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組織を芯からアジャイルにする

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「組織を芯からアジャイルにする」ために。あなたの居る場所から「回転」を始めよう。
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#組織アジャイル

ハイウォーターマークは、嘘をつかない。

 この時期になると、人事異動や組織変更による変化、場合によって「劇的」と言っていいほどの変化が起こることがある。私も、私自身を含めていくつかの変化を得てきたので、実感がある。ときに、その変化の前に、なすすべを失った気分、膝から崩れ落ちるような感覚を得ることすらある。無力さを感じる。 「無力さを感じる」のは、それだけ「全体」を見えているからだ。  自分が積み上げてきたこと、努めてきたこと、その結果の推移が見えているからこそ、目の前の変化によってすべてが帳消しになってしまうの

「コレクティブ・インパクト」と組織アジャイル

 組織も一つの「システム(系)」と捉えるならば、「システム」に関する方法論、知見、仮説が組織にも通じるはずである。私が扱う "組織変革" とは「アジャイルを組織に宿す」ということだが、このアジャイルな変革についても「システム」に関する理論、実践知が頼りになると考えられる。そのうちの一つが「コレクティブ・インパクト」だ。  私はコレクティブ・インパクトについては専門家ではなく、むしろ知人からそのヒントをもらった立場である。これは、社会課題解決の文脈においてその活動の後ろ盾とも

アジャイルを「共有」するのではなく、「共通」にする

 「アジャイルな事業・組織を目指したい。どのように取り入れていけば良いか」という設問に出会うことが増えている。  この手の表明に、「そのアジャイルは、Doなのか、Beなのか」といった打ち返しだけをしていれば良い時代は、とっくに終わっている。とてつもないビハインドを背負った現代組織が、変わっていくための手がかりを得るためには、またとない機運として活用する必要がある。  Doなのか、Beなのかという以前に、「アジャイル」という言葉を手にし、何かしらの組織的活動を始めようとしてい

デジタルプロダクト中心型組織になるのか、価値探索・開発型組織になるのか

 「アジャイル型価値開発」の話に触れた。  「価値を探索し、開発する」という文脈と、その組織的拡張、スケール化は別の話になる。実際のところ、アジャイル型価値開発(仮説検証型アジャイル開発)では、複数チームの構造化については言及していない。むしろ、「チームを分けない」ところに立っている。  「より新規性の高い価値の探索と開発」という文脈に立って考えるならば、大勢のメンバーがいてぞろぞろとチームと編成するところから始まる、というのは考えにくい。考えにくいというか、既に何かがお

自分たちの居る場所を、自分たちの好きな場所に変えていこう。

 数年前、「デジタルトランスフォーメーション」を入り口にして始めたこの活動は、確実にその所在地を「アジャイル」に移してきている。開発に留まらず、組織そのものにアジャイルを宿していく。いわゆる組織変革。  組織変革といえば、組織内の言葉を変えることだ。それはいわゆる「文化、風土を変える」ということに繋がっていく。そのことは、前提であり、目指す先であり、最初にして、最後の最大のハードルと言える。  この手の文脈には学習する組織、組織開発、近年で言えばパーパス経営といったキーワ

"アジャイル開発"がそうだったように。私達はまた乗り越えていくだろう

 先日、アジャイルジャパンに登壇した。タイトルは「アジャイルとは誰のためのものか」。アジャイルの広がりについて、アジャイルハウスに乗せて語らせて頂いた。  アジャイルに向き合っていくにあたっての難しさはどこにあるか。チームで仕事するためのアジャイルも、プロダクト開発のためのアジャイルも、乗り越えることができる。山場は、組織そのもののためのアジャイルに移ってきている。  どのようにして、組織そのものにアジャイルを宿していくのか? アジャイルへの適応そのものがジャーニーとなる

アジャイルとは「過程」をともにするためのもの

 仕事の速さ、上手さはどこで違いとなって現れるのだろう。先日、アジャイルを取り入れて何が変わったのか、チームとふりかえっていて、ある感想をもらった。  アジャイルな仕事の取り組み方を行う前に、ロジカルシンカーに仕事の定義、設計、計画などを一手に引き受けてもらい、そのアウトプットをもとにその後の仕事を続ける、というやり方を取っていたらしい。ロジカルシンカーが一人で考えるものだから、アウトプットが出てくるまでの速度はチームで考えるよりも圧倒的に速い。  ところが、そのアウトプ

