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生きてくための賃金労働からは解放される

ベイシックインカムが実現したとしても、僕は働いてるんだろうな。何しろ、僕は「職人」と「小商」の息子だ。それも「代々」そうだから、うちのオヤジじゃないけれど「働いてないと身体の調子が悪くなっちまう」のクチだ。

でもベイシックインカムが実現すれば生きてくための賃金労働からは解放される。

もともと金儲けは気持ち悪い方だ。これも「家」に由来する。

技能職のオヤジはつくりだすものの「出来」にこだわり、お客さんへのサービス精神も旺盛だった。求められれば中東へも欧州」へも、お客さんのオーダーを聞きに行ったり、使い方などの説明に行ったり。儲けは二の次、三の次。「側(はた)を楽にさせてこその『働く』だ」が口癖だった。

ひいばあちゃんは「人助け」な人だった。
アメリカに渡る戦争花嫁を大桟橋に見送ったとき、どこで手に入れたのか、前掛けいっぱいのドル紙幣をもっとって(それはちょっとオーバーだと思うけれど、おばちゃんにはそう見えたんだろう)「辛いことがあったらいつでも帰ってこい)と言ったそうだ。おかげで、ひいばあちゃんが亡くなった後も、おばちゃん(といっても非血縁)には、僕も妹も散々世話になった。
耳にハンディを抱える人だけが住むアパートも経営していた。おかげで後にハンディを持つ人の施設の計画に参加したとき、僕の手話がブロークンなんで「お身内にいらっしゃるんですか?」と感心された。ひいばあちゃんのアパートに住むみなさんによく遊んでもらっていたんだ。
昭和一桁といわれた年代の女性には独身の方が多かった。昔でいう適齢期には戦争で、男たちの多くも戦死したからだ(オヤジの世代だと3人に1人が戦死している)。ひいばあちゃんは、彼女たちの「老後」を心配した。国民皆保険皆年金の時代が始まるのは僕が生まれた頃の話しだ。だから、彼女たちに煙草屋の権利を買って(当時は専売制だった)日銭を稼ぎながら、アパート経営を推奨し、無償のデベロッパーとして、建設から管理まで「アパート」を段取った。

子どもの頃、なんでうちには、こんなに、おじさん&おばさんがいるんだろうと思っていたが、これは、ひいばあちゃんの「人助け」がつくった非・血縁の人工家族だったんだ。

美大に進んだのは、オヤジ系の影響だろうと思っている。公共政策を生業としているのは、ひいばあちゃんの影響だろう。

どちらについても「賃金労働」への義務がなければ、もっと伸びやかだったかもしれないと思っている。

「働く」=「食い扶持を稼ぐ」ではない。だから、ベイシックインカムの実現が趣味に没入し磨き上げる機会を増やすとともに「側(はた)を楽にさせてこその『働く』だ」を、世の中に定着させていくかもしれない。そう思っている。