依存と支配

依存と支配


 前述した通り、不安や恐怖からくる行動によって得られる結果は依存である。これは何も物に限った話ではない。仕事や恋愛相手、酒、たばこ。依存と聞いて思い浮かべるものは沢山ある。


 大事なことはまず自分が何に不安を感じているか。何に依存しているのかを観察して知ることだ。


 多くの人にとって最も身近で不安の種であるのはお金であると思う。お金に不安を抱き、不安から動くことによって、結果としてその解決策に依存し、それを維持するために行動し続ける。このような人生になっていないだろうか。


 そんなこと言ったって働かないと生きていけない。お金がないと不安でしかたない。そう思うのが多くのお金に悩む人の考え方である。


 しかし、これも考え方を変えるだけで同じ行動をとったとしても結果がまるで違ってくる。私は何もお金なんか必要ない。お金のことを考えないほうがいいと推奨しているわけではない。


 言いたいことはいつも同じだ。不安や恐怖から行動してはいけない。


 お金に対する考え方や捉え方を変えることで、ネガティブな結果にエネルギーを送るのを止め、ポジティブな結果にエネルギーを送ることになる。


 お金が入ってくることで、ご飯が食べられるし、家も借りられる。服も買える。もっと稼げば、娯楽にも使える。お金がないことによって生まれる悪い結果にフォーカスするのではなく、お金があることによって生まれる良い結果にフォーカスする。ただそれだけのことを推奨している。


 考え方を変えていくというのは決して難しい作業ではない。今すぐに始められるし、場所も時間も問わない。当たり前だと思っている状態にも感謝できる部分は無数にある。


 お金がなくなったら不安だ。だから身を削って働かなければならない、と言ってお金を稼ぐのではなく。お金を稼ぐことで可能性が広がる。ちゃんとした生活ができる。自分のやりたいことができる。そうやっていい部分にフォーカスして行動する。


 不安から行動すれば依存に繋がる。始めた仕事がどんなに自分に合っていなくても、辞めることでお金が無くなる不安によって辞められない。次の仕事が見つからなかったらと不安で辞められない。


 合わないな、自分がやりたいと思わないなと思ってすぐに転職できる人はどうだろうか。何にフォーカスしているだろうか。


もっと自分にあった職場があるはずだ。その職場で働けば自分はもっと輝ける。もっとお金が稼げてやりたいことができる。いい暮らしができると前向きで、良い結果にフォーカスしている。


 転職にしたって今の仕事が不安で不安で次の仕事を探すのと、さきほど言ったように良い結果を思考して行動するのではどうだろうか。


もし再就職が決まって安心したとして、また次の職場に勤めたとして、そこでも同じ不安を抱いてしまわないだろうか。


同じような理由で辞めてしまわないだろうか。その不安は再就職によって完全に消え去るのだろうか。


 不安を消すには考え方を変えるしかない。悪い結果やネガティブな思考にエネルギーを注ぐと、それが潜在意識を通してあなたの行動にしっかりと反映される。


同じような思考や考え方を持っている人たちが集まる。不満や愚痴ばかり毎日言っている人たちはコミュニティを築いていないだろうか。


ポジティブな思考で生きている人は逆にそう言ったコミュニティにはいられない。ポジティブな人はポジティブな人を呼び集まる。


 類は友を呼ぶとはそういう意味である。引き寄せの法則とはそう言った同じ思考、同じ考え方の人たちが引かれ合って集まる作用のことを表している。


 世の中は不安を煽り依存させることで成立しているビジネスや宗教、宗教もいまやビジネスであるが、企業の広告に支配されているメディアもそうだ。国家に利用されているあらゆる媒体も同じである。


 皆声を揃えてあなたに言ってきてはいまいか。老後は何千万円とかかるから不安ですよね。今すぐこれを始めましょう。健康に不安がありますよね、これを毎日飲みましょう。事故にあったら大変ですよね、こんな保険があります。上げれば切りがない。


 会社の上司はこういわないだろうか、来週の査定がある。頑張らないとリストラされる。会社の業績が悪い、みんなで頑張らないと会社が潰れる。この仕事がとれなかったら終わりだ。お前責任が取れるのか。

 そう言って依存させ、不安を解消するために行動してはいないだろうか。


 親にしたってそうだ。勉強しないと将来まともな生活ができないよ。これができないとみんなに置いて行かれる。お前はこんなこともできないのか。何の職業にもつけないぞ。ゲームばかりやっていたら目が悪くなるよ。


 これらはみな呪いの言葉だ。私はテレビやゲームなどデジタルの画面を見ると目が悪くなる目が悪くなるとさんざん言われてきた。その呪いの言葉はしっかりと潜在意識に刻まれている。


当時、書籍かテレビかの情報でそんな根拠はないと頑なに親の言葉を信じなかった兄は未だに視力が落ちていない。ゲーム業界に入って毎日モニターを見続け、家に帰ってもゲームをしている兄がである。


