旅する囲碁カフェ~香港準備編~
はじめましての方もそうでない方もこんにちは。
カフェと囲碁 ひだまりのMayuです。
この文章は3カ月ほど前に書いたものです。
コロナウィルスも少しずつ収束に向かっているため、
ようやくこちらを世に出すことに決めました。
当時の気持ちで書いたそのままを出します。
1.海外に憧れて生きてきた
ひだまりを作って早2年と9カ月が過ぎようとしています。
この間、一度も海外に行けていなかったのですが、ようやく行くことに決めました。
行先は、、、香港です!
コロナウイルス問題がありますが、このタイミングでしか行けないので、行ってきます。
たいして囲碁もないのになぜ香港?と思ったあなた。
少々長い話になりますが、お付き合いくださいませ。
ひだまりは2017年5月に開業しました。
開業した経緯ですが、祖父が1965年に碁会所を作り、それを母が継ぎました。お店は順調でしたが、2016年に母が他界。一人っ子のため、私が継がなければ家業は終わることになります。悩んだ結果、囲碁経験はありませんでしたが、継ぐことにしました。
それまではOLをやりながら、DJや曲作りの勉強をするために、トランス(オランダ発祥のダンスミュージック)の本場であるヨーロッパに留学することを目標としていました。しかし、家業を継いだため、その夢は一旦諦めました。いまでも、DJの依頼をいただけていることには感謝しかありません。
なぜ家業を選んだかというと、音楽と家業を比較したときに、どちらがより「自分にしかできないこと」なのかを考えたからです。
私は自分の人生を通じて「挑戦できる世の中を作ること」を使命だと思っています。対向車がぶつかりそうになって、死にかけたこともありますし、もう無理!!というところから、たくさんの奇跡が起きるということを経験してきました。
私が関わる周りの人が、挑戦する人が多かったことも大きな要因です。
夢を持っている人を応援したり、なにかで悩んでいる人の背中を押したり。一度きりの人生、その人がその人らしく生きられる世の中にしたいと思っています。だから、私自身も、失敗しても立ち上がる強さを持っている人でいたいので、日々の選択のなかでも、できるだけ難しい方、挑戦する方を選ぶようにしています。
DJや曲作りも、30歳間近という、わりと遅いスタートでしたが、そういう想いを持っているので挑戦しました。結果的に、周りの人に恵まれて、日本で一番のクラブのageHaでもDJさせてもらうことができました。
そんな大好きな音楽の最前線から身を引いたわけですが、私にはこども頃から夢がありました。それは「海外の人と関わる仕事をしたい」ということです。
今でもはっきりと覚えているのは、小学校3年生の時点で通訳になりたいと思っていました。
しかし、こどもの頃の夢は、はかないものですね。周りの環境や学歴などにより、変わっていきました。しかし「海外の人と仕事をしたい」という想いは、心の奥底でずっと持ち続けていたのです。
DJという職業は、今までやってきたことの中で、一番それが叶えられている仕事でした。
それもあって、細々とですが、10年以上続けられているのだと思います。
さて、ひだまりに話を戻します。
ひだまりは、2年半で45か国、500名近い海外のお客様にお越しいただきました。なぜ三両編成の池上線:長原というへんぴな土地でそれだけの方がきてくれたのか?
