見出し画像

人口集積力でも経済力でもない

塩竈市にパリの有名なマカロンの店などで10年以上の修業を積んだフランス人パティシエさんが、この地を気に入ってお店を開いた(確かお店の名前は「りんごの木」)。今のヨコハマに、たった一人でも、遠い国のパティシエさんを惹きつける魅力があるだろうか。

塩竈市と横浜市を比べて、財政力とか人口集積とかでは横浜市の方が圧倒的に力がある。でも文化の錬成度や熟成度の点ではどうなんだろう。どちらが洗練されているのか、成熟しているのか、どちらの「街文化」の方がより豊かなのか。もちろん、塩竈市だって、中心市街はシャッター通り。郊外の大型ショッピングモールに消費を奪われるという「地方都市に典型」な病気を抱えているわけだが、そういうことでは語り尽くすことができないnarrativeがあって、つまり、その物語が今のヨコハマにはないというわけだ。

函館市には創業150年にならんとするレストランがあり、ヨコハマにはそういったものがない。両方とも港町。大火とも無縁ではない街なのに。

(そう言えば関東大震災でヨコハマを去っていったユーハイムが、第二次世界大戦の空襲で大被害を受けた後も神戸に居続けたのはなぜかとも思うな)

横浜の元町、メインストリートを端から端まで歩いて、個人経営の珈琲専門店は、たぶん、中津さんの「無」一軒だけ。神戸の市街地にはまだまだたくさんの個人経営の喫茶店や珈琲専門店があり、パテシエさんも洋菓子店も、パン屋さんも元気にしのぎを削っている。

阪神・淡路大震災があってなお、そうであるわけだ。

ヨコハマは、ブクブクと金銭的には太ってはみたものの文化面では空っぽ…

何しろ、美味しいと評判のお店より、たくさんのお店を出店できたお店を評価する街。高度成長期はそれでよかったとして、知価生産時代に入るこれからは厳しい。今だって、この街の民度では「たくさんのお店を出店したお店をこそ評価する」が貧しいことだという自覚はないだろう。

技能職も大切にしないし。

規模や量の時代が終わって、質の時代に入れば、ヨコハマはとるにたらないただの場末になっていくのだと思う。

ただ「これまでのヨコハマ」なら「異端」にカウントされるんだろう、若い人たちの出店は(郊外になるけれど)散見できる。

それだけが希望かな。

いずれにせよ、今般の経済的な災禍が判定を下す。残るものは残っていく。

※写真は目黒区五本木の「パティスリー・スリール」さん。