 潜在意識にいつそういった言葉が刻まれるのか。


それは信じたときだ。


これは大事なことなのでもう一度言う。潜在意識にいつ言葉や考え方が刻まれるのか。それはそれを信じた時だ。


子供を持つ親は注意して子供に言葉をかけてほしいと思う。子供は信頼している人の言葉を信じる。親に限った話ではないが、やはり親の存在というのは大きい。


 お前はできない子だ。役にたたないね。といつも言われるとそれが呪いの言葉となって心の奥に刻まれてしまう。その言葉を信じてしまう。


そして思い込みとなり、自分はできない子で、役に立たない人間なのだと無意識に思ってしまう。その原因である親の言葉は静かに忘れ、その潜在意識だけが残るのである。


 そして潜在意識の恐ろしいところは、無意識にその思考を持って日々行動してしまうということだ。意識しないでも、自分をダメなほうに、ダメになるほうに向かって行動してしまう。役に立てそうな場所でも、役に立たないように無意識に行動し、役に立たない自分を無意識に作り上げてしまう。


 大人になってから「どうして自分はいつもダメなんだ。どうして大事なところでこうなんだ」「どうしてこれはできるのに、これはできないんだ」「どうして異性に対してこうなってしまうんだ」


 そう言ったことがないだろうか。それは無意識にやってしまっているということだ。刻まれている潜在意識があなたを無意識に動かし行動することで結果となって現実になってしまっていることだ。


 どうしてなのかわからないのは忘れているからだ。信じた言葉を、何を信じたのかすら覚えていない。しっかりと覚えているのは潜在意識だけで、意識することすらできなくなってしまった。そんな状態である。


 多くの人が不安と恐怖によって利益を得ようとする企業や集団、宗教、国家によって支配されている。人は恐怖と不安を使って相手を支配しようとする。それを子供のころからの経験で覚える。


 このことに気づける人は多くはない。私の周りにいる親で子供を否定せず、呪いの言葉を発していない人を見たことがない。


意識しないでそれができるような人を見たことがない。ただ大きな成功を掴んでいるスポーツ選手やトッププレイヤーの親やコーチなどの話を聞くと、やはりこのことを理解している人が多いように思う。


 否定的な言葉を言わないように常に心掛けていて、それが癖になっている。


 最初は意識しないとできないかもしれないが、トライしてみてほしい。不安や恐怖にフォーカスするのではなく。良い結果、感謝できること尊敬できること、幸福を感じることにフォーカスしてみてほしい。そして人に発する言葉に注意してほしい。相手が言ってくる言葉に注意してほしい。


 私は常に何かネガティブな思考になりそうな事が起こったり考えが浮かんだとき、それをどうポジティブな見方ができるかを常に考えている。


 風邪をひいたときも、私は自分の体が悪いものを外に出そうとしていると思っている。自分の自浄作用に感謝する。頑張りすぎていたのかもしれない。ゆっくりと休もう。体を休めようと考える。


 そしてどのように感謝するかを考えている。当たり前だと思っていることに感謝をする。ご飯が食べられることに感謝する。布団でゆっくりと眠れることに感謝する。子供たちが生きていること。自分の元にいてくれることに感謝する。生活ができる仕事に感謝する。


 そして自分に何が与えられるかを考えている。私が探求してきた引き寄せの法則や、思考は現実化する。意識と無意識。潜在意識。様々な本を読み、考え、気づいたこと。わかったこと。それを伝えることができる。


 多くの人が潜在意識と意識の関係を知らないで、不安や恐怖に支配されて生活している。考え方を変え潜在意識を書き換えていけば、素晴らしい幸福で希望に満ちた生活ができる。


 不安を煽る広告や人に注意してほしい。あなたを心配していると言っているが、不安をあなたに植え付けている。無意識に相手を支配しようとしている。それがマニュアル化され、当たり前のように行われている。


 こうやって相手を不安にさせて解決策として商品を紹介するんだよ、と、相手を不安にさせて解決策として私がいるんだよというと、その人は商品を買い、あなたの言うことをきくようになる。そう言ってくる人たちは周りにいないだろうか。探さなくても沢山いる。もしかしたら無意識に、支配しようとしているわけではないのに、自分も誰かにそうしている人も多いのではないだろうか。


 それは人を操って、自分の思い通りの結果や利益を得ていることに他ならない。それは真の愛情ではない。


 お金がないといい生活はできないよ、でも僕がいればできる。これも支配だ。お金や生活の不安を煽り、自分に依存させ支配しようとしている行為だ。それは愛情ではない。支配することで得られるものがあるから支配する。


 何も得られないのに支配する人はいない。ドブに住んでるネズミを捕まえて調教しようと思うだろうか。


 子供に不安や恐怖を与えて言うことを聞かそうとするのは支配である。私は心配という言葉には必ず心配している人の問題や課題があることに気づいた。


 これは考えていると複雑で難しい問題だった。心配とは愛情であるか。相手を不安にさせる心配とは相手のための行動なのか。


 とてもありふれた行動である。愛する人を心配して起こす行動。不安からくる行動である。良かれと思ってやる行動である。


しかし考えを巡らせると、それもやはり良い結果にフォーカスするほうが良い結果を生むことに繋がる。


事故を心配する行動は事故を起こすことにフォーカスしていることに変わりはない。それを相手に伝えることは相手にも事故にあう不安を与え増大させることに他ならない。


 考え方の問題であるし伝え方の問題である。


 心配については長くなるので次回に語ることにする。

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