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判断するということ

一昨日、Facebookのフィードでシェアされていたこちらの記事を読んで、とてもビックリした。

英語でよくある表現

You deserved it!

初めてスウェーデン人の友人に言われたとき、すごーく感動した。日本には馴染みのない「受け取るに値する」っていう表現が、中途半端な夢しか持てず、学歴もなく、キャリアもなく未婚でシングルマザーになった自己肯定感の低い私には響いた。「価値がある」「そこにいても大丈夫」くらいに言われているように私の頭の中で勝手に解釈された。(のちに個人事業主として開業したときに、Deservedと入れてしまったほど)

憧れつつもちがう世界の人、この記事の中でアメリカン・ハイパーバトルサイボーグと呼ばれるリベラル層が、自分の生まれ持った背景とそこから得た気基準に折り合わない人を見下す言葉として使っていることに衝撃を受けた。確かに「受け取るに値する」って確かにめちゃくちゃ判断が入ってるなーってこの記事を読んで気がついた。well deserved=然るべき/当然の〜っていう表現もどこか上から目線。

かたや、全く別の角度から別の記事を見る機会があった。

「社会的地位とか何か決められた基準で自分の価値を測るように、自分を商品のように扱ってはダメだ!」という価値観のもとにたくさんの人が集まっている様子も垣間見られて、『癒せない分断』についての解決のひとつの糸口なのかな?って思ったりして、不思議な気分になった。

毎日何かしら、選択と判断を繰り返して生きているけど、どこにも答えなんてない。(人を貶めるとか、盗む、暴力を働くとかは明らかにダメだけど)価値とその判断。本当は一人一人が全然違う価値観と判断軸を持ってていいんだよね。もっと自分の直感を信じようと思った。善と悪も、愛と憎しみも全部。自分も合ってるし、違う意見・価値感も受け入れたい、そんな気分。







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