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反響は止まない。

意地悪が自分に返ってくると言うのは本当で、私が生きづらいのは日々自分の底意地の悪さに虐められているからの様に思う。

例えば私はSNSの所謂メンヘラ投稿の類いを見れば「この人は"(不特定な)誰かによる救いの言葉や気持ち"を求めているのか、"(特定された)あの人が相手をしてくれること"を求めているのか、どっちなのだろうか」と考えてしまう。
多くの人がそこをふわっとさせておきたい事を分かっていながら、そう言った心無い想像をしてしまう。
そこに止まらず、そんなメンヘラ投稿に対して"心配"を示すリプライが付いていたならば、「この人の行動は"心の底からの思いやり"なのか、"優しい自分で自分を満たすため"なのか、はたまた"相手や周りに対してのアピール"なのか、どれにあたるのだろうか、そしてこの人はそれをどこまで気づいて動いているのだろうか」などと考えてしまう。
…と、する笑

そして、この意地悪はきちんと私に返ってくる。
例えば、自分がどうにも上手くいかなくなった時、何か言葉を発そうとしても「これって本当は大した悩みなんかではなくて、誰かに構ってもらおうとしているだけなのではないか」「自分は気づかないふりをして都合良く悩める子羊の様な顔をしていて良い人間では無いはずだ」という考えが浮かび、引きこもらざるを得なくなる。
誰かに優しさを向けようとした瞬間も「これは自分を優しい人間だなんて勘違いしたいと言う自分のエゴでしかなくて、とても優しさだとか愛だとかなんて言えた類いのものでは無いのではないだろうか」「だとした場合に、自分のこの行動は相手に対して失礼になるかも知れないし、場合によっては相手を傷つけてしまう可能性すら孕んでいるのではないか」等と考え一体どうする事が相手の為になるのか、人を思いやれるのかが分からなくなってしまうのだ。

意地悪は自分に返ってくる。
それは仕返しをされるぞなんて甘い事じゃ無い。
誰かのせいにできる意地悪なんて優しいよ。
相手はこちらに仕返しをしようなんて思いもせず、ただただ自分だけが醜いという現実を目の当たりにしながら生きていかなければいけない。
それが底意地の悪い人間の背負う業だろう。
きっと私が「優しくなりたい」なんて口にするのもこの業から逃げたいが為のそれなのだろうなんて、考えてしまう。

「考えてしまう」なんて被害者ぶらないでよ。

ほらね。

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