ゼルダはなぜ「王国」を再建すべきなのか - ゼルダTotK
ゼルダの成長を軸としたシナリオ解釈
「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」と「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」をクリア済の方が対象
すべてのDLCと真エンディングを見ていることも前提とする
記事公開時点でティアキンのDLCは未発表
読了時間 約24分(約12,000字)
ゼルダはなぜ救われなければならなかったのか
ゲーム、シナリオ、そしてテーマ。すべてがゼルダを救えと言っている
前作に引き続き、今作のシナリオでもゼルダの受難は続いた。過去の世界でついに自分にできることを見つけたゼルダはハイラルに永遠の安寧をもたらすため、秘石を呑み込んで白龍へと変貌し、永い時を越えて未来のリンクにマスターソードを届けたのだった。
彼女は自分が元に戻れるという望みは全く持っていなかったようだが、最終的にはリンクたちの手で元の姿に戻すことに成功する。黒龍戦での救援から空中キャッチまでの一連の演出は圧巻だったが、ゼルダが龍の姿から元に戻れたことについては腑に落ちていない人もいるかもしれない。
その理由は様々だろうが、おそらく一番大きいのはシナリオの整合性に対する疑念、つまり「そもそもなぜ戻れたのか分からない」だろう。たしかに龍化の法に関するゾナウの伝承は「龍へと姿を変えた者の心は永劫に戻らない」と伝えており、エンディングのミネルの説明も曖昧なもので、どうして戻れたのか明言はされていない。
実は今作の伏線を読み解くことでそれについてはほとんど説明できるし、さらにより遠くから(前作も含めて)作品全体を眺めてみれば、彼女が「尊い犠牲」で終わるわけには決していかなかったことも分かってくる。
まずは最初の疑問である「ゼルダはなぜ救われなければならなかったのか」について、ゲームデザイン、シナリオの整合性、そして作品のテーマ、この三つの観点から答えていこう。
先に言っておくと、この記事の本題はゼルダの成長という軸で見たシナリオ解釈である。しかし今作のシナリオはやや複雑であり、しかもテキストだけでなく映像もよく見ていないと理解できない部分があるので、まずは疑問を解消しておきたい。その後、本題に入っていこうと思う。
もしあなたが今作のシナリオの整合性についてすでにスッキリと納得できているなら、上の目次に戻って「ゼルダが過去に行った意味」という所から読み始めていただいても構わない。
ゲームクリアには報酬が必要
ゼルダはなぜ救われなければならなかったのか。そもそもゲームシナリオは映画や小説のシナリオとは異なる部分がある。その違いを生んでいる最大の要因は、ゲームではプレイヤーもまた主人公だという点だろう。今作のクリアには数十時間以上のプレイ時間を要するため、プレイヤーの取り組みに見合った報酬としてゼルダは救われるべき、というのがゲームデザインの要請するところである。
モドレコの伏線
「龍へと姿を変えた者の心は永劫に戻らない」とはゾナウの賢者ミネルの言葉である。それなのにガノンドロフ討伐後に白龍ゼルダを元に戻せたのは、先述のゲームの論理がシナリオの論理よりも優先された結果としての「ご都合主義」に過ぎないのだろうか?
