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おざなりで基本的にはふまじめな

ときどき第二次世界大戦時の欧州を舞台にした映画の背景などに、設計士さんが入ってコンクリートでつくられたような、かなり頑丈そうな「公共施設としての防空壕」を目にすることがあります。少なくとも数百人規模のものです。
一方、わが国の場合、久世光彦さん演出の「向田邦子 終戦記念特別番組シリーズ」などに見られるような、家族で掘って土を持ったものか、町内会がつくったような小規模な防空壕がスタンダード。いずれにしても「私立のもの」で、公共施設として完備されたものには見えません。だから、頑丈そうでもない。町内会防空壕も、すぐに鮨詰めになってしまって、アニメなどでも、入れてもらえない場面が出てきたりします。

今井清一さんの著作「大空襲5月29日 ー第二次大戦と横浜」(有隣新書)に、以下のような一説があります。

都市に残っている人々を空襲から保護するためには防空壕が必要であるが、それは、公式には待機壕とよばれたように、防空活動をおこなうために一時的に待機する場所と考えられた。しかも政府はその建設を個人にまかせたままで、イギリスやドイツのように大規模な公共用地下防空壕を建設しようと、努力しなかった。
米国戦略爆撃調査団は、日本における防空壕の建設について次のように評している。
この問題に関してつぎつぎとでた命令や指示を研究してみると、政府の関心がおざなりで基本的にはふまじめなものであったという結論に達せざるをえない。

※米国戦略爆撃調査団:アメリカ軍による戦略爆撃(艦砲射撃を含む)の効果を検証するための陸海軍合同機関。1944年11月にルーズベルト大統領によって設置され、日本での調査は 1945年9月〜12月。調査の範囲は政治、経済、軍事、文化、思想、社会の全般にわたった。

民主主義の国になったとされるこの国で、僕らはどう扱われているのか。敗戦から80年近くが経過して「政府の関心がおざなりで基本的にはふまじめなもの」という状況はどれほど解消されたのでしょう。

戦後の80年近く…

「水に流す」というとなにやら潔さ気ですが、的確に言えば「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の方だったんでしょう。敗戦の混乱期を抜け出した時期に差し掛かっても、市井にこういうことを社会問題にする機運ありませんでした。
もしかしたら、こういうことを問題として認識する力さえなかったのかもしれません。

で、今や収入の半分近くを税金に抑えられ、様々なことが自助努力です。僕には、子育て、介護、失業・就業支援など、ありとあらゆる(本来なら)公共サービスが「政府の関心がおざなりで基本的にはふまじめなものであったという結論に達せざるをえない。」状況にあるように思えます。そして、支援のない中、貨幣価値は下がり、長寿社会です。食糧自給率だって38%です(2019年)。

でも、未だに社会問題にはならない。戦時中と同じように、ただ耐えています。大空襲の翌朝でも人々はできる限り「通常どおりの出勤・通学」を目指した、あの頃の人々のように、朝になれば駅を目指します。