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組織を芯からアジャイルにする

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「組織を芯からアジャイルにする」ために。あなたの居る場所から「回転」を始めよう。
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#正しいものを正しくつくる

その帰り道で、一人何を思うか?

 デブサミに登壇した。  2020年以来のリアル開催ということで、久々の場だった。今回はいつもの雅叙園ではなく、羽田空港。その場の違いがかえって20年前の初回、デブサミ2003を思い起こさせてくれた。  デブサミには他のカンファレンスに比べて、内輪感が少なく感じる。それだけ多種多様なテーマ、人が集まる場になっている、と言える。デブサミは「誰にとってもアウェイ」。20年かけて、参加者、登壇者、コンテンツ委員、スポンサーと一巡してきても、やはりアウェイ。いつまでもアウェイ、そ

「型」と「作戦」と「運用」

 チームや組織で、ある一定期間以上持続に、一つのミッションに向かって動いていく仕事。例えば、プロジェクトとかプロダクト作り、事業運営など。こうした高度なレベルの協働が求められる仕事は、あらゆる観点で難易度が高い。  まずもって、漫然と取り組んでも上手くいかない。ゆえに、「どのように進めるか?」という算段を立て、なおかつ共通理解にすることが前提になる。ところが、この算段・企て・目論見といった観点が弱い、場合によっては無いこともままある。この傾向は組織観点でも現場観点でも、この

そのプロダクト作りの「進め方の仮説」は立っているか?

 「スケジュール」というものを再考してみよう。スケジュールは必要だろうか、それとも不要だろうか。 スケジュール = 役に立たないもの  あまりスケジュールに良い印象を持っている人は少ないかもしれない。過去の体験から「厳しい締め切り」「終わりの見えないタスク」などを思い起こすからだろうか。あるいは、スケジュールによって仕事の進め方が固定化されてしまい、かえってやりにくさを感じるからだろうか。  ひとたびスケジュールを細かく記述したところで、やっていることが変わることがあるか

なぜ、アジャイルに仮説検証を含めるのか

 書籍「正しいものを正しくつくる」で、仮説検証型アジャイル開発について言語化し、整理している。  なぜ、仮説検証を強調し、アジャイル開発と連動したスタイルを提案するに至ったのか。あらためて、整理をしてみる。観点として「解くべき問題の設定」と「解決手段の構築」の2つを用いる。  さっそく、結論はこのとおり。  解くべき問題が分かっているか? 解決手段は決められるのか?の回答に基づき、方法を選択する。解くべき問題は分かっているし、解決手段も考えたらあらかじめ決められる場合は

価値をつくるのか? vs 組織をつくるのか?

 組織で新たな取り組みを始めようとする。例えば、これまでの事業領域を越えて、新たな価値を創出するための探索的なプロジェクトや組織を立ち上げようと。こうした動き自体はとても良い、というか、こうした動き出しを作るために現代組織では相当なる労力を必要とする。だからこそ、この "灯火" ともいうべき動きを丁寧に扱わなければならない。そうチャンスは多くない。  ところが、この手の動きで直面する一つの事象がある。それはいつの間にか論点が「組織構造」にフォーカスがあたり、そこから抜け出せ

探索とは、知ること (差分型、越境型、探検型)

 たいていの組織において、探索する機会が不足している。「探索適応欠乏症」はいかなる事業にも起こる。事業の継続自体が「目の前のこと」への最適化を自ずと強いることになるからだ。だからこそ、探索と適応を事業、組織を選ばず、強調することになる。  デジタルトランスフォーメーションによる混乱が最盛期にあった頃は、私も探索適応は取り入れる領域は「絞るべきだ」と主張した。「組織の隅々まで、探索せよ」というのは、そのケイパビリティもろくにないところでは土台現実に欠ける話だった。トライアルを

「整合を取ろうとしてみる」ことで、必要な「変化の段階」に気付ける

 先日の「シン・正しいものを正しくつくる」でコンセプトにおいたのは「整合を取る」ということだった。  左に仕様、右にソフトウェア。  左に仮説、右にプロダクト。  左に人材モデル、右側に育成施策。  左右の整合を取る、取れるように左側を見出し、あるいは右側の実現に注力する。得てして、左が整っていないのに、右側だけを思い込みや深く考えずの取り組みだけで進め、期待外れになる。だからといって左側が大事だからと莫大な時間を投じたところで、正解に辿り着けるわけでもなく。やはり結果は

あなたが組織の一員であれば、自分自身がその「プロダクト」のユーザーになる

 プロダクトを生み出すこと。10年、20年この手の仕事に関わっていても「発見」がある。面白いと思う。「人の営み」こそが一番分からなくて、常に仮説と挑戦が求められ、また学べる行為なのだろう。  「プロダクト」は「人の営み」にまつわり("使う人" と "作る人" 両者にまつわる)、その役割として何らかの価値の生み出しが期待される。探求を重ねても分からないことが現れてくる。奥深い。  何らかのプロダクトを「作る」ということにどれほどの意義があるのか。もう何年か前に辿り着いているこ

人のすばらしさは、状況は変えられるという「越境」を信じられるところに、きっとある。

 一年を振り返って、白黒の星取表を作ったとする。そうして、どれだけ自分自身やクライアント組織が思うようにできたか、成果をあげることができたかを想像してみる。  2022年は果たしてどうだったか。印象としては一進一退。おそらく、白星、黒星は拮抗しているに違いない。組織変革の遠さを途方もなく感じるときは数知れず。一方で、思いがけない突破や前進を得られたときもまた、存在する。  とはいえ、あまり分は良くないだろうと想像する。一日一日目一杯の労力を注ぎ込み、その結果としてどうか?