もちろん、ちがう。シナリオの整合性という観点でもゼルダは救われるべきだった。そのための伏線がずっと張られていたからである。
まずモドレコの本来の使い手である王妃ソニアはこの力について「自分がどこにどんなふうにあったか思い出して元の場所に戻ってもらう」のだと説明していた。
過去のモルドラジークとの戦いでラウルの光の力をソニアとゼルダが増幅したシーン、これもまた伏線である。ソニアよりゼルダのほうが光が強かったのは、単純にゼルダの力が強かったからかもしれないが、ゼルダ自身がラウルと同じ光の力を持っていたからだとも考えられる。サポーターの特性が同じなら強化も大きいのかもしれない。またサポーターの特性が異なっていても強化には参加できることが分かる。
ゼルダを元に戻すシーンでは同様の仕組みでリンクの右手に宿るモドレコの力をラウルとソニアが増幅したと考えられる。この異空間へ転移する際の演出でもモドレコが発動していた。霊体のラウルとソニアが秘石を持っているかは定かではないが、少なくともソニアは元々モドレコの使い手だった。
龍化の法が不可逆であるというのはゾナウの伝承が根拠である。しかしモドレコは元々ソニアの力であり、ソニアはゾナウ族ではなくハイリア人だった。つまりモドレコはゾナウの伝承では考慮されていない力だったと言える。
リンクの右手に宿る四つの力のうち、モドレコ以外の三つはラウルによって呼び起こされたものだが、モドレコだけはゼルダの幻から受け取っていることからも、モドレコが本来ゾナウの力ではないことがうかがえる。
ゼルダやマスターソードが過去に移動するシーン、リンクが龍の泪に触れたときの演出など、よく見ると様々なところでモドレコが発動していることを確認できる。少なくともモドレコがシナリオ上で重要な役割を持っていることは分かるようになっている。
ゼルダ自身は元に戻れるとは思っていなかったし、モドレコをリンクに託したのも無意識だろう。またソニアの説明によればモドレコの発動条件には「記憶」が関わっており、ゼルダをよく知る三人が協力したこともポイントだったかもしれない。
結局ミネルの言った通り「奇跡」であることは間違いないのだが、とはいえこれだけ多くの伏線があるのだから、シナリオの整合性という観点ではむしろ必然だとも言える。
もちろん、これらのことをすべて踏まえたうえで「モドレコが万能すぎる」という意味で「ご都合主義」だと批判することはできるが、それはもはや設定そのものへの批判となってしまうのでシナリオの整合性という観点からは外れる。
そして実のところ、整合性のあるシナリオというのは手段であって目的ではない。
王の務めとは何か
整合性のあるシナリオというラッピングを施された「作品のテーマ」こそが最も語られるべき対象だろう。今作のテーマとしてよく知られているのは開発者インタビューでも語られた「手と手をつなぐ」であるが、もう一つ重要なテーマとして「王の務めとは何か」というのもあると考える。
今作のシナリオはゼルダがその問いと向き合って成長することが一つの大きな軸となっているので、過去での体験を通して彼女がどう変わったか、その結末が描かれなければ幕を閉じることは難しい。
また今作は前作ブレワイの正統な続編であり、彼女の体験は前作から地続きのものである。よってゼルダというキャラクターの軌跡を追うためには、ブレワイとティアキンを分けて考えているのでは不十分であり、二つ合わせて俯瞰する必要があるということも指摘しておきたい。
この記事では二つの作品全体を通してゼルダというキャラクターがどのような変化の軌跡をたどったのかを明らかにしたいと考えている。ただしその前にまず今作のシナリオをややこしくしている時間移動についても触れておく必要がある。
天変地異とは何だったのか
タイムパラドックスと仲良く
今作のシナリオはいわゆるタイムパラドックスの問題を含んでおり、その解釈もはっきりさせておきたい。
ちなみに「前作との整合性」と「今作の中での整合性」は分けて考える必要がある。前者についてはゲームデザイン上の都合として片づけられる部分もある。前作ブレワイにしたってシリーズの過去作のタイムラインから切り離されたおかげで革命的な作品になれた側面があるのだから。ただし後者についてはより厳しく追求(あるいは、追及)されるべきだろう。
よくある疑問点としては「空島や地上絵はいつ出現したのか」「白龍は今までどこにいたのか」「なぜガノンドロフはプロローグの時点でゼルダとリンクのことを知っていたのか」などがあるだろう。
また空島などは実は前作から存在していたのだとすれば「なぜ人々はそれらの存在を昔から知らなかったのか(なぜ天変地異として突如現れたのか)」という疑問も生まれる。さらに「なぜエノキダはリンクのことを覚えていたのにサクラダは覚えていなかったのか」など、人々の記憶に関する疑問も当然あるだろう。
ここまで読んだ時点で「タイムパラドックスについてはすでに自分なりに納得できている」「そもそも興味がない」「早くゼルダの成長について読みたい」という人がいたら、飛ばしてもらっても構わない。
結論だけ先に言っておくと以下で説明する三つのモデルのうち、最後の「合流する世界モデル=過去改変説」を前提にしてこの先の話を進めるつもりである。
三つの世界モデル
今作のタイムラインを説明するために三つの世界モデルを考えた。
単一世界モデル(決定論)
並行世界モデル(分岐説)