お店を持ってしまうとその場所に縛られてしまう経営者がほとんどだと思います。
私ももれなくそうで、ひだまりを作るまでは年に1、2回はヨーロッパに行っていましたが、この約3年間どこにいくこともできませんでした。状況的にもそうですし、勇気もありませんでした。
しかし、それならば「外国人の方に来てもらえるお店にしたらどうだろう?」と考えました。幸い、私は囲碁経験ゼロで経営をはじめたため、囲碁未経験の人の立場にたって、どういう雰囲気だったらお店に来やすいのか?どういうサービスだったらお客様に喜んでもらえるのか?を理解することができます。
碁会所という囲碁を打つ場所に対してまったく馴染みがないからです。なので、ひだまりにいるような心地よく温かく感じられるカフェスタイルのお店をオープンしました。
DJという職業は諦めましたが、全く違う囲碁カフェ経営で、
子供のころからの夢である「海外の人と関わる仕事」を実現させることができたのです。
2.かなえたい夢
夢を実現させた今、私には新たに2つ目標ができました。
・家業を100年企業にする
・海外進出
1.100年企業
今の日本には、100年続く企業は約3万3,000社あります。※出典 帝国データバンク
そのうち、東京都が最も企業数が多い都市です。
ということは、私の家業にもその可能性が大いにあるわけです。
囲碁という日本の文化の一つ、かつ、コミュニケーションツールとしても素晴らしいものを100年続けられたら、夢がありませんか?
囲碁人口の減少が叫ばれ、厳しい時代だからこそ、目指すことを決めました。
皆さんは囲碁人口がどれだけいるかご存じでしょうか?
レジャー白書という、15歳以上79歳までの方を対象とした統計では200万人とされています。(2018年)
しかし、そこには小学生も高齢者も入っていないので、もうすこし実際は多いと思います。
昔に比べて厳しい状態で、あと45年続けるには試行錯誤が必要でしょう。そして、健康も大切ですし、一緒に歩んでいく仲間も必要です。しかし、目指すに値する夢だと思っています。
2.海外進出
「色んな国をみて、色んな国の人と出会い、豊かな人生を送ってほしい」
そう母から毎日のように言われて育ってきました。
そのため、海外進出を目指すということは、私の中では、さほど大それたことでもないと思っています。いばらの道だとは思いますが。。
ひだまりに来てくれた外国人の方に、何度か夢を語り「あなたの国で囲碁カフェってできると思う?」と聞いたことがあるのですが、「できないことなんてないよ。Mayuならできるよ。何かできることがあれば協力するよ」と声をかけてくれる人がほとんどでした。
最近では、チリ人の方が来てくれたのですが、ひだまりをチリでやりたい!とまで言ってくれました。
でも、具体的に何をどうしたらいいのか、全くわからないので、なにもせず今に至るのですが、とりあえず旅行でもいいから海外に行って、夢に一歩近づこう。そう決めました。人生はいつ終わるかわからない!
3.香港にしたきっかけ
思い切って海外に行こう!と決められたのは
3つの出来事が重なったのと3人の人物がいたからです。
きっかけ
1. 好きなアーティストの引退イベントが香港である(日本には来ない!)
2. スケジュールと予算がクリアできた
3.直感
1.大好きなオランダのアーティストが今年引退が、日本には来ない
日本に来ないので、一番近くで行けそうだったら行こうと思っていたのですが、たまたま香港でライブがあることをインスタで発見。ついでに航空券が10円というのも発見。行くしかない。
ちなみに、結局日本にも来ることになって、同じイベントに出演しました。嬉しかった。
2.スケジュールと予算
香港のアーティストを見に行こうとしていた友人の、航空券が安くなっているという投稿を見て、お店のスケジュールも確認してみると、ぽっかりとそこだけ行けそうな日であることが判明。
3.直感
なんかわかんないけど、行った方がいい予感
きっかけは正直たいしたことありません。
しかし、出来事ひとつ一つは小さいけれど、なんとなく点と点がつながって線になったと思っていました。
そこに至るまでに背中を押してくれた3人の人物は紹介せずには話は終われません。
香港人のカール
とひだまり常連の三田さん、
スタッフである八段塾塾長のつかさ
です。
1.カール
