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[生徒更新]やらないとやっぱりわからない

今回の内容は2019/6/24の振り返りになっています。何故振り返りをするのか等は過去のブログ(下記記事)に書いてありますので、そちらを参照していただけると幸いです。また、今回の記事は昨日の記事の続きになっておりますので、そちらも参照していただけると幸いです。

昨日のブログに書いたMさんがやっていた工夫を真似てみよと決めたこの一週間。今日はその一日目でした。

まず、起きて初めに取り組んだ作業。それは、英語の長文を解くという行為でした。今までの私の行動だと、まず初めに取り組むことといえば、このブログ記事をつくることからだったので、前夜は自分にMさんと同じような行動ができるのだろうかと不安に思っていました。しかし、朝起きて、どんな行動よりも前に英語を解くということができ、そして、英語長文を解いた後、気づいたことがありました。

それは、一日頑張ろうとポジティブに考えられるようになり、二度寝したいとうう感情が一切湧かず、達成感があったことです。

たった朝の行動を英語長文解くと変えただけでここまで変わるのかと驚きつつ、Mさんはこんなことを誰にも教わらず、自分でやっていたのかとうことへの関心。そして、パラリアトークをしていただいた感謝も同時に考えました。

そして、その影響はその後、常に続きました。朝の[怠い]という感情がなくポジティブになれていたので、例えば電車の中でも、この時間をどう使ったら効率的かというように視野を広げられるようになりました。そして、いつもなら電車の中の時間も[使わなきゃ]というモチベーションだったのに対し、今日は電車の時間も[使うことができる]というように【束縛】という感情が一切ありませんでした。

そして、そのあと30分毎に24時間日記をつけ、勉強していなかった部分を黒く塗りつぶしました。それで分かったこともありました。それは、自分が使えていると感じている時間が客観的に見え、無駄な時間がくっきりと映し出されており、そこだけ塗られいるので,[気持ち悪い]という感情を持ちました。

なので、いつも以上に無駄な時間は過ごさないようにと気を遣うようになりました。たとえば、食事は勉強しながら摂れるのではないか。もしそれが自分に合っていないのだとしたら、その食事をとる時間をもっと短く出来ないのだろうか。どうして、この時間は眠くなってしまったんだろうか。この散歩の時間は運動と集中力の観点から運動を入れているのはいいが、その散歩の時間は散歩しかできないのか。その時間を散歩しながら音読にすることはできないのか。と今まで以上に意欲的に考えることができました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。この続きを明日も書いていきたいと思います。また明日も読んで頂ければ嬉しく思います。

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