合流する世界モデル(過去改変説)
一つずつ図を使って説明する。
単一世界モデル(決定論)
単一世界モデルはいわゆる決定論的な世界観である。因果律は絶対であり、たとえ時間移動が起こったとしても、それすら最初から決まっていたことだったのだ、という考え方だ。常識的だしシンプルで分かりやすく見えるので、多くの人がこうであってほしいと思うだろう。
しかしこのモデルだと天変地異の説明が苦しくなる。昔から空島や地上絵が存在していたということになるから、前作でもそれらを発見していなければならないし、今作で天変地異などと騒がれることもなかったはずだ。
空島と白龍に関しては雲海に隠されていたと言うことも出来なくはないが、地上絵、破魔の祠、洞窟など地上の変化もあるのでそれでは説明しきれない。空島に関してもリト族がいるのに全く知られていなかったのはおかしい。
繰り返しになるが、前作との整合性についてはゲームデザイン上の都合だと言い張ることも出来る。しかし天変地異の際に起こった異常な出来事の数々については今作の中で多くのNPCが証言を残しており、ただ雲が晴れて空島が現れたというだけの現象ではないことは明らかである。
深穴に関しては魔王復活の影響で現れたと考えられるので、それを拡張して「地上絵や破魔の祠も今まで休眠していただけであって、魔王の復活に反応して再び現れたのだ」と説明できなくもない。しかしそういうレベルではない、非常にこまごまとした変化・・・たとえば洞窟の出現や人々の記憶の変化、ローメイ遺跡の石板、底なしの沼が池に変わったこと等々・・・は逆に説明しにくい。
並行世界モデル(分岐説)
並行世界モデルはゼルダが過去の世界に現れた時点から世界が完全に分岐したという考え方である。このモデルだと前作で空島や地上絵を確認できなかった理由は説明できるが、ガノンドロフがゼルダとリンクを知っていた理由を説明できない。また単一世界モデルと同様に天変地異の説明も非常に苦しくなる。
さらに言うとリンクもまた気を失っている間に「空島がある世界」に転移したとして「空島がない世界」がその後どうなったのか分からない。ゼルダとリンクがハイラル城の地下に消えて二度と戻らないばかりか、ガノンドロフまで復活するという目も当てられない状態になってしまう。悲惨すぎるからこの説は無し、などと言うつもりはないが、そもそも説明できない点が多い。
さらにとどめとして、開発者インタビューや公式サイト(ゼルダの伝説ポータル)のHISTORYページなどでも、ブレワイとティアキンは地続きの同じ世界であるということが示されているので、この説はほぼ否定されていると言っていいだろう。
合流する世界モデル(過去改変説)
合流する世界モデルは少し複雑に見えるかもしれないが、三つの中では最も矛盾が少ないモデルだろう。要するに過去改変である。途中までは先ほどボコボコに否定してしまった並行世界モデルと同じなのだが、ある瞬間から二つの世界が一つに合流するという点が異なる。プレイヤーがリンクを操作するシーンはほぼ合流後の世界なので公式見解にも反しないだろう。
合流するタイミングはプロローグでゼルダが秘石を拾ったときであり、その直後から二つの世界が合流して一つの世界になったと考える。
なぜ「ゼルダが過去に移動したとき」ではなくて「秘石を拾ったとき」なのかと言うと、それはその直後にガノンドロフがゼルダとリンクの名前を呼んだからである。つまりガノンドロフの発言より前に世界が合流していなければならない。
プロローグでは空の様子が見えず、道中にある壁画も隠されていたので、ゼルダが秘石を拾う前はどちらの世界だったのか判別できないようになっており、これは意図的だろう。
天変地異については、二つの世界が一つになる際に強引につじつまを合わせようとする自然現象だったと説明できる。反論もあるかもしれないが、この記事ではこの合流する世界モデル(過去改変説)を前提とする。
合流世界モデルの疑問点としてすぐに思いつくのは、合流前の「空島がある世界」の人々の記憶はどこへ行ったのか?とか、そもそもなぜ二つの世界が合流したのか?などが挙げられる。過去作「時のオカリナ」では時間移動の結果として世界が完全に分岐していたことを指摘する人もいるだろう(シリーズ全体のタイムラインについては先述のゼルダの伝説ポータルが分かりやすい)。しかし他の二つのモデルが抱える問題ほど致命的ではなさそうだ。
また前作で出会ったNPCの一部がリンクのことを忘れている問題について、そのNPCは「空島がある世界」の記憶を継承していて、そちらではリンクと出会っていなかったから、という説明もできるかもしれない。
なぜプロローグの壁画は隠されていたのか
三つの世界モデルで壁画の狙いが分かる
プロローグの道中で、ゼルダとリンクは封印戦争の全容を描いた壁画を発見するが、一部の壁画は岩に覆われていて見ることが出来ない、というシーンがあった。あとでこの場所に戻ってきたときに岩を破壊して確認してみると、隠されていたのは三枚の壁画、封印戦争の最後の戦いの場面と、ゼルダがマスターソードを受け取った場面と、白龍が空に昇っていく場面であることが分かる。また最初から見えている壁画の中にはゼルダの姿は描かれていない。
なるほど、これらがプロローグで見えていたらネタバレになってしまうかもしれない。さて、しかし、そもそもプロローグの時点でも隠された壁画の内容は同じものだったのだろうか?
