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中学生の時、オヤジが③(バイク窃盗事件の真相)

新聞配達をさっさと終わらせ、学校へ出かけるまでの時間を使い、コーナーリングの練習などに邁進していた日々であったが、やはりここは安全を考え、ヘルメットが欲しくなった。
オヤジに頼んだところ、無免許でも乗ってることには変わりないんだからと、2800円でジェット型のヘルメットを買ってもらった。いまだに随分と甘やかされて育ったものだとオヤジに感謝すると同時に、自分を反省している・・・・かな?
ある夜、仲間たちとツルんで遊んでいたときに仲間のひとりが、ここで待っていてくれとオレを待たせ、何人かで、ある家からバイクを引っ張り出してきた。
オレはてっきりその家が仲間の誰かの家であるのかと思っていたのだが、その半年後に刑事がふたりオレの家へ来て、そのまま警察署に連れて行かれた。
“ふざけんじゃねぇよ”と脅されながらも、刑事たちの言ってることが、何のことを言ってるのかさっぱり見当がつかない。
話を聞いていくうちに、あぁ、あの日のことか、そうかあれはバイクを盗んでいたのかということが、だんだんとわかってきた。
盗んでいた当事者ならわかるだろうが、何のこともない単なる日常のひとコマのことだったオレには記憶が定かであるはずがない。そして、それが窃盗事件だということがわかるとオレは黙秘し、愚かにも仲間達をかばうという行為に入っていった。
しかし当事者たちは、ぺらぺらとゲロしてしまい、最後までかばっていたオレは一番悪い役回りになってしまった。学校には連絡しないと約束していたにも関わらず警察は、当時オレの通っていた海城学園へ連絡したのだった。
折り合いが悪く、いつも睨まれていた当時の担任の教師により、即自主退学という形を取らされてしまった。
いまだに、無罪のオレを落とし込んだ刑事と担任教師には恨みが残っている。
今でも、もし会ったらぶん殴ろうと思うこともあるが、その担任教師も生きていたとしてもかなりの高齢になっているだろうし、オレの人生が変わるわけでもないし、まっ、いっかと思うことにしている。
しかし、警察への根強い不信感と憎悪は、このときに芽生えたというのも確かで、その後の人間形成に大きく関わってくれたということは、逆に感謝すべき出来事だったのかもしれない。
※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。


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