見出し画像

ぱりかん旅21 〜ロシア ヴォルゴグラード編〜

今回の「ぱりかん旅」は過去の旅の中でも思い出深いロシアのヴォルゴグラード編です。後述しますが、ここでは本当にいろいろありました。

ありのまま話していこうと思います。


▼そもそもなぜヴォルゴグラードに遥々やって来たのか?

きっかけは友人の一言でした。

「死ぬまでに巨大な女神像を見たい」

ヴォルゴグラードには大きな女神像が立っていて、友人は死ぬまでにそれを見たかったそうです。それを聞いた私は、「死ぬまでなんて言わず、来年にでも見にいこう」と思い立ち、10連休にドイツ・ロシア旅を計画しました。

そして、女神像が見れるヴォルゴグラードにやって来たのでした。


▼ミュンヘン→ヴォルゴグラードへ

ドイツのミュンヘン空港から、ロシアのモスクワを経由して到着。

画像1

深夜12時を過ぎていたかな、真っ暗な中に到着しました。ホテルのスタッフが空港まで迎えに来てくれたので車で向かいます。

画像62

チェックインし、その日はすぐ眠りました。


▼ヴォルゴグラード観光

翌朝、女神像へ向かいます。

画像63

車で30分ほどかけて到着。

画像3

「おお!なにこのドラクエ感」

ポケモンのチャンピオンズリーグで四天王を倒して、チャンピオンへ近づくかのような道を歩いて行きます。心が高揚しているのを感じていました。

真っ直ぐ歩いていると・・・

画像4

屈強な戦士に出会います。
手に持っているのは、銃と手榴弾のようです。

階段を登って行きます。

画像5

左右の壁を見ると

画像6

画像7

多くの兵士達の顔が彫られています。

このあたりから空気が少しずつ変わってきます。

画像9

戦争のワンシーンを切り取ったような像がたくさん立ち並びます。

目の前に大きな入り口が見えてきました。

画像10

壁には共産主義思想を感じる絵が彫られています。

画像11

画像12

先ほどの入り口に入ります。

画像17

ここは「永遠の炎」と呼ばれる場所。
スターリングラードの攻防戦で亡くなったソ連軍兵士を慰霊する記念堂です。

画像18

画像21

壁には数えきれないほどの戦死者の名前が刻まれています。

画像16

炎の周りをぐるりと一周する形で進んでいきます。

兵士達の姿も見ることができました。

画像14

画像15

ロシア軍式でしょうか?統率の取れたステップでゆっくりと進んでいきます。

さぁ、像までかなり近づきました。

画像19

画像20

「祖国の女神像(ママエフ・クルガン)」と呼ばれるこの像は人工の丘の上に立っています。この下には34,005人の兵士が眠っているそうです。そんなことを知ると、色々と考えてしまいます。

来るまではもっとはしゃぐのかななんて思っていたのですが、ここに来るまでに見た数多くのモニュメントによってそんな気持ちにはなりませんでした。ここはそんな場所でないと思ったんですね。


画像22

「全聖人協会」にも到着しました。
戦時中、この場所は遺体だらけになったそうです。そのため「血の床」とも伝えられることがあるのだとか。

画像23

銃弾の跡が残っていたりします。

慰霊碑も近くにあります。

画像24

画像25

画像26

画像27

画像28

この丘でどれだけ悲惨な戦いが行われたんだろう、現地に来てみるとどうしてもそんなことを考えてしまいます。

朝からロクにご飯を食べてないため、昼飯に向かいます。

画像62

画像30

画像31

これが本当〜に遠かった。
ロシアって広大な土地を持っている分、建物同士の距離がやたらと遠いんですよね。昼食はショッピングモールでハンバーガーを食べて休憩も取りました。

画像62

「パブロフの家」に移動します。

画像63

画像33

画像33

ここはスターリングラード攻防戦で激戦区となったアパートです。

1942年9月、ドイツ軍がこの建物を攻撃したため、ロシア軍のパヴロフ部隊がこの場所を守ることになりました。ドイツ軍は何度も何度もこの建物を攻撃、それでもパヴロフはこの建物を死守したそうです。その時、ロシアの住民はずっと暮らしていたそうです。

