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PARK GALLERY で開催中の『青展2020』に寄せて

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青展もこの週末で終わってしまいます。あっという間ですね。この週末を少しでも楽しんでもらうために、青展について少し書こうと思います。

まず、ぼくが『青』を強烈に認識したのは海でも空でも映画でもなく、山形の田舎の、雪の積もった冬の夜でした。高校の時かな、絵を描いたり、文章を書いたり、写真を撮ったり、楽器を弾いたり、映画を撮ったり、劇団を立ち上げて舞台を作ったりと、とにかくものづくりが好きでしたから、とにかく「何者か」になりたい自分がいて、でも理想の自分像にはとうてい自分が重ならなくて、ただひたすら自問自答をしながら、その日に浮かんだ言葉を詩にしたりしていました。何を作っても、吐き出しても、よく見えない。へたくそでいやになりました。ある日の夜、将来のことが不安で、山形のど田舎から抜け出したくて、もやもやしてイライラしていよいよ眠れなくて、コンビニで酒とたばこを買って(👈 ダメッ)、雪の積もる大きな公園の滑り台の上に立ち、寒さに震えながらワンワン泣いたことがありました。ああいう時って全然寒くないんですよね。

さんざん泣ききって、それでもやるしかないんだと、明日はちゃんと来る、と、目を開けた時に、あたり一面が青いことに気が付いたんですよね。たぶん、物理的に、月明かりが雪を照らして反射させて、夜を明るく照らしてたっていうのもあると思うのだけれど、目の前にこんなに美しい青色があるのに、なぜ全く気づくことができなかったんだろうと。この青をいつか自分の手で表現してやると、演劇の才能を評価されて学校から推薦をもらっていたけれど、それを蹴っ飛ばして、映画の業界に進むと決めたんでした。諦めていまここにいますが。あの時、青は黙って青らしくあるべき、という世界から脱却したような気分がしましたね。自分らしさを武器にしたというか。雑誌の中の、映画の中の、小説の中の、音楽の中の誰かになる必要なんてまったくなくて、僕が僕として生きることでしか、表現にならないんだとわかった時でした。今ならわかるけれど。

東京に来てからも様々な青を見てきたと思います。美しい青だけではなく深く悲しい深海のような青も、突き抜けるようなブルーハワイみたいな青も。朝にも昼にも夜にも、真夜中にも夜明け前にも、どんな時間帯にも青は潜んでいてずっとこっちを見てる。自分の気持ち次第で連れ出して、眺めることができる自分の心の中だけの世界の色なんですよね。もちろん物理的な青も好きだけれど。クリストファー・ドイルの青がいいですよね。やっぱり。

で、青から浮かび上がってくる感情っていうのは、十人十色で、それぞれの作家が、どういう感情で青を連れ出してくるのか、そういうのを見たくて、企画しているんだと思います。あと、あの時に見た青い夢を、自分は志半ばで諦めてしまったけれど、誰かに代わりに表現してもらおうと企んでいるんだと思います。まだあの時の青には会えていないけれど、今年もすばらしい青が立ち並んでいると思います。

展示されている作品は、どれも『感情』という部屋の中から、『青』を連れ出す作業を経たものだと思います。そういった視点で並んだ青を眺めれば、絵も、写真も、誰かの視点であり、感情に見えてきます。

自分の中の美しい青の感情と、シンクロする作品を探してみるとか、まったく自分の中にない青もあるかもしれません。そういうふうに作品を見てみると、この週末はもう少し奥深く、楽しめるかもしれません。

最後の最後まで、みなさまのご来店を心待ちにしております。

PARK GALLERY 加藤


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