合格と感情
10月の2週目に入る頃から少しずつソワソワし始め、帰宅して郵便受けを開ける、というこれまでほぼ脊髄反射のように無意識で行っていた作業に意識が向くようになる。
9月に受験した「パンシェルジュ検定」の結果が10月中旬ごろに届くことになっていたからだ。
大きめの封筒で厚紙が入ってそうな手触りだったら、認定書が入っているからきっと合格だろうな、定型サイズの封筒だったら、不合格だな、なんていう予行演習を頭の中でしながら毎日郵便受けを開ける。
そして、ついに昨日、郵便受けを開けると、ポスティングされたチラシに混じって大きめの封筒が!
これはひょっとして!
いや、「ざんねーん、不合格でした!」って書かれた大きな紙が入ってるかもよ?
と、訳のわからないことを考えながら封筒を持って家の中に入る。
さっそく封筒を開ける、なんてことはせずに、封筒はリビングのテーブルに置いたまま、平然と寝室に行ってカバンを置き、服を着替える。
うがい、手洗いをして、猫たちの様子を見る。
で、ハサミを取り出して、リビングテーブルの上に置かれた封筒をおもむろに取り上げ、上のフチを慎重に切り取る。
そして出てきたのは・・・
ああ、よかった・・・・
試験のできばえは誠に微妙な状態だったため、回答は試験の数日後に発表されたものの、自己採点するのがこわくて結果通知が届くまで待っていたのだ。
うれしいというより、ほっとした、という感覚のほうが大きいかな。
年齢を重ねていくと、感情の起伏は穏やかになっていく。
「怒」についてだけは逆に増していく人もいるが、「喜」「哀」「楽」は穏やかになっていく。
さまざまな経験を重ねていくうちに、人生の「浮き沈み」に慣れてしまって、ちょっとやそっとのことじゃ心が動かなくなっていくんだろう。
「合格」の文字を見ても、子供の頃のように、飛び上がらんばかりの喜び、というほどの激情はわかないもんなんだな。
ただ、こうやって数日前のことから振り返って気持ちの動きを整理しみたら、けっこうそわそわ、わくわく、いらいら、感情が上がり下がりしていることがわかる。
きっと筋肉と同じで、感情も使わないと衰えていくんだ。
トシを取ったら自動的に衰えていくんじゃない。
仕方ないんだよなんて、わかったふうにあきらめるんじゃなくて、いろんなことに興味を持ってチャレンジを続けることで、豊かな感情をきっと取り戻すことができる。
豊かな感情を取り戻せば、人生もきっと豊かになる。
なんてね。
たったひとつの検定へのチャレンジを通して、そんな想いに至るとは思わなかった。
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