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何かしらを「一人から始める」ための学習プロセス

 「方向付け」という言葉を調べ直していたたまたま、エンゲストロームの学習プロセスに関する資料を発見した。そこでは方向付けの前に「動機付け」がある。なるほど、まず学習の動機に自分の白黒をつけよ、ということか。

 意識的に動機付けに繋がりそうな事案や場面に自分を漂わせることは大事だ。なにしろ自分の関心や得意なことしか視界にいれているヒマはない、というのは私だけではないはずだ。無意識のバイアスで自分を操りきらないように、想定外の行為に踏み出そう。

 というのはありつつ、「動機付け」が学習プロセスの最初に来るのは、個人的にはあまりフィット感がない。てっとり早く自分に向き合うことでも、いろいろと気づくことはある。自分の声に耳を傾けるために、あえて日記を書くのも良い(という話をXP祭りでした)。

 「自分の意志を知る」ことから始めるとどんなイメージになるだろう。

何かしらを「一人から始める」ための学習プロセス

 こんな感じになった。要点は、仮説を立てることじゃないかな。いきなり、知識学習を始める前に。解くべき課題は何で、解決策は何がありえるのか、仮説立てる。ここが弱いと、知識に振り回される。

 そう、「知識学習」が強調されているのに、あたまデッカチ感を感じるかもしれない。でも、世の中には、多くの有用な知識が転がっていますからね。自分が知らんだけで、すでに考えてくれている人たちがいる。結構、都合良くできていますよ、世界。

 概念の再発明的に「自分の頭で考える」ことは極めて大事ではあるものの、無限の時間があるわけではないから、他者の、先人の知恵にあずかりましょう。エンゲストローム先生には本当に感謝であります。

 さて、この学習プロセスがよりフィットするのは、どんなシチュエーションかな。チーム学習というよりは、いつも言っている「一人から始める」に対応する学び方のほうじゃないかな。「一人から始める」心意気であれば、何でも始められて、実践から何でも学べる。一人から始める、最強。

 自分の手元で、学習を回すときの一つのイメージにしたらちょうど良いのではないでしょうか。

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