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なんで写真撮ってるんだっけ

作品としての写真を撮る人、記録としての写真を撮る人、またはその両方。
いろんなスタイルの人がいますが、自分の写真のベースは記録写真だと思っています。
理想系は記録の中で作品性を両立できる写真で、そこを目指して撮っています。

話は変わり、先月祖父が亡くなりました。全く予期せず突然に。
毎日散歩したり、市の体育館に卓球をしにいったり。高齢ではあったけど健康体でした。
こういう人が長生きするんだろうなと思うようなタイプだったので、突然すぎて実感が湧きませんでした。
最後に会ったのは去年の夏。その時はまた次の帰省で会えると当たり前のように思っていました。

祖父は穏やかな性格で、怒ったところを見たことがありません。お酒が好きで、ビールはエビス。おつまみはかっぱえびせん。
こどものころ、それが羨ましくて、「少しちょうだい」と言ってこっそりもらっていました。
当時、これは大人の食べ物なんだと思っていました。大人になったら好きなだけ食べられるんだな、大人っていいなと。

そんなことを思い出しながら、最後に会ったときの写真を見ようと思ったら、祖父の写真がありませんでした。
データを漁って出てきた最後の写真は、3年前の夏。しかも顔が写ってない。

こんなに撮ってなかったんだという驚きと後悔。
いつでも撮れるわけではないという当たり前のことに気づきました。
撮れなくなる瞬間はいつか必ずやってくるし、そのいつかがどのタイミングで訪れるかはわからない。
ましてや遠方に住んでいると会えるチャンスも限られている。
祖母は二人ともまだ元気ですが、あと何回会えるだろうかとも考えてしまいました。

人は忘れる生き物で、忘れたことすら気づけないこともたくさんあります。
でも、きっかけがあれば思い出すし、写真はそのきっかけになると思っています。
なんで自分は写真を撮ってるんだろうなと考えたときに、あとで思い出すために撮ってるんだろうなと思いました。

写真を始めたころはどこでもなんでも撮りまくってたのですが、
最近はロケーションや光を気にしすぎて、条件が悪いところでは撮らないようになっていました。
でも、自分の写真の本質はそこではなく、記録して、そのときのことをあとで思い出せる写真。
カメラを持ってなかったらスマホでも良いし、光が良くなくても、場所が悪くても、たくさん撮ろうと思います。

いつでも撮れる ではなく、いましか撮れない と肝に銘じて。

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