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「メディア人材育成」のハードル設定が高すぎるので下げたいというお話

 首と肩があまりに痛く、この数日作業に集中できなかったので、池上線沿線の温泉に行ってきた。天然温泉と炭酸泉を3セットくらい入って、なんだかんだで40分くらい滞在していたんじゃないかな。体温下がりがちでもあったので、ポカポカになって満足。これで「さぁお仕事するぞ!」となったのだけど、いざルノアールに入ったら眠くなってそれどころではなかった。ざんねん!

 さて。自分が尊敬しているメディア人のひとりでもある依光隆明氏が、「新聞社の教育機能が失われている」という話を寄稿されているのを拝読して、いろいろ考えさせられたことを備忘録がわりに記しておきたい。

 ここで挙げられている「達成感」という点においては、チーム≒部内での分業によって一つの記事が出来ていく新聞のようなレガシーメディアよりも、企画(取材先の選定)から記事執筆まで関われるネットメディアのほうが、より得られるのかもしれない。さらに、記事あたりのPV/UUやSNSでのシェア数が分かるので、「読者に届いている」という実感には困らない。

 とはいえ、ネットメディアで教育にリソースを割けるところは数えるくらいしかないのが実情だ。多くのニュースサイトやポータルにレガシーメディア出身者がジョインしてきているとはいえ、彼らの経験や知識が活かされるかといえばそうでもない。結局、OJTにならざるを得ず、何の因果か配属された若い人に「まずは書いてみて」という超ざっくり振り方をした末に挫折する…というケースを何度も見てきた。
 こう書くと老害めくが、例えば「社会の闇を暴く」とか「あまり知られていない事象を多くの人に届けたい」といったぼんやりとした課題意識を持ってこの業界に入ってくる人さえ稀で、「ライター志望」「編集志望」という人は「ライター」「編集」というラベリング(肩書きでもいい)を求めていることの方が多い。だから、「書きたい」「伝えたい」ことを「自由に表現していい」というところで躓いてしまう。となると、こちらから材料を用意したり、「伝えたいこと」の見つけ方をレクチャーしたりする必要がある。

 だから、多くのメディア養成講座はそのあたりのハードル設定が高いように感じられるのだけど、そもそも「メディア業界で働いていた」という職歴が欲しい人のために「そこまでリソース割く必要ってありますか?」という話になってしまう。ここのジレンマが人材の早期流出の根本だろうし、何年もプレイヤーが同じような顔ぶれになって、結果として「意識の高い」人ばかりが残る理由のように感じられる。

 個人的には、人に教える上でまずはメディアでの役割を分解して説明する事が重要だと思っていて、Review(評する)・Report(報じる)・Record(残す)・Relate(繋げる)の4つの「R」のそれぞれの定義付けをはっきりさせる方がいいと考えている。そしてその上にEdit(編集)という概念を置くと、このお仕事の輪郭がはっきりとする。

 例えば駅前にパン屋さんが開店したとする。これを題材として選んだ時点で、既に「Review」が成り立つ。カフェでもなく雑貨屋でもなく、パン屋を「取り上げる」と決めたのだから。そこのメロンパンが美味しかったなら、「Review」としての説得力がさらに深まることになる。
 それを「Report」する技術に関しては、いろいろな人が講座をやっているのわけなのだけど、ここはペンで書くのか写真を撮るのか、はたまた動画か…みたいな話に終始するのではなく、読者に伝えるための最適解を探るというところから始めるべきだろう。「Record」についても、「紙かネットか」みたいな議論に代表されるように、さまざまな人が随分前からいろいろな側面で語られるが、自分としては「一点突破⇒全面展開」が正義と考えているのでまた別の機会に譲る。
 ネットメディアで特に大事になるのが「Relate」という要素。コンテンツ(記事でも写真でも動画でも、何なら見出しだけでもいい)を見た人=アクセスのあった人が「行動」することに価値がある。SNSでシェアするのでもいいし、実際にパンを買いに行くというところに持っていけるとなお良い。さらに、パンを作る人と買う人が出会うことによって、新たな何か…例えばお客さんと来た花屋さんとのコラボみたいな事が生み出されると、「Media(媒体)」としての役割が完全体として誇れることになるだろう。

 この4つの「R」にはそれぞれに面白さがあって、「Review」なら自分の好きなことを「好き」(もちろん逆でもいい)と言える自由があるし、「Report」や「Record」には最適解を見出すゲーム的な要素がある。そして、「Relate」によって世の中を動かしているという実感が得られる。

 そんなこんなで。メディアでお仕事をする人が、意義や使命感に訴えるよりも、その楽しさや喜びを伝える努力をもう少しするべきなんじゃないかしら、と思うわけなのですが。自分も「ツラい」マウントを取りがちだし、あまり人のことは言えなかったわ……。多少は自戒しつつ、新たな書き手志望の人が「もういいや」とならないで済むようにするにはどうしたらいいか、理屈を組み立ててみたいなと思う次第です。


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