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東京外国語大学・3年次編入試験について④

こんにちは。ぱれすぅ〜です。
今日はビバ!2次試験and面接の話です。
私の受験した当時は11月頭だったので、この季節がくると毎度のごとく、外大の落ち葉が風でひらひらと落ちていく風景を思い出します。

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2次試験ですること

これは受験する学部や学科によって変わってくるのですが、言語文化学部の総合文化コース(今はこのコースの分け方が違うので、だいぶ変わっていることが予想されます)では、午前中に語学の試験、昼休みを挟んで個人面接がありました。

語学試験

語学試験(フランス語)に関しては、私の場合一年前から過去問を入手して、在籍していた大学の先生の力を借りて練習していたので思いのほか簡単に感じました。
今手元にその当時のコピーした過去問がないので厳密には確認できないのですが、
最初の大門2つはA4一ページに満たないフランス語の文章を全部和訳するとか、日本語文をフランス語訳するみたいな問題だったと記憶しています。そのあとは、前置詞や抜けやすいようなところの文法問題、あとは作文があったようななかったような…。試験時間は思いのほかたっぷりあって、結構時間が余っていた記憶です。

気をつけなければいけないのは、筆記用具(シャーペンと消しゴム)と時計を必ず持っていくこと。ぱれすぅ〜は置き時計を持っていきましたが、タイムスケジュールがきっちりできました。

※当時の私は仏検2級を持っていて、高校時代に一年フランスにいた時にフランス語を始めた身でした(フランスではA2レベルを取得)。なので、日本的な文法に強いタイプというよりも、文脈やニュアンスでなんとなく見聞きする方が得意だったこともあり、長文読解は結構得意でした。ただ、試験で緊張していたのかフランス語の単語がうまく出てこず、和文仏訳の文章の一部を誤魔化したのを覚えています。
※もちろん、辞書持ち込みは不可です。

また文法に関しては、仏検2級レベルだと大体どういう定型表現が来るかわかるレベルだと思うので、さして難しいとは感じませんでした。

試験対策で主にやっていたことは
・仏検2級の勉強(富田正二著『完全予想仏検2級対策』の本はとても役に立ちました)
・過去問の分析
・Journal en français FacileやTV5 MondeなどのラジオやB1, B2レベルの勉強
あとは
・大学で上位優秀者だったので、大学3年生からの選択授業で最も難関とされている新聞や作文の授業
・その他既習者クラス
をこなしていました。


昼休み

意外にも昼休みって結構大事だなぁとぱれすぅ〜は思います。
というのも、試験会場はとてもピリついているので、飲まれそうになるんです。

そんな時、ぱれすぅ〜がしたこと。
それは、一旦校舎から出て外大の並木道や森にあるベンチに座って木々を眺め、深呼吸をすること。

語学試験は決して絶望するような結果ではありませんでしたが、ぱれすぅ〜は試験会場の空気やその当時のやっちまったこと(後述)によって精神的に追い込まれていました。

しかし、外に出ると思いのほか人はいなくて、そこには枯葉のカサカサ揺れる音が大きく聞こえるほどの静寂。心臓が飛び出そうなほど緊張していた自分のペースを宥めるがごとく、自然は穏やかでした。

ベンチでご飯を食べ終わっている頃には、自分の失敗がなんだろうが面接では思う存分話そうと決心が固まっていました。

面接

指定された面接会場に行くと、各部屋の前にスーツを着た受験生たちがそれぞれ椅子に座って待機していました。
ぱれすぅ〜も10分前行動で試験会場の廊下に置いてあるパイプ椅子に座って待っていました。すると、中から何人か先生が出てきて入れ替わり、しばらくして中へ呼ばれました。
ぱれすぅ〜の時の面接官は3人。(他の人はもっと少なかったらしい)
後になって知ったことですが、そのうち二人はゼミ候補(2つ)で挙げた担当の先生方で、真ん中になぜか当時の言語文化学部学長(ヨーロッパ語圏ではない)でした。
それぞれの先生が端的に専門分野の紹介をした後、面接が本格的に始まったわけですが、先生方は一次試験で出した志望動機・選択コースとその理由・入学後の学修計画・求める語学力の全てをあらかじめ読み込んでおり、思いがけない方角からの質問もありました。それぞれの項目の重箱のすみをつつかれるような感覚です。
ぱれすぅ〜の場合、選択したゼミが相反するものだったため、なぜそのような選択をしたのかを問われ、その後外大ではどのような研究をしたいのか、そのためにどのような経験を欲しているのかを事細かく聞かれました。一次試験のために書いたこととの整合性を意識しながらも、試験までに自分の中で変わったことやこれまでの海外経験を通して感じていることなど、自分のそれまでの人生と学問をつなげるような方向で先生方も納得するように努めました
今考えれば、研究者の視点としては未熟で非常に曖昧な点もありました。例えば、社会的・文化的アプローチで舞踊を研究したいといった趣旨に対して、それは具体的にどのようなことかと質問されたのですが、舞踊学という学問に精通していないアマチュア・ぱれすぅ〜は「これからゼミにて深掘りできるように芸術分野に造詣の深い先生のもとでその方法論を学んで生かしていきたいです」やら、「昔からNHKの映像の世紀を鑑賞することが好きで、あの映像の数々から蘇る歴史的見解を舞踊でもできないかと思っています。具体的には…」やら、「フランスに以前留学した際に…踊りを文字にするためにはたくさんの学問を体系的に、そして世界的に広まっているバレエはフランス語圏に限定せず知っている必要があるので、それをできるのは外大ではないかと思いました」やら、具体的解決策がわかっていない状況やなんとなく自分がしたいと思っている方向性を伝えるので精一杯でした。なので、先生によっては勉強不足と捉えられて落とされていた可能性もあります。
それでも、自分の中にある研究意欲がとある先生の目に留まり、最終的にはその先生のゼミに入れさせてもらえたのです。
この面接はある意味、先生が一緒に研究したいと思える生徒を選ぶ場でもあるなぁと思いました。

