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「慣れると鈍感になる」にドキッとさせられた最終回の「おっパン」

価値観をアップデートさせてくれるドラマ「おっパン」が最終回を迎えました。

今回は「自分に慣れると鈍感になる」にドキッ。
考えさせられた言葉の数々。。。

もう終わっちゃいましたが、私はまだまだアップデート中です。


慣れて鈍感になると感動を失う?

主人公 沖田誠(原田泰造)の元上司の古池さんは、いわゆる「女はお茶を出すのが当たり前、女は男を立てる」といった古い価値観を若い女性社員に押し付ける昭和オヤジ。

しかし次第に、自らすすんでお茶を入れるなど、価値観をアップデートしてきた人物です。その古池さんが、自分の誕生日を祝ってくれた若い世代の同僚たちを前に言ったセリフが「自分に慣れるな」でした。

人生の醍醐味を味わいたいなら自分に慣れないことだ
慣れて自分も周りの人間も雑に扱わないことだ
向き合って感謝して必要なら謝る------------古池さん

おっパン最終回

慣れると、それが「当たり前」といった態度になって粗末な関係性になりがちだ、ということだと思うのです。

例えば、コロナ禍。
当たり前にあった日常が無くなった時、日常という普通にあったものに多くの人は感謝していました。そして制限が解除されてみんなで自由に会えるようになった時、誰もが、すごく感動し、涙した方もいたと思うんです。ホント、大げさじゃなくてね。嬉しかったと思うんですよね。

あれってまだ一年くらいしか経ってない。

「会って話せた」ことに感謝して、会える人たちに感謝して、草木にも感謝して…。

なのに、私はもう、あの頃の感動や感謝の気持ちを持てなくなっています。人に会うのも日常化しているんですね。

忘れてしまう…というのは人間の本質なのかもしれませんが、「感謝」とか「向き合う」といったものを意識するだけで、人生が豊かになってゆくのだな、と古池さんの言葉で、ハッと気付かされました。

わかった!!生きやすさの正体

古池さんは鈍感についてこうも言ってます。

「鈍感とは生きやすさでもある」と。

「あ、それわかる」と直感的に私、思ったんです。

生きやすさって、理解してもらう とか、寄り添ってもらう といった言葉のイメージってありません?でも、アラフィフになった私は、古池さんの言葉で生きやすさの正体は、「鈍感だ」と思ったんです。

なんか、そっちの方がしっくりきた。

年齢を重ねて、どんどん生きやすくなるのは物事に慣れきって鈍感になるからなのだ、と思いました。

もしかしたら、私と同じ感想の方もいるかもしれませんね。

価値観をアップデートして分かったのは、これからの生き方だった

最終回の「おっパン」は、私の幸せについても考えを深めました。そして深堀りすると、「どう生きてゆきたいのか?」にもつながってきました。

第一話の「おっパン」の感想は、その時の私の価値観について自由に書かせてもらいましたが、

最終回を見終えると、価値観のアップデートというよりも「人生、どう生きたら自分らしいか?」とか、「どう生きれば幸せなのか?」といった哲学的な趣も深まりました。

価値観の違う人を説得したり、世間の物分かりの良さを批判したり、様々な側面をドラマを通じて自身の内面に落とし込む日もありましたが、大事なのは、その都度、感謝したり、向き合うことで徐々に人間らしさ、自分らしさも磨かれてゆくのだな、と見えてきたことです。

これまで身に付けてきた習性を簡単には変えられなかったりもするのですが、諦めなければ、相手の傷付きにも気付く瞬間があるのだな、と。

例えば、主人公の沖田が、大地くんに第一話で言い放った「ゲイがうつる!」。大地くんはそれを笑い飛ばして「(ゲイは)風邪じゃないのでうつりませんよ」と言ったシーン。

最終回、沖田はそれを回想し、「(僕の言葉を)笑い飛ばすまでの間、大地くんがどれだけ泣いてきただろう…に気付いた」と言ってましたね。

アップデートしたことで、自分の鈍感さに気付いて改める。それは、とても気付きにくいけど、相手の痛みに気付けた沖田が、すごくカッコ良かったですね。

「おっパン」は、世代間のギャップを縮めるヒントにもなりました。

シーズンⅡとかやって欲しいな~。


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