色々と、着々と。

本日はバンドメンバー&我らが頼もしきアートディレクターと、待ちに待った作業をする予定。

子育て中という時間にあっては、自分の職場があって、家庭があって、きっと「自分の時間」というやつをなかなか持つのが難しい。その貴重な一部をもちよって何をやるか―――大仰に言えば、そこにこそその人の「人生観」というやつが見え隠れするのではないか。

たまたま偶然「ハーフタイムトラベル」なるテレビ東京の番組を観ることがあった。「人生の前半戦を折り返した人々の」というコンセプトで、少々マニアックな趣味やサークル的な活動を紹介していた。なるほど出演者は50か60代以上、仕事も子育ても一段落して、さあこれからどうしようかという雰囲気の方々。
とある女性は日本300名山を踏破したと話していた。おお、スケールが違うぜ。

「自分の時間」が豊富なときにあって、何をやるか。これもまたなかなかの難題だ。

僕は死ぬように生きていたくはない、とあるアーティストが歌っていたのを思い出して、iTunesをぽちっとして、通勤途中に聞いていた。これを一番聞いていたのは、リリース直後で、浪人していて、センター試験を間近に控えていた。予備校をさぼって毎朝図書館に向かい、山のような手塚治虫を読破しながら、気が向いたら過去問を問いていた。
その曲を一番歌っていたのは、大学生時代のあれは後半戦あたりだったか。卒業して以来、ずいぶん離れていた。久しぶりにきいて、高揚した。自分のなかではこの曲は、青空というか寒空とセットなのだ。チャリで坂を全力で滑空しながら、音量をMAXにする。やや危険な行為だと反省して、少しブレーキをきかせた。

いま僕は死ぬように生きてはいないだろうか。死ぬような気持ちでは生きている。生きることは、必死なことだ。絶えず藻掻いて足掻いて、水面からちょっと浮き上がった瞬間、遮二無二息を吸い込んで、また沈む。その振動、周期、リズム。その運動をしている間は、「死ぬように生きている」という感じではないのだろうと思う。「生き生きと生きている」とまでは言えないけれど。

もうすぐ冬が終わる。狂ったような花粉の狂騒がやってくる。それが明けた一瞬の空隙の季節が好きだ。太陽はほどよくチリチリと照らしてくれて、ただただ透き通った明るさで。直後にうだるような梅雨とカンカン照りの真夏がやってくることには毎年うんざりする。それでもやはり、いや、そうであるからこそ、一瞬のその輝きが輝くのかもしれない。

なんだかどうも、投稿テーマから飛躍と脱線を重ねてしまったようだ。

今日は今回のプロジェクトで、一番楽しみにしていた日かもしれない。まさかそういう日がくるとは思わなかった。(いや、めざしてやってるんだけど)何かをリリースする直前、いわゆる入稿とか差分移行とか、カットオーバーする直前の瞬間というものには、いつも得も言えぬ感覚がある。これこそが醍醐味だとも言えるが、そこにはいくばくかの諦念もある。

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