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創作系で何度も読んでるのは『魂の文章術』。「第一の思考」と「検閲官」が知りたい

スマホを手にするとモノローグを書き留め始めるように潜在意識が認識してから、書き切ったそのままの文章というのが使えることが増えてる。思考速度はゆっくりだけど。

一昨日の記事は、実験記事。
歩きながら何度か止まってモノローグを書き留めて、そのまま手直しせずに投稿してみた。(普段はさすがに手直ししてる)


何度も紹介している「魂の文章術」。

書けるひとになる! ――魂の文章術
ナタリー・ゴールドバーグ(扶桑社BOOKS)

この本の、『即興詩人』の回が印象的だった。
夏祭りやバザーなどで、ナタリーは「即興詩人」という名の修行をやってた。客からテーマをもらい、即興で1枚紙が埋まるまで書く。列ができてたみたいだから、思考してる暇はなさそうだ。

ずっと、こんなことは、私には不可能だと思ってた。少なくとも、この「魂の文章術」を読みはじめた当初には、とんでもないこと! っていう認識だった。
まあ、未だ、人前でできるとは思えないのでやらないけど。

ただ、即興で何か書け、ってのは、可能になったかもしれない。(紙に書くのは無理。スマホかパソコンで)
小説や物語はむずかしいかもしれないけど、でも、エッセイ的な文章なら即興で幾らでも書けそうな気がしてきてる。気がしてるだけにしても、ずいぶんと進化したよね?

「即興書き」にずっと憧れていけど、スマホでモノローグを書き留める、という、こんな形で即興書きできるようになるとは、自分でも意外だった。


ナタリーの言う、第一の思考に届いているかはわからない。
でも、私には『検閲官』と呼ばれる者は、頭の中にいないみたいだ。
この書く手を止めさせてしまう『検閲官』的な存在に関しては、様々な本で言及があるのだけと、私は意味が分からなかった。
「検閲官」的なものは、思考するはしから頭の中で否定的な言動を浴びせてくる、らしい。もう一人の自分? 悪魔の囁き、天使の囁き?

私、頭の中で、他の者の声って聞いたことがない。
アファンタジアのせいらしいけど。
よく分からない感覚だ。

他の本では「脳内読者」っていう言葉も使われていた。
もう一人の自分として客観視する、みたいに説明してくれた方がいて納得はしたけど。客観視は不可能ではないけど。やっぱり頭の中に、別の読者や検閲官はいないのよ。

私のモノローグは、常に一本道。ひとり。枝分かれもない。いつの間にか横道に入ってることはあるけど。

なので、そのまま書き留めることができているのかな?
その分、スマホに向かわない時は、モノローグが減ってる?
モノローグしだしたら、スマホかパソコンで書いてるだけかな?
余りに眠かったり、疲労してるとモノローグは止まるけどね。


以前は、入浴時が1番ヒラメキが多かった。でも、今はほとんどひらめかない。それは、一種、人為的。モノローグを書き留められないときは、モノローグしない。そんな感じに潜在意識が変化してきてる。

まぁ、歩いてるときとか絶対モノローグ始まるから、急いでいて書き留めてる暇がないときはモノローグを止める。
止めるのはわりと簡単。
頭の中で歌えばいい。

なので、出掛けに馴染みの曲とか聴いちゃうと、無意識に頭の中で歌ってて、モノローグしてないから要注意。
あああ、一休みしようと思ってたのにスマホを持ってしまってた。あらら。


AIイラストはPixAIで生成。

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