カールはこの1年に3回も香港からひだまりに来てくれました。日本に来る目的が「ひだまりに行く」です。わざわざ囲碁大会に参加するため、ファミコンイベントに参加するため、航空券を買って会社を休んでまで来てくれます。
カールは人生で出会った人の中でもダントツでナイスガイで、ひだまりの常連さんが香港に行ったときも、全日程休んで観光案内をしてくれました。
2.三田さん
ひだまりの常連さんです。
カールと出会い、香港のデモのニュースを知り、カールさんの国を応援したいと言って、香港に年明けに一人で出向いていきました。
三田さんは70歳を超えていますが、こんな情熱があり、年齢も関係ないと教えてくれる人は周りにいませんでした。
そして香港行きを悩んでいた私にこんな話をしてくれました。
「人生一度きり。やりたいことはやらないと。昔、旅行に行きたいと思い貯金を始めた。あっという間にたまった。しかし、目的地を決めずに貯金を始めたため、旅行の予約をしようと思ったそのタイミングで歯が痛くなった。結局、歯の治療代に20万円以上かかることになって、その貯金は歯の治療代に消えた。
Mayuさん、目的があってそれに向かっていくなら、そのためにお金や時間を使った方がいいよ。じゃないと、別のことに使うことになるよ」。
私の母は碁会所を15年ほど経営していましたが、その間、海外にいくことは叶いませんでした。亡くなる前の年に、二人でヨーロッパクルージングに行くために予約もしていましたが、病気のためにいくことはできませんでした。
母に、「お店を休んだってお客さんはわかってくれるよ。お母さんが幸せじゃないと、お客さんだって幸せじゃないよ」と健康な時に何度か声をかけましたが「年配のお客さんが多い。毎日のルーティンが変わってしまうと病気になってしまう人もいる。だから休めない。」そういって、月に1度しか休みをとらず、旅行にも行けず、結果的にお客さんよりも早く旅立つことになってしまいました。
母は身をもって、やりたいことはできるうちにやる。ということを伝えてくれました。三田さんの話から母のことも思い出し、とりあえず香港に行ってみよう。そう思いました。
3.スタッフである八段塾の塾長:つかさ
彼はひだまりに入るまで英語を話せませんでした。海外に行くなんて夢にも思わなかったでしょう。
だけど、半ば無理やり外国人に教えなければならない環境になり、試行錯誤しながらたくさんの方に囲碁のレクチャーをしてくれました。
私は雇用を生むことは、社会貢献の一つだと思っています。
囲碁業界に足を踏み入れるときに、囲碁が好きな人が囲碁で食べていけるようにするために、お店で雇用の機会を作ろうと思っていました。
結局、囲碁で食べていくことを魅力的だと思う人が増えなければ、そこには夢がないと考えていたからです。
囲碁の仕事はとても限定的です。
プロ棋士、碁会所や囲碁カフェの経営、出版関係、囲碁インストラクター、日本棋院の仕事。
それくらいでしょう。その中で雇用の機会を作れる職業はわずかです。
その中で選んでもらう店になるのは大変ですが、その人が働いてくれるている間、その人の夢につながる経験を積める場所にしようと決めました。
オープンして間もないころは、人を雇うどころの騒ぎでなかったため、いつかいつか、と思っていましたが、一番ひだまりを好きでいてくれるお客さんであったつかさ働いてくれることになりました。
そうして1年半が過ぎたころに、彼は単身、台湾に行く機会を自分で作りだしました。
院生や留学していた人であれば海外の囲碁のネットワークを作ることは容易でしょう。しかし彼は普通のサラリーマンだったため、そんなものはありませんでした。
しかし、彼は自分でその環境を作り出しました。
その挑戦する姿をそばで見ていて、日本でくすぶっている自分に疑問を感じました。誰よりも世界を見たいと思ってきた自分が行けてないのはダサくないか?と。
4.まとめ
お店の状態は100年続けられるほど潤っているわけではありません。
だからこそ、今の自分にない感性を求めて海外に行くことが必要なのではないか?と。アメリカやヨーロッパに行きたいけれど、近い海外をみることから始めることだっていいのではないか?
そう思い立ち香港へいきました。
香港に行くと決めてからまたさまざまな出会いがあったのですが、
それはまた次の機会に。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
サポートして頂いた皆さまには後悔させません!