回想メモ
20歳の能足りん虚無愛でる女学生は、相変わらずの生活怠惰人であり、昼間から友人数名とワインを開け泥酔した挙句にトイレ内で壁に衝突しまくりながら用を足し、最終的に台所でぶっ倒れて眠りこけてしまう始末など、誰にでもある凡人ぶりを発揮する生温く落ちぶれた一幕ありな、まぁ比較的地味で悲惨な学生生活であった。
泥酔から目覚めたら何故か布団の中。
丁寧に布団を敷いて寝かせてくれた親切な友人達は既におらず、素面に戻れなかった私一人だけ図学の講義を欠席。
目覚めたのは古畑任三郎の放送が始まった21時だった。
そして、また来たかとばかりに定期的に襲ってくる酷い抑うつ症状。
この刹那な虚無のひとときを耐え抜くために、15分以上立ち尽くす夜のコンビニの弁当コーナーでのフリーズ現象は日常茶飯事のイベント。選択・判断能力が著しく低下していることすらも自覚できなかった。
そんな中で、日々のエモ音楽は今もこの時もこの時よりはるか以前からも永遠に欠かせない生命維持のツールだ。
生活から音楽が消えていたら早期に死んでいたと思う。
たとえその場しのぎであっても、音楽で変性意識に飛んで現実をかき消すことでしか現状を乗り切る方法を見出せなかった。
地面に足をつけることが下手くそな人間もどきがこれ以上活きた感情を失わないように、我が内なる死神に存在の意味を奪われる度に音楽で何度も奪還するのだ。
あの日聴いていた音楽が今の自分に、または今の自分があの日の自分という実態のない記憶に、音を通して今日も生命記憶のバトンを繋げてくれる。
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