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休校の日々徒然


2020年4月3日 
夏休みばりに伸びた春休み。
「朝は長い1日だと思うのに、気付けば(何もしないまま)1日が終わっている」という友人の言葉はまさに言い得ている。
今日は朝食と洗濯干しを済ませたら鳥を見にお散歩へ。
娘ズは相変わらず二人の世界を楽しんでいて、留守番をしているとゆずらない。食べ物とマイペースなすごし方ができれば1週間でも2週間でも余裕でこもりそうな勢い。埃っぽい家の中から、少しでも太陽の光と新鮮な空気を吸いに外へ連れ出したかったけど……。無理強いしてもロクなことないのでお一人様時間を楽しむことにした。

途中、教会の看板を発見。Googleマップで調べると廃教会らしい。こういうときフラフラと引き寄せられてしまうのだが、そういう直感は大抵当たる。おかげでカタクリの花を見つけ、シジュウカラのたくさん集まる場所にたどり着いた。

静かだと思った森は、鳥たちの鳴き声でいっぱい。シジュウカラには文法がある、という言葉の通り、私が一歩踏み入れるとき鳴き方が変わるから面白い。

ところで、私の仕事は、森のようちえんのスタッフだ。

そこでは、子どもたちがフィールドへつくなり、わぁっと森の中に入っていく。
私は一保育者として、子どもたちが出会うもの、子どもたちの心の中に湧き起こる何かに、日々、最も注意を払っている。
一方で、こうして鳥を探し求めて森へ入ると、静かに「お邪魔します」と言いたくなる自分がいることに気付く。
探そうとするほど彼らはあらわれてくれないのでじっと耳を澄ませて待つ。

正義の反対はまた別の正義なのだ、という森のわらべ多治見園 園長 浅井智子さんの言葉が頭を過ぎる。

確かに自然保護を目的にする人から見たら、縦横無尽に森の中で遊ぶ子どもたちは時に動植物を傷つけ、荒らす存在に見えるかも知れない。
しかし、対立項から一旦離れて両者の大切にしているものを知ることができたとき、自然の保護と、子どもの育ちは、きっと共存できるのではないか、と思う。

鳥を求めて森を目指して歩き、最後はタリアセンまで来てしまった。
お散歩二時間、15000歩。

人との接触を避け、心のチューニングをするのに自然ほど効果的なものは無いと思う。

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