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3.11

1日過ぎてしまったが、このことについては触れてみようと思う。

10年前ともなると当時の僕は9歳で、小学校3年生だった。

忘れもしない。金曜日だった記憶が今も鮮明に残っている。

その頃の金曜日は5時間授業のBダイヤ、いわゆる短縮授業の日で、早く家に帰れるから仲の良かった友達の家に集まる約束をしていた。

もうすぐ帰れて遊べる!と思っていたのも覚えている。

まだかなと時計を何回も見ていたのも覚えている。

突然、大きな揺れがあって小学生ながらすぐに「これは本物の地震だ」と察知した。

抜き打ちの避難訓練じゃないことは先生が慌てる様子でわかった。

机の下に隠れて揺れがおさまるまでの間、すごく怖かった。

訓練ではない空気感で、上靴が汚れることを気にせずにグラウンドへ避難した。

先生が相当大きな地震だったことを非難が完了したあと知らせてくれた。

そして同時に津波による被害があったことも。

家に帰り、テレビを見てその凄惨さに、さっきまで遊ぶ約束をしていた日常を、画面に映る建物が黒い波に全て押し潰されていく非日常さがかき消した。

当然、遊ぶ約束は無くなった。

僕の地域は幸いにもほぼ被害を受けずに済んだが、みんな怖がっていた。

あんなにも唐突にあんなにも容易に日常は押し流されていった。

「忘れてはいけない」と世間の人たちは口々に言う。

みんなYahooで検索して募金をしている。

教科書に載るくらい過去の出来事になっている。

10年経ってもあの時の怖さは今も風化していない。

周りの人間がどれだけ募金しようが、国のトップの人間が口舌垂れようが、被害を受けた方々の悲しみや辛い記憶は流れていかない。

何が正解なんだろう。

10年もたった今、募金を募り、集まったお金はきちんと使われているのだろうか。

誰かが募金したというスクリーンショットを見るたびに、「もう10年も前のことなのか」と感じずにはいられなかった。

#習慣にしていること #それぞれの10年

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