の類だと認識し、治療を受けるなどの処置をしない限り状態は変わらないのかもしれない。 今後研究が進み遺伝との兼ね合いなども分かり対処するための療法が確立することを願うばかりだが果たしていつになるのか。 とはいえ放置したり

        • 成長のための教訓

          ・仕事は最初からおもしろいのではなく、自分でおもしろくするものだ →どれだけ窓際だったり斜陽な仕事でもおもしろくする可能性はある ・何がやりたいか分からない人はまず『やりたくないことをやめる』ことから始める →やりたくないことをリスト化しそれをしなくていいようにするにはどうするかを熟慮する ・熱中する人は疲れない →仕事でも趣味でもなんでも熱中している間は疲れを知らない、それくらい夢中になれるものに自分のエネルギーを注ぐ ・脳に『おかしい』を入れるとひらめきがくる →「

          成長の10箇条

          ・どんな状況になっても、やり続ける覚悟があるものなら、それがこだわりになる。こだわりに他人は関係ない。自分がどう生きるのかがこだわり。 ・「起こった出来事自体は同じでもそれにどのような意味を与えるか。」 →「人生で何が起こるかは重要ではないということ。そして出来事に対して与える意味とその結果どのような行動を選択するかだけに注力する。」 ・人生は面倒だからこそ、それをいかに楽しむかで充実感が変わる。 ・人生を生きる上で大切なのは「何をやっている(やってきた)」のかではなく

          欲求の低減

          見ていると欲しくなる、接していると欲しくなる。 それ自体にフォーカスし続けると欲しくなり、それに対して能動的にアプローチする。そして購入に至る。 欲しい欲求を自制するのは難しい。それは欲しくなるように誘導するモノが非常に多いからだ。CM、SNS、ステマ、ダイマ、レコメンド機能、目に映る物のほとんどがそういう要素を孕んでいる可能性がある。 刺激が多いこと、特に生活の隅々まで浸透してそれにあまり気づいていないという恐ろしい現象が起こっている。 物を売るために人の欲求を喚起し

          買い物依存症+溜め込み症=ゴミ屋敷化

          買い物依存と溜め込みそして空間認識能力が低いもしくは加齢等の原因で低下すること。 この辺りが習慣化されると加速度的にゴミ屋敷が形成されていく。 買い物依存に似たようなことで無料の物を必要がないのに沢山もらってくる癖というのも厄介である。フリーペーパーの類、何かのパンフレット、割り箸などのカトラリー類などなど。 これらも溜め込み症と併せ技で凄まじい威力を発揮する。 溜め込み症も一見物を大切にしているかと思いきや、ぞんざいに扱っていることが散見されるのが常である。冷蔵庫の

          買い物依存症+溜め込み症=ゴミ屋敷化

          ごみ増加の加速

          増え始めると収拾がつかなくなる。 冷蔵庫の中の物に関して、物を腐らせたり期限切れの物を放置したりするのは空間把握能力がどんどん低下しているからだと考えたがそもそもそれが苦手な可能性がある。 さらに、可視化できる状態でないと認識できないとしたら更に厄介である。特に冷蔵庫で保管する物にポリ袋を被せていると可視化の邪魔を助長する。そうすることでどこに何があるかのかが分かりにくくなり物を積んだり奥の物を出したりしないせいでカオスとなっていく。 分かりやすい状態を保つにはポリ袋を被

          無いものを感じるとき

          人間は無いものを感じることがすごく苦手にできているらしい。 例)お腹がいっぱいの時に空腹を想像する、または逆の状態 例)健康な時に健康を著しく害する状態にあること、または逆の状態 特にないものを意識することは難しいかと思いきや、そうでもない事情はいつものことである。 例)貧困から富裕層という状態に移行した人間、または逆の状態、これはなぜか状態を想起できるみたいである。 最初の事例で空腹、満腹というのがあるが、自分の許容量を認識できないというのが人間であったりする。料

          無いものを感じるとき

          処理費用の可視化

          ごみが増えていく。 家族の捨てられない症候群、買い物依存、不要なものを貰う、あるのに新しく物を買う。あるはずの物がどこにあるのか分からないくらいの状態のため、また新たに物を買う。同じものが累々と増えていく。 部屋の中のスペースがどんどん埋まっていく。物を積み重ねる。床に物を置く。そのまた上に物を置く。 ストックがあるのにまた物を買う。 エンドレスに続く行為。 度々、掃除できる時に掃除やらスペースを空けるやらしてその綺麗になった状態を写真に撮る。そして半年もしないうち

          NMD

          NMD=no money day お金を使わない日を作る。 厳密に全く使わないことは不可能(固定費光熱費等日割り換算で数値化できるものが多くある)であるが、実質的にお財布から現金なりカードなりで決済を一切しない日を作ることは可能である。 特に日々使いすぎと感じている人や、給料日前になるといつもカツカツな人など効果が高いと思われる。それ以外にも可処分所得が多いのになぜか使いすぎてしまう人なども実践する価値がある。 反対に、家計簿をきっちりつけている。月に食費〇〇円など使う金

          20年前の悩みとは

          約一年前に、10年前の悩みとはとつけたものを書いてみました。 悩んでいる暇があったら、目の前にあることに集中することが肝要だと切実に感じて(今も昔も)おりますが。 その辺り脇に置いて、ある一時点から継続する悩みって何かを考えてみると、私の場合10年、20年前の悩みはほぼ同じだったと思ってしまう。 ある目標がありそれを達成できていない、そのためにどうすればいいのかという誰でもある普遍的なものに絶えず右往左往しておりました。 悩みの本質が自分でコントロールことかそうでない

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          それ一口ちょうだい系

          誰かと飲食した時、「それ一口ちょうだい」というようなこと言ったこと、もしくは言われたことあるだろうか。 純粋に味見したく聞くことと、そうではないことにその人の本質的なものの見方が分かりそうである。 一口と言いつつ、何かガッツリ持ってたなという人、自分が食べている物より人が美味しそうに食べている物に関心が高い人。 隣の芝は青く見えるのかなと感ずる瞬間である。 人が頼んだ物が何であろうが自分が頼んだ物に集中する、そのただ一点のはずだが。 初めからシェアすること等を目的に

          それ一口ちょうだい系

          認識変容デバイス

          視覚情報が人間に与える影響の大きさ、しかも累積している可能性もある。

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          積み重ね

          行動基準というか、それ自体。 テーブルの上がぐちゃぐちゃになっていくのも、パソコン内のデスクトップ上がカオスになっていくのも。 衣類が山積みになっていくのも。 物理的にそれを排除(強制的に片付ける)したところで、元の状態に収束していく。極端なダイエットのリバウンドの如く。 部屋がカオスになっていく(物が積み重なっていく)のも似たような作用であるのかもしれない。 後からやればいいやとか今はそうする時じゃない等の言い訳が幅をきかせ物が占拠していく。 そしてどんどんあふ

          時間が解決するというなにか

          つらいことも苦しいことも時間なり、ライフステージが変われば解決するそんな幻想を抱いたことはあるだろう。 私も抱いていた。 それで、時間はその物事を解決してくれただろうか。 恐らく、解決してくれていたと期待したい。 そもそも10年前、20年、30年、40年、50年前の悩みリストみたいなものを持っているとか抱えてる人はいるか。 それぞれであった嫉妬なり問題なり、怒りなり大なり小なり消えているのではないだろうか。 それに加えて諦観という人間が持ちうる一つの手法によりそれ

          時間が解決するというなにか