近くの「ヴォルゴグラード戦争博物館」に行きます。

画像34

画像36

画像37

画像38

軍服や武器などが所狭しと展示されています。

画像39

画像40

画像41

当時使用された広告でしょうか。

画像42

画像43

小さな模型もあります。

画像44

一番左が有名なスターリンですね。スターリンは片手をコートに入れる習慣があったそうです。

画像45

画像46

一番上の階には当時の様子を再現したパノラマがあり、360度見渡すことができます。ここに立っていると、タイムスリップしたかのような気持ちになります。

私は彼ら一人一人がどんな想いでこの戦いに臨んでいたのかを写真から汲み取ろうとじっと見つめていました。

画像47

画像48

ヤルタ会談の様子を再現した銅像もあります。

画像49

外には戦車も展示されています。

画像35

「この先からたくさんのドイツ軍が押し寄せてきたんだよな」

世界史の教科書で勉強する「ヴォルゴグラードの戦い」は3行で終わってしまいます。でも、本当はもっと深く考えることがあるんですよね。

時間があったので、他の観光地にも向かいます。

画像50

レーニン像です。
ソ連崩壊についてテレビが報道する時、レーニン像が打ち壊されるシーンが象徴的に放映されますが、ロシアの地方にはまだ多数の像が残されています。それほどまでにレーニンは人々から慕われていたんだとよく分かります。

「ミハイルパニカヘ」という像に行きます。

画像64

画像51

画像52

物凄い飛び出してますね。
日本語でウェブ検索してもほとんど引っかからないのですが、この像は実在の英雄をモチーフにしたものだそうです。ドイツ軍のタンクの中に爆弾を抱えて身を投げたそうです。すごい勇気ですね。。。

夕暮れ時になったので、今一度女神像にやってきました。

画像65

画像53

画像54

朝来たときは曇っていたのですが、今は晴れてより美しいです。

そこから美味しいレストランを探して歩き出します。

画像66

画像55

画像56

近くにロシアオリンピックで使用された会場もあり、この辺りの道は綺麗に整備されています。

画像57

一番奥まで到着しました。

でも、「レストランがない・・・」

仕方なく今来た道を引き返しました。
今度はしっかり事前に調べてから向かいました。

画像67

「ポビェダ」というレストランに到着。

画像58

画像59

ここはめっちゃオシャレな雰囲気で、料理も美味しかった!

満足した私たちはホテルに帰る前に食料調達しようと思い、スーパーを探しました。

画像68

めちゃめちゃ遠かったんです・・・。途中夜の女神像をパシャリしときました。

画像60

飲み物を買い足し、いざホテルに戻ろうと思います。

でもいくら待ってもタクシーは止まらない。タクシーは時折通るのですが、どれも止まってくれません。そういう道路なのかもしれない。ヴォルゴグラードの交通事情も何もわからない私たちはひたすら耐えるだけです。

20分ほど粘ったがどうしようもないので、先ほどのレストランに戻りました。

画像69

もう、身体は疲れ果てています。

かろうじてレストランは開いてたため、オーナーに事情を伝えタクシーを呼んでもらおうとしていると・・・その前に友人がタクシーを捕まえてくれました。

なんとか救われた私たちはすぐにホテルに戻ります。時刻は既に9時ごろだったと思います。

画像70

でもここで問題が発生。

「どれが自分たちのホテルかわからない」

ホテルと言ってもただのアパートメント、周りには似た建物がたくさんあってどれが正しいかわかりません。しかし、友人がしっかりと記憶してくれました。この時ほど感謝したことはありませんw

「やっと帰れる・・・」

と思いドアを開けると、

「開かない!!???」

え、真っ暗な道で急に絶望に襲われました。

スマホの充電は残り2%、尿意が限界に近い・・・

できることはなんでもしました。

オーナーに連絡を取りますが、こちらの意図が伝わりません。近くを通りがかった人に相談しますが、無視されます。

30分ほど粘った時わかったのが、鍵にキーホルダーがついていること。そのキーホルダーがロックを解除するためのものであること。

「そんなこと言ってたかぁ〜〜〜!!!???」

キーホルダーをロックに近づけると、「ピロリン」という音でロックが解除されます。ゼルダの伝説の(めちゃくちゃ悩んだ)謎解きをした気分です。

ただ、結果オーライ。
ホテルに到着した時は、10時を過ぎていました。

疲れ果てたその日は就寝。

翌朝、空港に向かいます。

画像61

こんな場所だったのか…

画像62

空港に続く道は晴れ渡りとても綺麗でした…でも、本当、もう2度とこんな経験したくない笑


▼YouTube

この旅はYouTubeで動画を作ってました。こちらもぜひどうぞー!


つづく

サポート頂いた方にはコメントを返させていただきます。サポート頂けますと幸いです✌️