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あたしは「アートマンである」

あたしは「アーティスト」であると言おうとしたのに

手が勝手に「動く」

なので「調べてみた」

 梵我一如の思想
 梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする。これが梵我一如の思想である。

 ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダの「ことば」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。

 アートマンは、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。元は、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには「個体を支配する原理」とみなされるにいたった。この語はさらに「ものの本質・本体」という意味でも用いられる。

 この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。その代表的な思想家は、シャーンディリヤ、ウッダーラカ・アールニ、ヤージュニャヴァルキヤなどの哲人である。1)

 梵我一如の思想の背景にあるのは、ヴェーダ祭式の「同一視の論理」である。「同一視の論理」は呪術の論理で、たとえば、獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがある。足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないと考える。ヴェーダの祭式では、祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視する。呪術によって、祭場にある祭具などを操作することで自然を支配しようとするのである。

 これに対して、ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の論理を祭式でなく、瞑想で用いた。ウパニシャッドには「AをBとウパースする」という句が多くみられる。瞑想でAをBと同一のものとみなして(ウパースして)意識を集中する。意識の集中により、分別による知を乗り越えて、対象が直観される。そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。対象そのものになり、同化する。同化すれば、それのもつ力が自分のものになる。こうして、瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を体得することをめざす。「太陽はブラフマンである」「虚空はブラフマンである」などといったものから「食物はブラフマンである」「思考力はブラフマンである」などと、さまざまな原理が同一視された。とりわけ、気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの同一視に収束していった。2)

 後にバラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想は、梵我一如の思想を発展させたものである。また、大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一という考えは、その後の神秘主義思想にくりかえしあらわれる。たとえば、仏教でも密教の大日如来の観想による即身成仏には、同じ発想がみられる。


何を言うてはるんかさっぱりや・・・・・

ニックネームは「満我」という

なんか近い・・・???

あたしは「さをり織りの作家である」のだけど

このさをり織りっていうのがいつまでしててもわからない

わからないからひたすらする

したいからする

さをり織りは「瞑想」に近い、「無になる」一瞬が時々やってくる

それは至福の瞬間

さをりには「ああ織ろうとか、こう織ろうとか、モノマネはない」

あたしはインドに行き「和尚」大昔は「バグワン」というのだけれど

生きていくのが辛くて、辛くてしんどかった時、色々した。。。座ってする座禅もしたけど

無理無理


あたしには向いてなくて

踊る瞑想の方に走る

いやー^^楽しかったそれが「和尚の瞑想」

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その中でどんどん「インドに行きたくなり」行く

そこで行くも「アシュラム」に飽きた・・・・

インドからネパール、ネパールからまたまたインド

まるで自分自身を「ミキサーにかけて揺さぶってジュースにして飲んで、また旅をする」そんな感じ

なんせ向こうは混沌の世界であり、喜びの世界であり、今此処に生きている世界でもあった「インド」

もう一度自分自身を崩壊させて再構築してくれた世界「インド」

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「あ・・あたし・・日本に帰ったらゼロから物作ろう」

って思ったんよね

それまで「カメラ」していたんだけれど

馬鹿だよね・・インドにカメラ持参しなかった

それくらいもう「写真に飽き飽きしてた」

カメラを通じてしか物を見れない自分が嫌になる

この裸の目ン玉で「世界を見てやろう」

って思ったんよ

出会う「さをり織り」

あたしは

アートマンである

のではなく

「アーティスト」である・・・やな

やっぱ

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今日も読んでくれてありがとう

もう

裸の目ン玉で世界を見ています

「手は」さをり織りをするために生まれてきた人みたいに

今日も動いています

今はそれを広めて行きたく

廃校で「宮砥工藝舎」というさをり織りの教室をしていて

本日はオープン日です

ワクワクします

だって自分が一番楽しんでいるのでー^^


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