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嫉妬について考える

以前もこんなツイートしたんですが、

Twitterのトレンドやおすすめ欄にそこそこ流れてくる他者への嫉妬ツイート。
そもそも嫉妬とは何だろうか。
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〘名〙 自分よりすぐれたものをうらやんだりねたんだりする気持。やきもち。ねたみ。また、自分の愛する者の心が他に向くのをうらみ憎むこと。
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昔から本当にないのか?と問われると、これがまぁなんというか

本当に ないんですよね。
この発言自体が、なんか全能感であるとかマウントであると捉えられがちなんですが、そういうことではなくて
嫉妬という感情自体は嫌というほど知っています。
これは自身が抱いたというよりは、幼少の頃から中学あたりまで
ずっとクラシック音楽界隈に属していたので、
しかもかなりのエリート環境(同じ環境にいた友人・知人は多数プロになっていたり)、小学生の頃に私も私で海外演奏するなど調子こいているような環境というか状況だったので
この音楽界隈って、嫉妬が凄まじいんですよ。
漫画の世界か?というぐらい憎悪がオーラのように見えるレベルですね。

私自身がされたか?というよりは周囲の優秀な子供たちが、それよりは音楽力の劣る子供たちから嫉妬されるという世界で、さらにしんどいのがその親とかも入り混じって嫉妬の渦が巻き起こるんですよ。

私も私で子供の頃は結構練習もしていたし、それこそよくツイートでもちょいちょい言っているように、絶対音感を会得しているので
聴けば弾ける、という所作・スキルが余計無い側の人たちの苛立ちを加速させるようでした。
プロになった友人も勿論絶対音感持ちでしたし、結構な割合で最低条件として必要なスキルとも思われがち(実際そうだと思うけど)だからこそ
持って無い側の親含めた敵意は凄いもんでした。

で、私は私で昔から他者への興味が希薄なので
凄い人はそのまま凄い!と思うし、それ以上のネガティブ感情になりえない脳?考え方?になっています。

勿論、「うらやましい」という感情自体は持っていますが、
例えばあの家はツインファミコンがある、とかは羨ましいなと思いましたが、そこからズルイとか恨みなどの執着にはならないんですよね。

じゃあ無いなら無いで、意識しないのか?というとまさに逆で、
他者からの嫉妬には結構敏感になっています。

嫉妬をされるほどのことは本来していなくても、
少しでもプラスなこと(お付き合い、結婚、出産、家購入、出世等)は
極力周囲にも明かさないように生きてきました。
これは数少ない友人すらも結婚の事実もかなり後に伝えたし、結婚式なんて呼びもしませんでした。

幼少の嫉妬される経験がトラウマレベルではないにしろ、単純にメリットが無いので、うらやましがられるようなことは見せないが私の人生の指針になってます。
人生、馬鹿にされて下に見られて生きたほうが凄く楽です。
(もし比較したいのであれば、結果裏で勝っていればいいのです)

で、現在のいんたーねっつは、これまたよくツイートや記事内でも言及しているけど、"自身の幸せ"すらも他者といちいち比較する層が結構増えている印象です。
幸せの定義って、本来自分の中で幼少から確立しているものであって、
赤の他人と比較してどうかという考えになること自体がおかしいのですが、
非常に残念というべきか、哀れというべきか、他者の煌びやかなSNS投稿に目が行き、自身の立場と比較し愕然として羨み、恨むという人たちの嫉妬の渦で溢れかえっております。

幸せに他者との比較って意味がないということを学んで来なかったのか
精神がもうすでに壊れているのか、わかりませんが
こういった方たちの嫉妬は本当に醜いものです。

唯一好転させる手段として、その嫉妬心を活力・エネルギーに変換し
物事に対処した場合、凄まじい成果を出す人が稀にいます。
大抵そのような場合、幾年月が経過し、成果を得た状態でのインタビューであるとか振り返りにて、あの時は嫉妬心で対処していたとのコメントを残しているのを見かけます。

これこそ、嫉妬の正しい使い方な気がします。
この変換をしっかりできるのであれば、物は使いようで
嫉妬もアリだなと思ってしまいます。

「嫉妬がない」とは言いますが、常に「焦り」「不安」はあります。
今の仕事でやっていけるかとか、将来どうなるかとか。
それはあくまで自分の過去と今の比較、更に将来の自分がどうなっているか、どうしていくかを考えであり、やはりこれも他者が介在しないですね。

周囲にはめちゃくちゃ仕事のできるエリートたちがいっぱいいるので
常日ごろ上述の「焦り」はあります。
ただここにはシンプルにうらやましいだとか妬ましいはゼロです。
彼らがエリートたる所以、努力を知っているからこそ、尊敬とあとはどうやって追いつくか?の努力の指針にはしますが、例えば「あいつは幼少期に海外にいたから最初から英語できててずるい」とかは全く思わないですね。

なので、嫉妬は最初に受ける印象・入口の部分で悪意的な歪んだ捉え方をしちゃっているんだと思います。
嫉妬する人は他者に関心がありすぎなのかもしれません。

逆?にいうと、常にそういう思考の人の場合、
仮に何か他者より優位性を感じる部分を持った時、得られたときに
それを使って他者を見下してくるんだろうなとすら思います。

とにもかくにも、嫉妬には上述のエネルギー変換以外でのメリットは多分無いので、考え方をシフトしたほうがいいよねと常に思っている今日この頃です。

こんな文章書いてますが、本当に身近の人にもこういう嫉妬持ち?の人結構いるので、家族であれば諭しますけども、実際には「やめたほうがいいよ」とは言えないっすわな。そんなんで恨まれたくもないし、それこそ
やめたほうがいいと思っていても、そこまで介入するほどこっちもこっちで興味も責任もないので。

なのでこういうハンドルネームという仮面を被った状態の
記事で好き勝手書いてます。

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