デザイン組織に向けて、アジャイルに行く

 ある理想的な状態を描くも、一気呵成には辿り着けないから、試行錯誤を繰り返していく。その過程こそアジャイルだ、という話を書いた。  「アジャイルな組織」「アジャイルなチーム」「アジャイルなプロセス」これらにたどり着くことが唯一の目的ではない。組織、チーム、ある文脈におけるプロセス、それぞれについて、理想としたい状態は多様に存在する。この点を許容すると、「アジャイル」の意義はさらに高まることになる。  例えば、デザイン組織という概念がある。  デザインプロセスと組織構造を

結局、アジャイルで何を実現したいのか

 アジャイルを仕事、チーム、部門に取り入れていくのはどういうことなのか? 何度となく考えてきていることだが、かなめを簡潔に言及できないものかと思う。何を目的、意義として置くか。どういう局面でも共通しうることをあげてみよう。  4つある。 (1) 正解が分からないためトライして学ぶ (状況を少し変える) (2) 状況に適した取り組みをする (効果的効率的にやる) (3) 取り組みの価値や意味を常時感じられるようにする (4) 相手との間に協力関係を結び "ならでは" を実現す

自律的であるからこそ、他者の言葉がより刺さってくる

「組織でアジャイルって本当にね、良いと思うんですわー」  久々に、とある勉強会に参加したら、そんな所感を思いがけず耳にした。率直な気持ちを表した言葉だったのだと思う。それだけに、聞いた私のほうも印象に強く残った。そう、良いもんは良い。  組織にアジャイルを宿していく、何の疑いもなく、この進展にかけているけれども、果たしてどれだけ伝わっていくものか。正直なところ、一進一退といったところだ。だからこそ、業界や組織を問わず、組織アジャイルの啓蒙に務めてきている。「どこそこに関心

アジャイルとは、「変化」を味方につけるためのもの

 組織をアジャイルにしていく、組織にアジャイルを取り入れる、適用していく、ここを主眼として書籍「組織を芯からアジャイルにする」を著した。  テーマとしては、開発に比べると大きい目に感じられるかもしれない。ただ、「アジャイルになる」のか、「アジャイルにやる」のか、によって、始められることは違ってくる。  え、アジャイルにやる? Do Agileですか、そんなんで良いんですか。…と思われる人もいるかもしれないが、この議論をあまりラフに白黒つけても効果的ではない。「アジャイルに

アジャイルのための協働、協働のためのアジャイル

 組織にアジャイルを宿すためのイメージとして「アジャイルハウス」をよく使う。  アジャイルのケイパビリティを積み上げていくために、その基礎としてアジャイルマインドの理解、特に協働のメンタリティを備えていこうという主旨になる。  アジャイルの動きはこれまでの仕事の仕方に比べると展開がはやく感じられ、慣れないことが多い。簡単ではないと感じる。だからこそ、仕事をともにするチーム、相手との間で「協力して動く」というメンタリティが不可欠になる。いがみあいながら、足を引っ張りあいなが

「プロセス」としてのアジャイルなのか、「アティテュード」としてのアジャイルなのか

 いま、組織と仕事について探索と適応の取り入れが必要であるということ。この語りを日々繰り返している。具体的には探索と適応をまとめて、「アジャイル」と呼び、アジャイルへの形態変化を組織の中の人々と一緒になって取り組む。アジャイルの根源にあるソフトウェア開発の世界だけではなく、開発を越えて組織内にアジャイルという概念を手渡し、伝える。これがこの数年のライフワークになっているし、より広く捉えると20年にわたり向き合ってきているとも言える。  新たな習慣についての語りは、必ず一定の

「アジャイルは手段」がもたらす誤謬

 「アジャイルは手段だから」という、別の言いたいナニカを成り立たせるためのオピニオンが、結果的に何も起こさないことになる事象について言及しておきたい。「アジャイルは手段だから」の後に何が続くかによってこのオピニオンに意義が見出せるか違ってくる。  「アジャイルは手段であって、目的ではない」は、アジャイルに関してよく耳にするフレーズの一つだ。このフレーズの周辺で、違和感や疑義があがることは少ない。  ところが、この言及は何にも繋がらない可能性がある。むしろ、それこそ本来実現し