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書く、という自分への愛の行動


理解して欲しい、という気持ち


「どうしてこの人はわたしの気持ちを理解してくれないのだろう」
「誰もわたしの気持ちを理解してくれない」

こんな風に感じたことは一度もない、という方はほとんどおられないのではないかと思います。

あるいは、さして親しくない人や、関係性の遠い人にはそこまでこういった感情を抱かないけれど、親しく近い間柄、あるいは好意を持つの存在に対しては抱いてしまうという方も少なくないのではないかと思います。

かく言うわたしは情けないことに、「誰もわたしの気持ちなんて分かってくれない」と感じてしまうことがいまだによくあります。

理解されたと感じた時、人はもっとも相手から愛されていると感じられる、理解するのは最大の愛というような趣旨のことを何度か耳にしたことがあります。

人によりけり、状況によりけりもあるのかもしれませんが、この『自分は理解されている』と感じられたときに与えられる自分の存在ごと肯定してもらったような、深い安心感、安堵感の大きさは疑う余地がないでしょう。

また非行や犯罪という『困ったこと』に手を染めてしまう方々の心の奥底には、この「誰もこの社会で自分の辛さや苦しみを理解してくれる人がいない!!」という痛烈な孤独感と絶望感の入り混じる心の叫びがあるであろうことを、少なくとも心に留めておきたいと個人的には考えています。

いずれにせよ、先程も書きましたが『理解』というのは、理解されたと感じた時、人は相手から愛されていると感じられるような根源的な要求である、というなかで、悲しいかないつもそんなに自分の想いを理解してくれる人がいるとも限らずこの世でひとりぼっちな気持ちになってしまうこともあるかもしれません。

結局は自分が自分を理解してあげること、これに尽きるのだと思います。

ただ子供時代に周りの大人から『理解してもらう』体験をたくさんできた方、周りの大人が自分の気持ちに否定されることなく耳を傾けられてきた体験がたくさんある方ほど、大人になったとき周りが自分にしてくれた気持ちを受け止めて『理解』してあげることが、意識することなく自分で自分にしてあげることができるが故に、さらに自分を理解してくれる人に囲まれやすいという傾向があります。
逆に子供の時にそういった環境になかった方ほど、大人になった時に自分の気持ちを自分で受け止め『理解』してあげるということが難しくなり、その自分で自分を理解してあげる力を後天的に育ててあげる必要があることが多いのではないかと思います。(わたしはこの理不尽さに打ちのめされたことも多々ありましたし、いまだにはとしたきっかけでそういう悲しみが出てきてしまうときは、その悲しみさえもノートなどにそのまま書いています)

そんなこと分かってる!じゃあどうやって??と途方にくれたり、散々取り組んできたけど、なかなか。。という方もいらっしゃるかもしれません。

嘘偽りない気持ちを認め、さらに的確な言葉を見つけてあげる

その育てるひとつの方法が、『自分の気持ちを書く』ということだと思っています。
ちなみにここでいう書くは、ブログやSNSではなく自分しか見ない紙媒体に書くことです。人が見るとなると、書けないことが出てきますから。

まずはどんな醜い言葉、恐ろしい言葉、ネガティヴな言葉も書く。

自分の気持ちを嘘偽りなく書けるということは、その気持ちが存在することを許せているということ、つまりそんな気持ちを抱く自分ごと「そんな風に感じることもあるよね」と受容してあげていることになりますから。

その上で、自分の気持ちをより的確に表せる言葉を選ぶことを意識して書いてみる。

的確な言葉を選べるということは、それだけ自分の気持ちを具体的に理解してあげられているということ。
(例えばモヤモヤするなら、どうモヤモヤするのか何にモヤモヤするのか、モヤモヤの一段下にある気持ちは何かかなど解像度を上げていくことは、つまり自分の気持ちの理解度が上がってるということで、そこからさらにモヤモヤより的確な言葉で表現できたら、さらに自分の気持ちをしっかり理解してあげていることになります。)

つまり書けている時点で、どんな感情を持つ自分のことも受容し、さらにその言葉が的確であればあふほど、自分の気持ちを理解してあげることができているということです。
そしてその的確な言葉を探そうとする=自分を理解してあげようとしていること。

「わたしの気持ちをわかって欲しい」

それを自分でしてあげる。

もちろん書かない方法もあるかと思いますし、そもそも書くという行動を起こす気力さえないときは無理に書かなくてもいいのではと個人的には思います(そしてそんな時こそフラワーエッセンスがおすすめ)。

でも大切な人の辛さを無条件に受け止め、少しでも理解しようとするように、自分の辛さを無条件に受け止め、少しでも詳細に理解してあげようとする。書くということは、そんな自分への愛を具体的な行動として落とし込んだカタチであり、自分を愛する具体的な行為、なのではないかと思います。

ねこちゃんはどんな感情も否定せずダーラダラ

自分を愛する具体的な行動

『自分を愛することが大切』

耳にタコができるほど聞いたことがある!そう言われても、じゃあそれってどうするの?
とわたし自身長らく感じていました。

自分を受容するってどうやるの?
自分を許すってどうやるの?
自分を愛するって具体的に何したらいいか教えて。

愛するという言葉がフワッとしすぎて、よく分からなくて、様々なことをわたし自身試してきました。

『自分の気持ちを嘘偽らず紙に書く、なるべく自分の気持ちを的確に表す言葉を選んであげる。』

これはひとつの具体的な答えかと思います。

書か方のテクニックなど、色々方法があるようなので、自分に合う無理なくできる方法を見つけてあげられるといいかもしれません。

『文字』というものを生み出してくれた先人のみなさまに感謝ですね。


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