失敗談 やっちまった当日

緊張して出かけたぱれすぅ〜。
当時一人暮らしで、外大まで片道1時間半かかるところに住んでいたぱれすぅ〜は頭がボーとした状態で家を出ていました。
つまり、何をやらかしたかというと「服装」です。
試験会場に着くとみんなリクルートスーツを着ていたのですが、こともあろうかぱれすぅ〜は私服で、しかも結構カジュアルで行ってしまいました。
具体的には、ビームスのアウトレットで購入したデニムとカラフルな布を縫い合わせたようなロングスカートに白のボトムス、そして黒の革ジャンと薄茶色の踵高めのブーツ。

はい。
スーツの中にいると超目立ちました。

語学試験の時は周りに数人ジャージの人がいた(たぶんその人たちは面接が別日だった)んですが、面接会場には流石にいなくてとても焦りました。
さらに焦ったのは、面接官のうち、採用してくれたゼミの先生と学部長(いずれも女性)はきっちりスーツを着ていたこと。TPOゼロ感が否めない感じがして緊張しましたが、ここは会社ではなく大学の面接だと振り切って最後まで話しました(黒の革ジャンを着たままだと流石に失礼度が増しそうだったので、面接では脱ぎました)。

卒業後、ゼミの先生と面接当時の話をする機会があったので、その時の服装に関する印象を聞いたのですが、その先生的にはオッケーだったそうです。先生はむしろ大学生感があって具体的に想像ができるからそっちの方が良いみたいなことを言ってましたが、多分芸術のゼミの先生だったから許された部分もあると思います。

個人的はスーツが嫌いで、私服の方が等身大の学生の自分を出しやすいと安易に考えていた部分も確かにあったので、結果論的にはよかったかもですが、現場では結構精神を消耗した記憶が5年経った今も残っていますw

もちろん募集要項には服装の規定はないので基本自由ですが、なるべく正装を心がけた方がいいなぁと思います。

編入試験を受ける人へのメッセージ

今から面接試験を受ける人へ伝えたいこと。それは、やはりマインドの持ち方です。
編入試験においても受験勉強と同様、人生がかかっているという錯覚のもと自分を追い込めてしまう人がいるかと思います。
しかし、それは違います。
ぱれすぅ〜は高校時代から外大に憧れていたタチですが、憧れを先行させるのではなく自分の人生の選択肢の一つとして捉え、常に名声ではなく自分のやりたいことに対する質の向上という目標に向けて行動していました。その行動の方向性は、試験の成功ではなく、試験の合否にかかわらず自分がどうしたいかを臨機応変に対応していける力が問われているんだと思うんです。だから、合格に拘らず、その先を考えるための一つの機会として、試験と向き合って欲しいです。

先生方が編入生に求めているのは、単なる優秀な生徒ではなく、自分の将来を見据えて挑戦する覚悟がある人や外大での学びを糧としていけそうな人、そして先生方が支えたいと思える情熱を持った人などだと思います。
先生方はたくさんの生徒を見てきている立場なので、面接の言動である程度人物像を把握してしまいます。そのため、ネームバリューを第一に考えているタイプも見抜かれてしまう…。

社会的視点などは一旦置いておいて、自分に正直に純粋に何をしたいかをはっきりさせた上で、そのためにどんな活動や能力が必要か、そしてそれをいかに先生や周りの人に理解してもらいサポートしてもらえるか。そういった人間関係を築くことは編入以外でもチャンスがあります(思いがけないとこからやってくることもあります)。だから、受からなかったとしても、その時は先生と縁がなかったんだと思って落ち込まないでください。逆に受かった場合でも、うまくいかず悩む編入生ももちろんいるので、編入に甘んずることなく挑戦を続けていくべし!

以上、元編入生からのラブレター?でした。

いかがだったでしょうか?
ぱれすぅ〜は外大を卒業してはや2年半が過ぎてますが、外大で経験したことや今フランスで経験していることは編入試験時には全く想像できませんでした。
だから、今こうして回想することで、たくさんの感情を思い出しノスタルジーを感じつつ、今でもその感情が生きていることにとても歓喜しています。
もう数年後も何をしているかわからない自分に不安を感じることもありますが、逆にそういう「自由」がある身として今を思う存分挑戦して楽しみたいと思う今日この頃です。
今後、外大時代の話もしていこうと思っている(今のフランスの話もします)ので、興味のある方はぜひ覗いてみてください。
では〜!


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