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「1時間」の質的な違い

彼はホテルを含む再開発ビルの空調システムをデザイン(設計)して、業者さんを段取って、現場を仕切って、現物の「空調システム」を完成させる。
彼が設計者で親方なわけだから、現場で「聞いてないよ」というシチュエーションがあっても、即座に修正して、状況に収める。
彼はフリーランスだから会社にオーソライズする必要もない。実際には彼に発注を出した企業の「担当」はついているけれど、彼は東京の本社から出てくることはない。

さすがに「建設」の全体としては大手の「〇〇建設」さんだけど、彼の「空調」のようなところになると、彼みたいなフリーランスが、それぞれの分野で数人ほどが集まって再開発ビルができてしまう。パブリックアートの設置なんかもそうかな(アシスタントさんがいることはあるけれど)。

で、彼らが活躍できるのも、モバイルなコンピュータ、ネット環境、ますます感覚的な操作が可能になっていくPCソフトのおかげ。それから「組織」っていう重荷を背負っていないフットワークの軽さ。会議もないから時間にも縛られないし。

(だから、彼らとのやり取りではZOOMっていうこともない。メールとpdfなら相手の時間を邪魔しないし、ZOOMって、相手の表情が読めないから、結局、言語と数値のやりとりに終始しちゃうから)

一方で、「お手元の資料をご覧ください」って分厚い紙の資料を配っているところもある。で。「意義なし」っていうために大きな会議室で20名以上の人々の時間を拘束して、大型プロジェクターだ、資料だ、お茶だと事務方が「会議」の準備をする。役所なんかそうだけど、こういう時間の使い方をしているところは「空調の彼」みたいな人が出てくると、敵わない。新幹線とSLの勝負になる。

少なくとも「一億総中流」のように全国津々浦々、ほぼほぼ均一に「時間」が流れているわけではない。また、均質に時間を流そうとする時代でもなくなった。

メールとpdfなら午前2時でも仕事を進めることができるから自由な時間に働けるし(残業っていうんじゃなくてね)、組織的なオーソライズの必要がなければ、やっぱり仕事は加速度的に進む。そういう現場だと、体感的には時計の針はゆっくり進む感じがして、仕事の仕上がりカレンダーは早巻きになる。

「あれ、もうできちゃったの」って感じ。

当然だけど、時間にゆとりがあればいい仕事ができる。そういうことも、各現場での「時計の進み方」に影響を与えている。

「いい仕事」主体で考えるのか。「みんなが働ける」を大切にするのか。

でもね。立場が消費者になれば、就業者には「非情である」がイマドキだ。

だから楽楽清算なんだろう。ビズリーチが隆盛になれば、これまでどおりの人事部は無くなるか、大幅縮小だろう。

ちょんまげ落としてザンギリ頭っていうわけではないから判りにくいけど、今は「江戸じゃら明治へ」という大変化が進行中だ。

たぶん。もう「慶応年間」も末の方だろうな。
「散髪脱刀令」って明治4年だったけ。 …そんな感じ。