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「奇特な病院」踏ん張りたいとき科

※連作短編小説ですが、1話でも完結しています。

第3外来:踏ん張りたいとき科(担当医 牛尾ミキ)

 そもそも人を励ますなんてお金でももらわなくちゃ、こっちから、進んでやらない。
 重い腰を上げて、お金もらえるからやってる。はずだった。
 入学、新生活、新しい職場や出世争い。
 ここが踏ん張りどきだと考えるときにあったらいいなと院長が考えた科らしいけど、応援するのは、女性がいいだろうってことで私が選ばれた。
 安易よね。女性だから励ましてくれるだろうって。甘い。
 でも、私は、ある瞬間から踏ん張りたい人を励ますことに喜びを覚えるようになった。
 きっかけは、ささいなことだった。
 この科を立ち上げるときに、どういうときにこの科が必要になるだろうと想像して、私が電話応対も可というアイデアを出した。
 踏ん張りたいときは、なまものだから、まさにその踏ん張りたいその瞬間に声をかけて欲しいのではないかと思った。
 だから、私は、相談を問診と電話対応で受けつけることにしたわ。
 あらかじめ問診票に答えてもらうんだけど、ある程度定型文を作った。
「がんばれ」
「今、立ち上がるのよ」
「あなたならできるわ」
「あなたの実力をみんなに見せてあげましょう」
 いくつかの定型文の中から選んでもらっておくの。
 さぁ、電話がかかってくるわ。あらかじめ番号を登録しておくので、名前だけはすぐわかるようになっている。
「ヒロシさん、あなたならできるわ」
 そう伝えた瞬間、
「僕、頑張ります」
 とその男性は答えた。
「落ち着いて。深呼吸が大事よ」
 私って口から生まれたのかしら。するすると励ましの言葉が出てくるの。
 私は、この科に向いているんだと思ったわ。
 定型文も使いつつ、毎度オリジナルで答えるようになると、同じ患者さんから何度も電話が来るようになった。この人は随分、踏ん張りたいときが続くのねと思ったわ。
 生きていくのってみんな大変なんだわ。
 その中で一人、患者さんの中でもとても印象に残った人がいたわ。浦瀬さんという男性だった。
 問診票には、引っ越し、転職、親の介護、自分のがんが見つかって、とても大変だけど、生きていかなくちゃいけないから、ここで踏ん張りたいんだと書いてあった。
 私は、この科を受け持つようになって、不幸と呼ばれる出来事たちが、程よいタイミングで来てくれればいいけど、大抵の場合、追い打ちをかけるように次々と降り注ぐものなのだと感じるようになった。
 浦瀬さんの選んだ定型文は、
「がんばれ」
 だった。
 電話がかかってきたとき、私はとっさに、
「ちゃんと食事を取っていますか?」
 と聞いた。
 浦瀬さんは、しばしの沈黙の後、こう続けた。
「私の食事のことなど誰も聞いてくれなかった。ありがとう」
 私は、そこで渾身の「がんばれ」を送った。
 浦瀬さんは、私の「がんばれ」の後、少し間を置いてから、電話を切った。
 浦瀬さんのその後のことは知らない。
 踏ん張りたいとき、励ましてほしいとき、本当は、私に電話をかける前に、そばにいる人に相談できたならいいのにと対応しながら思う。
 でも、今日も私の電話は鳴る。
 私は、私なりの誠意で答える。

 お大事に。

(第4外来は、失敗したくない科です)

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