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偏差値重視の世界

偏差値と聞くと

学力を図るもの

というイメージが強いかもしれないが


実際には、全てのことに

偏差値をつけて評価しているのではないかと思う


顔が整っているかどうか、

身長が高いかどうか、

痩せているかどうか、

お金を持っているかどうか、

運動ができるかどうか、

友達がたくさんいるかどうか

など


例を挙げればきりがないけれど

いろんなことに偏差値をつけて評価しているように思う


どの偏差値を重視するか、

どちらを偏差値が高いと評価するか

世間一般というものもあれば

所属によっても違ってくるし、個人でも違う


吹奏楽部に入っていれば

演奏が上手な人がより評価されるが、

水泳部に入っていれば

泳ぐのが早い人が評価される


また、騎手では体の小さい人が求められるが

お相撲さんでは体が大きいほうが有利になる

といったようなことである


世間一般的には

痩せていて身長が高いほうがいい、

若いほうがいい、

正規の仕事についていた方がいい

という評価があるように感じていて


多くの人がそれに共感して

偏差値でいう高いところを目指そうと努力する


本人が痩せている方がいいと

思うのならばまだしも、


痩せている方が周りからよく見られる、

太っていると悪く思われるから

痩せていたいと思って努力する

というのは違和感がある


それは自分の意思ではなくて、

周りとの比較で生まれてくる意識で

たとえ痩せられたとしても

満足できるかどうかは保証できないのではないか



小さいころから

勉強や運動が出来ると褒められ、

意地悪をしたら怒られて、

人と違うことをすれば不思議な子というレッテルがつく


そういう環境があるから

ほめられることが良いこと、

みんなと違うことが良くないこと

という認識が生まれるんだろうな


もちろん、今の教育があるからこそ

協調性、競争力は充分に養われていると思うし

譲り合う文化やおもてなす心も生まれるのだと思う


でも、

自由がなくなったり、

個人を大切にしたりといった点では

縛りをつけてしまうようにも感じてしまう


どちらがいいとは一概には言えないけれど、

自由に生きるという選択肢を考えられたり

自由に生きる人を受け入れられるような

環境になってもいいのではないかと思う


何でも周りを気にするよりも、

ずっと生きやすくて、楽しい人生になる人が

増えると思う



他人の決める偏差値ではなく

自分の中の物差しで

物事を決める人が増えたら良いと感じる

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