最後に残るものは

今日、TwitterでUVERworldの”歌詞に共感できる曲”5選というものが流れてきた。

OXYMORONという曲が5位に選ばれていたのだが、

「最後に残るのは 集めてきたものじゃなく 与えてきたもの 自分以外のために」

この歌詞が載っていた。以前ある新聞の記事にも似たようなことが載っていたことを思い出した。

よく「記録より記憶に残る選手」という表現をされるスポーツ選手がいる。記憶に残る人というのは、自分以外のために何かを与えてきた人ということになるのか。

そう考えたとき、今まで関わってきた人で強烈に記憶として残っている人は、私に何かを与えてくれた人と言える。特に小学校の先生やスポ少の監督など、今ではほとんど関わることはないけれど、ハッキリ覚えている人。

誰かの記憶に残れる人は、その時点で誰かのために思考し、行動し、何かを与えてきた人なんだと思う。

圧倒的な記録を残した人は、文献とか何かに記録はされるけど記憶に残ることはあまりないのではないか。「そういえば、そんな人もいたな」みたいな言われて思い出される程度になってしまうのではないかと思う。

記録を残すより、記憶に残ることのほうが難しいと思う。記録を残すなら、自分の頑張り次第でなんとかできることが多いから。誰かのために動き、自分以外のために投資することはそう簡単にできることではない。だからこそ、自分以外に与えてきたものが誰かの記憶に残り、いなくなっても存在し続けるのだと思った。


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