言葉を綴るには、ネタ探しをやめること
Macbookに向かってキーボードを叩き始めるのは、だいたい夜の10時から11時の間。その時間になってMacbookを開かないということは、いや、開いてもネットばかり見てしまってなかなかキーボードが叩けないということは、noteのネタがまるで浮かんできていないということ。
今日はそんな日だった。
だからといって、1日を振り返ってみればネタになるようなことなんてひとつもないいたって平凡な日、というわけでもなかったりする。
昨日と一昨日は渋滞のせいで会社に遅刻してしまったために、今日は少し早めに家を出たら、思いのほか道が空いていて随分早く会社に着いてしまったとか。
お昼の焼きホッケ定食、いつものごとく小骨も、皮も、顔もすべて食べ尽くして背骨くらいしか残っていないお皿を見て、「まだ食べれるところいっぱいいあるのにもったいないな」といって人の皿から魚の骨を奪いとってた亡き父を思い出した、これも遺伝かな、とか。
今日はお休みや外出で事務所にいる人が少なくて思いのほか仕事がはかどった、やっぱり一人で黙々と仕事するのが性に合ってるんだな、とか。
ネタがないのではなく、そこにテーマ性を見出せるかどうか。
ふとした気づきから、1000文字から2000文字くらいの文章が書けるような根拠のない確信が持てるかどうか。
原因は外にあるのではなく、内にある。
言葉を綴るというのは、自分の外にあるもの、自分の外で起こったことを文字に起こしているようでいて、実は自分の心模様を表現すること。
つまり、ネタがないなあ、と感じている時は、自分の外にネタを探そうとしているということなんだな。自分の心が感じていることに向き合うことができれば、ネタはそこにいくらでも落ちている。
明日からは、少し気持ちを切り替えて、ネタ探しをやめてみよう。
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