もしプロローグの世界が「空島がない世界」ならば、ゼルダは過去にはいなかったのだから、隠された壁画の内容は別の未知の内容であるはずだ。つまり壁画にゼルダがいればそこは「空島がある世界」、いなければ「空島がない世界」だと分かる。壁画が隠されていることによって、秘石を拾うまでのシーンがどちらの世界でもありうるようになっている・・・という仕掛けだろう。あとで戻ってきて岩を破壊したときにはすでに「空島がある世界」と合流しているので、ゼルダが描かれているのは当然だと言える。
もしプロローグの時点でゼルダがいない別の内容の壁画を見せて、あとで来たときにはゼルダがいる内容に変わっている、という演出にすれば、過去が改変されたことをより分かりやすく示せたかもしれない。
ただしその場合、単一世界モデル(決定論)は完全に否定されることになる。なぜなら単一世界モデルの場合は最初から一貫してゼルダが描かれた壁画でなければならないからである。しかし壁画が隠されていれば単一世界モデルでも矛盾はない(壁画に関しては)。壁画を隠したことで想像の余地が広がっているとも言える。
さて、前置きが長くなってしまったがようやく本題に入ることができそうだ。
ゼルダが過去に行った意味
マスターソードだけじゃない
作品全体を通してゼルダはどのように変化したのか。まずは今作のゼルダの動きを追ってみよう。合流世界モデルにおいては、ゼルダが過去に現れなくてもガノンドロフはラウルに封印されていたことになっている(並行世界モデルでもそう)。
このラウルの台詞の意味を考えよう。ゼルダが過去の世界に来た意味は何か。少なくとも封印戦争の中でガノンドロフを滅ぼすことではない、ということだけは分かっている。
ゼルダはのちにその意味を「マスターソードを強化して未来のリンクに届けること」だと理解した。それは間違いない。あの時点でゼルダが出す答えとしては満点である。しかし、前作からゼルダというキャラクターの軌跡を追ってきて今作のエンディングまで見終わった「プレイヤーの出す答え」としては不十分だと言わねばならない。
今作のテーマの一つに「王の務めとは何か」というのがあるとすれば、ラウルにとってそれは「民と国を護り育むこと」だった。一方、ガノンドロフの答えは「世界を支配し、定めること」だった。そしてゼルダはというと・・・そもそもまだ王ではなく姫でしかなかった。
対極をなす二人の偉大な王との出会い。それを受けて、ゼルダは自分とハイラルの在り方をどうしていくのか!・・・というのが今作のシナリオの一つの大きな軸であり、またこれを彼女に問いかけるためにこそ、彼女は過去に送られたのである。
では過去に行く前・・・最初はどう考えていたのか。これを知るためにはプロローグより前に何があったのかを探る必要がある。
いつまで「ハイラルの姫」なのか
あやふやな立場
NPCの証言やフィールド上の文書などから前作のエンディングと今作のプロローグの間の出来事はある程度分かる。厄災ガノンを封印した後、ゼルダは各地を巡り、厄災の犠牲となった人々の慰霊碑を建てたり、ハテノ村に学校を建てたりしていたらしい。百年の歳月のうちに彼女を直接知る者はほとんどいなくなっていたにもかかわらず、彼女の民を想う心は瞬く間に国中に知られるようになっていた。
ハテノ村の日記の中で彼女は、強い意志を持つ民こそがハイラルの財産であり、その民を護ることが自分の役目だと語っている。これは前作の真エンドで語っていた内容からほぼ変わっていない。共通しているのはハイラルの在り方を決めるのは民であり、彼女はそれを助ける立場だとしている点である。
この時点のゼルダはまだ自分が王位を継ぐべきかどうか迷っていたのだろう。あるいはそれを決めるのは自分ではないと思っていたかもしれない。皆は相変わらず彼女のことを「姫様」と呼んで慕っていたが、ハイラル王国は百年前に滅んだのであり、実は彼女の立場はあやふやではなかったか。おそらく彼女は王国を再建するべきかどうかさえ民の判断に委ねようとしていて、もし自分が必要とされないのなら王位を継ぐ気もなかったように思える。
