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フランス語Bébéの日常 Part1

こんにちは〜!ぱれすぅ〜です。
友人の記事に触発されて、私もフランス語の習得にまつわるあれこれを書いてみようかなと思い、筆を取り始めました。

というのも、ぱれすぅ〜は2回のフランス留学を合わせればフランス居住歴3年、語学歴は9年になります。

気づいた時には、長〜いことフランス語をやっている。現地にも住んでるし、ペラペラなんじゃない?と期待される身分になりました。

たしかにフランスに来てから、話す聞くスキルは格段にアップして、日本では触れられないような日常的、あるいは学術的な言葉を覚えてきました。だから少しずつフランス語で会話するのも授業を受けるのも苦ではなくなってきているのは確かです。

しかし、前へ進めば進むほど、私はまだまだペラペラに程遠いと感じてもいるのです。悩みが解消されたと思ったら、次々に課題が振って来ますw

まあ、ぱれすぅ〜という名の通り、ナマケモノな一面もあるので、完璧主義になりすぎずゆるゆるとやっているのが私のフランス語との向き合い方。
マイペースに着実に。
このスタンスのおかげで今もフランス生活を楽しめているのかも(言葉以外でのトラブルが多い国なので、ストレスフルな人もいます)。

フランス語の入り

私は高校時代にパリに留学したのがきっかけでフランス語を始めました。日本ではほとんど習ったことがなかったので、本当にまっさらな状態。
最初は、言葉だけでなく習慣もよくわかってなかったので大変なことがたくさんありました。が、現地人たちの言葉を予測しながらの学びだったので、正確な言葉の理解ではなく雰囲気でフランス人の言葉の使い方や思考回路を掴む作業からの入りでした。
分かんないのが当たり前、分かったらラッキーくらいのスタンスから始まったのがよかったのかもしれません。

また、理解はできても答えられない、自分の意見を言えないストレスは言語学習の上で良いモチベーションになりました。

想像してみてください。

たとえ相手の身振りからなんとなく言いたいことが分かっても、相手は日本人の身振りからの読み取りに慣れておらず、かつ言葉での意思疎通もできない。一方的なフランス語を浴び続けてなんとなく分かっても、その状況すら伝えられない。
相手が待ってくれる人ならまだしも、パリは忙しい人で溢れていて軽くあしらわれることも多々ありました。それでも必死にフランス語を勉強して、「頼るだけではなく相手の言いたげなことも予測して返せる」、つまり、「相手と立場が対等になれるように努力する」、これが語学のモチベーションになりました。
幸運にもホームステイ先のパリジェンヌマダムは待ってくれるし、間違いを一回一回指摘してくれる方だったので、フランス語の勉強はとても助けていただけました。そんなマダムが私に残してくれたお話を今でも覚えてます。

外国語を学ぶ起源は、完璧な文法を理解したり、アルファベットから文章を読み解くことからではない。

私たち日本人が見逃しがちな視点です。
マダムは次のように続けました。

もし集団の中に一人外国人が入った時。アルファベットも辞書もない時代の人たちはどうやってコミュニケーションを取ったのか。それはひたすら、みんなの話を聞きまくって理解しようと努力することから始まっている。その外国人は数年後にはその言語をマスターしている。彼らは文法を知らなくても、文章の構成はいつの間にか理解しているし、辞書で母語と照らし合わせなくても言葉の意味を分かっているんだ。
現代の私たちからすれば、どうして理解できるのか不思議に思うけれど、私たちは日常会話でのコミュニケーションを通して言葉を学ぶ。これが本来の自然な言語学習。だから、習得を焦らず、周りをよく見渡して。すぐに辞書で調べないで、人の話を最後まで聞こうとしなさい。

パリマダムの言葉:回想

この話を聞いた時、ぱれすぅ〜は受験勉強ではない、本来の言葉を学ぶプロセスにはっとさせられました。勉強というとどうしても正しい文法で正しいフランス語を使える人間が評価されますが、言葉のできるできないは本来それで決まるわけでもありません。
言葉は、目の前の人たちとコミュニケーションを取るための手段の一つです。
外国語名人とは、その国の言葉の認識だけではなく、社会的な共通認識(例えばフランス人独特のジェスチャーや感情論など)をさらっと理解できる人だと思います。つまり、一言一句の和訳だけではなく、その土地の風土や思考回路などの空気(コンテクスト)を読める人間だと思うのです。

外国人はたしかに文法を知らないと文章を組み立てられないから、その勉強をします。しかし、最初から細かいルールを重箱の隅をつつくような感覚でコンプリートするよりも、日常的な「なんでこれは通じなかったんだろう?この身振りはどういうコンテクストから来ているんだろう?」といった疑問の答えとして文法を活用するほうが、より深堀りして言葉を学べます。また、すぐ辞書に頼らず、日々推測と自分の知識を照らし合わせていく忍耐強さこそが、言語や異文化理解において大切ということに気づきました。

その後、ぱれすぅ〜は一年間バレエ学校と語学学校をはしごしつつ、パリ文化や語学学校の同級生たちとの異文化交流を楽しみました。結果として、「フランス語を学ぶ=自分の知らない世界をたくさん知れる場」であると思い、大学でたくさんの教養を身に着けてもう一度渡仏しようと決心。フランス語学科のある大学を受験しました。

大学では、たくさんのフランス語学習者に会いました。ぱれすぅ〜はどちらかと言えば理系脳なので、ある一定のロジックや方式を見つけて、代入する感じで言語を学んでいるタイプです。しかし、大学では息を吸うように上達している人もいてとても興味深かったです。

まとめ

今回は、私のフランス語習得の道の序章について書きました。
フランス語を学ぶという中にも、言語以外の社会文化的側面を肌で感じる必要があることを書いたつもりです。

ここで一つ、私がなぜこの記事のタイトルを「フランス語Bébé」にしたのかについて。

それは昨年、大学でフランス語C1のクラスを受講していたときの会話から来ています。C1となると、言語系統の遠いアジア語圏の学生はほとんどいないのですが、そこまでレベルを上げてきたヨーロッパ語圏の学生が次のようなことを言いました。

一生懸命勉強して上級のクラスに通う今でも、私たちは赤ちゃん(Bébé)言葉を使ってばかりだ。結局は使い慣れた簡単な言葉を羅列して、会話しているに過ぎない。

私はこの言葉に深く共感を覚えました。
このことを説明できている時点で真に赤ちゃん言葉であるとは思わないのですが、日常的にフランス人大学生が使う言葉を聞き続けていると、私が使うフランス語は陳腐な表現ばかりだと思ってしまうのです。
また、そう思うのと同時に、同じ言語系統の人ですらそう思いながら勉強しているという事実に安堵したことも確かです。

冒頭で、フランス語を勉強すればするほど自分がペラペラとほど遠く感じると書きましたが、それを上手く表現しているように思いました。
自分がフランス語の世界で成人するのはまだまだだと思いますが、bébéならではの言語学習に対する考え方や感銘を受けたことはまだたくさんあるので日記がてら残していこうと思います。

次回は日本の大学でフランス語をやっていたときのことをテーマに書く予定です。
お楽しみに!

では〜👋

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