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10. 煙草を吸う曾お婆さん・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな

「メフィストフェレス
それは少しばかりの真理を申したのです。
人間は、気まぐれの小天地をなしていて、
大抵自分を全体だと思っていますが、
わたしなんぞは部分のまた部分です。
最初一切であって、後に部分になった暗黒の一部分です。」
             ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳

 父方の実家には曾お婆さんが存命だった。
お爺さんは、次男だったのだが、長男は東大法科を首席卒業し東京で弁護士として出世していたので、曾お婆さんを引き取って面倒を見ていた。
 ひとりっ子の私は、その曾お婆さんの直ぐ横にチョコンと座らされていた。時々、貰い物のお菓子をくれた。まるで、ペットの犬に投げ与えるように、黙って。
面白かったのは、巧の母親が、この曾お婆さんの前では、正座して頭が畳に着くくらいお辞儀をするのである。それが、まるで、自分に対してしているようで、おかしかった。いつもは、怖い母親なのに。

 巧の父方の親族には、独特の性格というか、雰囲気があるのだが、この曾お婆さんは、典型的だった。
その曾お婆さんは、いつも煙草を吸っていた。キセルに煙草を詰めてマッチで火を点けて、煙を出す・・その仕草をしっかり観察していた。囲炉裏の隅にトーンと灰を落とすのをしっかり観ていた。
かなりの高齢なのだが、地味な色の和服をしっかり着付けていて、白髪もまったく乱れがなく、頭はしっかりしていた。キツい顔つきからも、それははっきりしていた。常に凜としていた。田舎の農家の老人にしては、カッコよかった。カッコよすぎた。
笑顔を見たことがない。たまに、客の眼をじっと見すえて、薄ら笑いをするくらいである。
特に可愛がってくれた訳でも話かけてくれるわけでもないが、巧はひとりっ子だから、横に座っている以外になす術がなかった。だから、いつも大人の中に居た。
多分3-4歳の頃だと思う。普通なら記憶は残っていないのだろう。後述するPTSDクラスの某事件のために、3-4歳の頃の、この記憶は鮮明に残っている。感受性が人一倍強かったのかもしれない。
熊本という地域的な性格形成なのか、父方の実家特有の性格形成なのか、あるいは、両者の混合かもしれないが、少し極端な性格から来る、はっきりした、キツいもの言いに増幅されていたので余計に、幼児にも見破れたのかもしれない。

具体的なやり取りまでは記憶していないが、要するに、皮肉、嫉妬、憎悪、嫌悪、優越感、その裏返しとしての卑下、命令、自己中、見下し、軽蔑・・心理学、いや、異常心理学のサンプル場みたいなものだった。
煙草を吹かしながら、じっと相手の目を見つめて、攻撃したり、やり返したりするのを幼児はじっと眺めていた。その相手も、親戚か、近所の人なのだろうから熊本のひとが多かったのだろう。だから、バトルになるのである。穏やかな顔でのバトルである。質(たち)の悪い大人同士の言葉の応酬の場に、幼児は、じっと座って「観戦」していた。

いつしか、両者の心の中が手に取るように見えるようになった。
相手の、この皮肉に応戦したとか、相手の自慢話に嫉妬してやり返したとか、相手の自慢話に、自分の更なる高みの自慢話で競争したとか、相手の度重なる皮肉に、更なる大きな皮肉で応酬したとか、今、優越感を感じているとか、何時しか、心の中の力学の変化を楽しむようになっていた。

はっきり言えるのは、曾お婆さんは、常に、自分が相手よりも高い位置に立とうとしていた。そのことに対する執着とエネルギは凄まじいものだった。どんな小さなことでも許さない。自分が如何に相手よりも上なのか、徹底的に相手をムキになって、しかし、穏やかに、やり込めた。そのことが、生きる目的のすべてであるかのごとく。「これが、『おとな』なんだ」と思った。
煙草の煙と臭いと一緒に、そんな記憶が残っている。

(写真は、ライプチッヒのレストラン「アウアーバッハス・ケラー」の森鴎外の絵(右端))


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