そんな彼女が過去の世界で出会った二人の偉大な王、ラウルとガノンドロフは、それぞれ全く別の方向を見ていたが、いずれも強い意志を持っており、自分が王であることを確信している点だけは同じだった。ゼルダは二人から「王の務めとは何か」を学んでいくことになる。
ゼルダはハイラルの復興に尽力しながらも、ハイラル王国の再建には手を付けていなかった。優先順位の問題でしかないのかもしれないが、その優先した仕事であるハイラルの復興についても、ハイラル王国として組織的に動いたほうが効率よく進められた気もする。
ゼルダは各部族の長と会うだけでなく、各地の馬宿さえ自分の足で回っていて、どんなに小さな仕事でも手伝おうとしていた。民の心に寄り添う姿勢の表れだと言うことも出来るが、それは王の立場でも出来ないことではないだろう。しかし彼女はいつまでも「ハイラルの姫」であり、亡き父の跡を継いで王になることはあえて避けてきたようにも見える。
なぜ王位を継ぐことをためらうのか
「私が今までして来た事は何の役にも立たなかった」
ここから先はもはや今作だけで語るのは難しい。前作のシナリオを読み直す必要がある。前作のゼルダ軸のシナリオ解釈については以前にも記事を書いており内容が重複する部分もあるが、改めて確認する。
前作のシナリオでは、彼女は周囲からの期待と責務に押しつぶされ、極めて不自由な境遇にあった。封印の力の修行をいくら続けても成果はなく、周囲の期待と自分の才能とのギャップに苦しんだ。似た境遇のリンクと出会い、悩んでいるのは自分だけではないと知り、少しだけ救われたが、肝心の問題は解決しないまま厄災復活を迎えてしまう。
本来の彼女は遺物の研究が好きな学者タイプだったが、封印の力の修行に専念するため研究を禁じられてしまい、さらに厄災復活時には研究の成果を厄災に奪われた挙句、大きな犠牲を出してしまった。
最終的にはリンクへの想いをきっかけに力を覚醒させ、彼が再び目覚めるまでの百年間を厄災封印のための人柱として過ごし、その後リンクの手で救出されたのだった・・・。
さて、厄災復活時の絶望の中で彼女が言った台詞「私が今までして来た事は何の役にも立たなかった」は、おそらく彼女の中に消えない傷跡として残り続けている。たとえそのあとで封印の力が覚醒し、最終的に厄災ガノンを封印できたとしてもだ。常に努力を重ねているのに根本的な部分で自分の力を信じられず、今作の過去の世界でもラウルに指摘されるまで「自分が来た意味」を考えることすらなかった。
厄災封印後の彼女の考えである「民を護りその助けになりたい」は前作における成長を示している。自分の想いを持ちつつ、周囲の期待にも応えつつ、自分にできることをする、という形で折り合いをつけることができた。
しかし意地悪な見方をすれば「まだ国の在り方を(自分が王位を継ぐべきかどうかも含めて)自分で決めることが出来ず、民に任せようとしている」とも受け取れる。自分の力を信じられないからこそサポートに徹しようとするし、また不自由な境遇のつらさを知っているからこそ他人を束縛したくない。これらの考えから、彼女は王位を継ぐことをためらっていたのではないか。
そんな彼女を変えたのが、ラウルとの出会いだった。
王の務めとは何か
なぜ王国が必要なのか
過去の世界でゼルダはハイラル王国の初代国王であるラウルと出会う。ゼルダにとって彼は理想的な王の姿に見えたことだろう。彼が見せたのは人々の上に立つ支配者というよりむしろ人々を束ねる中心としての王の在り方だった。
ラウルはソニアと共に秘石の力でハイラルの魔物を封じて回り、破魔の祠を各地に建てたとも伝えられているが、より大きな脅威に立ち向かうためには人々が団結しなくてはならない(手と手をつなぐ)。それには人々を束ねる存在が必要であり、それこそが王だった。
「王は民を、国を護り育むのが務め」とラウルは語った。「護る」は前作におけるキーワードであり、これはゼルダもよく分かっている。では「育む」とは何か。今作のエンディングでゼルダは「あの方たちが願ったのは束の間ではなく永遠に続くハイラルの安寧」と解釈している。つまりラウルが国を興した理由は、自分が滅びた後も人々を護り続けるためであり、そのための仕組みを固めていくことが「育む」の意味だと考えられる。
