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組織を芯からアジャイルにする

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「組織を芯からアジャイルにする」ために。あなたの居る場所から「回転」を始めよう。
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#むきなおり

「成果とは何か?」 からむきなおりする

 「成果」とは何か? 組織のあり方を変えていくのは、まず「成果」とは何か?から考え直すことだろう。特に、最近そのことばかり考えている。  「何をやるか?」ではなく、「何が成果なのか?」ここから問い直さなければ、何をしようとしても合っているかどうか判断つかない、何をしても良かったのかどうか評価できない。考えてみれば単純なことだ。  ところが、組織で考えると途端に難しいテーマになる。これまで捉えていた「成果」の中身を変えることは、組織のシステム、マネジメントを変えることになる

「アジャイルとして合っているか?」 なのか、「アジャイルで合っているか? 」 なのか

 「アジャイルにいこう」という心意気は良し、だが、アジャイルの様々な「作法」が本来の意図とどう繋がるのかがよくわからない。よくわからないけども、アジャイルの精神に則り、「やってみよう」ではじめてみる。まあ、上手くいかない。上手くいっているように思えないから立ち止まる。立ち止まって、考え直してみる。そもそも、「アジャイルにいこう」で期待していた意図とは何だったんだっけ。おや?  最初にある「作法が意図通りか?」について精査するのは難しい。「作法」そのものが新しいためその是非が

「やってみよう」で上手くいかない場に欠けている「流れ」とは何か

 ミーティングであっても、プロジェクトであっても、あるいはチームとしての活動であっても。つまり、人が集団で取り組む、ほぼあらゆる活動に通じるかもしれない潜在課題について考えてみる。  場に対してファシリテーターないし、コーチが存在することは珍しいことではない。そうした役割が、人々を促し、励まし、場作りを後押ししていく。ゆえに、場に動き出しを与える「とにかくやってみよう」であったり、場がより良くなるようにと「改善を考えよう」といったことは、一昔に比べると進みやすくなった。

5年ジャーニー

 1年がまた巡り、もっとも長いタイムボックスの「ふりかえり」を迎える。1年のタイムボックスであり、同時に1年ずつ加算されていく「これまで」のふりかえりでもなる。今年は45年分。残すところ、5年。  この数年、「DX」を切り口として日本の数々の組織に関係してきた。ときにそれは深い深い洞窟を降り進んでいるようでもあった。「組織とは何か」「その組織は何か」という問いに答えるためのいわば探検なのだ。  いけどもいけども、「突破口」というべき分かりやすいものが見つかることはない。ゲ

「むきなおり」で意図と行動の整合を合わせ続けようとする

「チームがうまく機能していないんです。」 「組織が縦割りで互いの方向性を合わせるのに苦労します。」 この手の話を日常的に聞いている。あまりにも毎日聞くので、機能しているチーム、組織なんて現代においてほぼ存在しないのではないかと思ってしまうくらい。生存者バイアスであると信じている。  とかくこの手の話を聞いて、一緒になって悩んでいる日々を送っていると、一つ気づいたことがあった。それは「整合性」に関する問題だ。  そもそも「意図」と「行動」が一致しているのかどうか。何をしたい

組織の「鼓動」は、あなたから始まる。あなたが送り出す「鼓動」はいつか心臓を通るだろう

 書籍「組織を芯からアジャイルにする」で、最も滾る思いを詰め込んだのは4章、特に "血があつい鉄道ならば走りぬけてゆく汽車はいつか心臓を通るだろう" である。寺山修司の「ロング・グッドバイ」の一節をそのまま、節タイトルに採用させてもらった。  われわれはいつの間に、これほど互いへの「関心」がなくても仕事が出来てしまうほど「最適化」してしまったのだろう。組織アジャイルとは、組織に「関心」を取り戻すための活動と言える。それは、全くもって容易ではなく、至難の挑戦となってしまってい

プロダクトやチームについて仮説を立てるように、進め方自体の仮説 (探索仮説) も立てよう

 課題仮説、ソリューション仮説だと言う前に、現場や組織には「仕事の進め方自体の仮説」が必要なのではないかと思うようになっている。   その行為を「作戦」と称し、その手がかりとなるアウトプットを「仕事の設計図」「線表」と呼んで、実践指導にあたっている。もう少しスマートに呼ぶなら、やはり中身は「計画」ではなく「仮説」であるから、「探索仮説」とでも呼ぶことにしたい。  探索仮説は、WBSでもスケジュールでもロードマップでもない。向かいたい場所、状態に辿り着くための道筋を組み立て