ガノンドロフはなぜ負けたのか
本当に世界を支配したかったのか
ガノンドロフもまたラウルとは別の意味でゼルダに影響を与えた王である。彼にも最初はゲルドの家臣という仲間がいたのに、ソニアの秘石を奪った後は仲間を捨てて一人で世界を征服しようとしていた。彼が仲間を裏切ったからこそゲルドの賢者も当然のようにラウル側についていたのだろう。
ちなみに「時のオカリナ」のガノンドロフはハイラル王国を乗っ取ったあともゲルドの王であり続けたので、今作のガノンドロフが仲間を捨てたことには特別な意味があるかもしれない。彼が仲間を捨てたのに対し、ラウルは仲間を頼ったことで「王に仲間は必要か」という対立軸も生まれている。そしてガノンドロフは強大だったが、仲間を捨てた彼は結局倒されてしまった。
ガノンドロフが捨てたのは仲間だけではない。彼にも信念があったはずなのに、リンクたちに追い詰められた彼はそれを捨ててしまった。「強者がすべてを手に入れる」というのが彼の信念だとしたら、戦闘に敗れた時点で負けを認めなければならなかったのに。あるいは「強者が」ではなく「自分が」なのかもしれないが、それなら自我を捨ててはいけなかったのに。
結局のところ、彼は自分のことを勘違いしていて、正確には「この世を支配したい」のではなく「自分以外が君臨しているのが我慢ならない」だけではなかったか。
信念を捨てて龍化した彼はただの「黒龍」でしかなく、ガノンドロフはもう逝ってしまった。それに対し、信念のために龍化したゼルダは自我を失ってもリンクを助けに行くことができた。信念の戦いという点において、ゼルダはガノンドロフに勝利していたのである。
なぜ「王国」を再建すべきなのか
ハイラルに永遠の安寧を願って
封印戦争の後、ゼルダは自分にしか出来ないことを見つけた。光の力を持つ自分だけが、龍化の法により強化したマスターソードをリンクに届けられると。彼女は元の世界に帰ることさえあきらめれば安全に過ごせたはずだが、永遠の安寧を目指すというラウルの意志を継いだのである(ラウルに託されたわけでもなく、自らそれを選んだ)。
このときゼルダは自分が元に戻れるという望みは全く持っていなかったが、冒頭で述べた通りあらゆる要素が彼女をそのまま退場させることを許さなかったので、彼女は元の世界で目覚め、賢者たちの前で「ハイラルに永遠の安寧をもたらすため、自分に力を貸してほしい」と言うことになる。
ガノンドロフは倒したが、将来の脅威に備えるためには人々を束ねる存在と、それを何世代にもわたって維持する仕組みが必要だとゼルダは理解し、永遠の安寧を目指すため賢者たちの助力を求めた・・・という所で物語は幕を閉じている。
ゼルダは最後まで「ハイラルの安寧」と言い「ハイラル王国の安寧」とは言わない点には注意が必要である。王国はあくまで一つの手段に過ぎず、他のやり方もありうるということが示唆されている。
しかしいずれにせよ今のハイラルでそれが出来るのはゼルダしかいない。ラウルたちの想いを本当に分かっているのは彼女だけだし、今のハイラルを一つにまとめられるだけの人望と正統性、そして何よりもその意志・・・それら全てを兼ね備えているのは彼女だけなのだ。
間違いなく言えることは、彼女が国の在り方を決める役目は自分のものだと理解し、もはや民にすべてを任せようとはしていないということだ。自ら方針を示し、支配するのではなく人々の中心となり、将来にわたって人々を護れる仕組みを作る決意を固めているのである。【終】
あとがき 231127
とにかく演出が素晴らしい作品!で終わってしまうと大事なことを見落とすと思います。正直に言うと私自身は話の意味をすぐには理解できなくて、この記事を書くために改めて情報を整理していく中で納得することができました。後半がメインと言っておきながら分量としては前半だけで半分以上ありそう。・・・ところでDLCは本当にないの?→ないらしい
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