消えたiPhone、消えた日常


 先週の水曜日、iPhoneを失くした。

あまり覚えていないのだけれど、あの日は家を出ていないはずだから、絶対家の中にあると思っていた。


 本と書類だらけの部屋を、iPhoneを探すために大掃除し始めて、本は本棚とライティングデスクの他に大きな段ボールと通常の大きさの段ボール一箱ずつ使って整理し終えた程度にたくさんあったけれど、それでもすべて整理して、他にもいらない書類やいつもは重くてなかなか動かせないベッドなども動かして、床を全面雑巾掛けし、クイックルするまで、ベッドも外して下の床を綺麗にするまで、久しぶりにこんなに全体的に部屋を大掃除した。それでもiPhoneは出てこなかった。


 失くした時には、明日になれば出てくると思っていたのにあっという間に1週間経ってしまって、先週の金曜日の出勤から出勤の前日夜に母にiPhoneを借りてかえってきたらまた返してを繰り返している。LINEも見られないし、TwitterとFacebookはインターネットから確認しているけれど、他のことは何もできない。

 勤務に関しても、LINEで連絡をもらっていたから多少困惑したけれど、勤務先から連絡されていることは今のところなく、履歴書に家の電話番号、母の電話番号も書いているから、何かあれば家に連絡があるだろうということで、あとは勤務のたびに母からiPhoneを借りているから、まだ迷ってしまう駅から勤務先までの道もなんとかなっている。


 けれど、それでも、やはりiPhoneがないのはとても不便だ。以前、携帯を使わない「デジタルデトックス日」を設けようと考えていたけれど、実際、スマートフォンを見ないというのはなかなかに難しいことをよくよく認識する。


 いつもだいたいのニュースは、SNSなどを通して母より先に得ている私も、昨夜か今朝、菅田将暉さんと小松菜奈さんがご結婚なさったという報道も母に言われてから知った。この1週間の間に、スマートフォンがどれほど生活の中に入り込んでいるのかを知った。スマホを借りればネットからFacebookとTwitterは見られるけど、LINEは見られないし返せない。

 スマートフォンをなくす前日にU-NEXTに加入したばかりなのにもう1週間も無駄にしている。


 あの、携帯が無くなった日、私は家を出なかったはずだ。ゴミを出しに行ったかもしれないけれどその程度。まさか、ゴミにiPhoneを入れたなんてことはないだろうから、絶対部屋にあると、家の中のどこかにはあると信じていた。


 けれど、部屋の95%以上を確認し(残りは母のタンス)、すべてのものを出し、整理し、ベッドも敷布団等も剥がして下は床が見える状態まで確認したのに出てこない。


 おかげで、学部2年生の塾講師で社畜してからというものほとんど余裕がなく、書類や書籍その他のものが山積されて部屋の許容を200%くらいにいっていたものが、110%くらいまでにダイエットされた。


 忙しさと疲労と頭の余裕のなさでここまでの大規模な大掃除、大片付けをすることを後回しにしてきたそれは、携帯紛失のおかげで達成されつつある。


 携帯をなくした唯一の利点はこれに限る。


 だけれども、iPhoneをなくしてから、日常が消えたのだということを実感するようになった。それほどまでにスマホは私の生活に命の時間に入り込んでいるのだと。


 いつも連絡を取り合っているLINEは見られないし、すぐに返すこともできない。TwitterもインスタもFBもすぐには見られないし、Twitterとインスタに関してはログインもできない。情報は遮断されたし、連絡もとりあえないし、Facebook以外で繋がっていない人には現状を伝えることもできていない。

 幸い、スケジュールに関してはTime treeのアプリをメインにしつつも未だに紙の手帳派ではあるので勤務の予定や大事な予定はNOLTYにも記載してあるため不安はほとんどない。それに、おおよそは覚えているけれどFacebookもTwitterもnoteもIDとPWを手帳にメモしていたからこうして無事にログインできている。やはり紙の手帳は必要だ。


 iPhoneをあまり触らなくなって、部屋の片付けに向き合うようになってから少し頭が整理されてきた気がする。iPhoneがないという状況は私にとって何も手につかなくなるほどの大パニックを生むはずだった(少なくともこれまではそうだった)けれど、部屋を整理整頓し、清掃し、勤務で必要な時だけ母から借りて、とすることで、不必要に、受動的に入ってくる情報はなくなり、iPhoneに搾取される時間も消えた。

  

 ああ、これがプチ・デジタルデトックスなのだろう。2022年の目標の一つ、28歳の目標の一つに「週1回はデジタルデトックス日をつくる」と決めたのは夏か秋のはじめ頃であったけれど、やってみようと思っても見てしまう状況から、これは非常に難しいことなのではと感じていた。

 けれど物理的にiPhoneを手放してしまう時間を得て、案外頑張ってやったら得られるものはあるのだと思える。28歳の目標をこれで一つ習慣化したい。そういう風にして、この「スマホを無くしてしまった」という限りなくマイナスな出来事をマイナスなことと受け取りながらも、悲観しすぎず冷静に受け取れる自分でありたいと思えるようになってきた。



 それにしても、はやくiPhoneが見つかって欲しいものだが。不幸中の幸は、iPhoneをなくした日、勤務も予定もなくゴミを捨てに行ったか行ってないか以外に家を出ていないことだ。まさか、ゴミと一緒にスマホを捨ててしまうことなんてないと信じたいけれど。


 それに、U-NEXTの契約は無駄にしつつあるけれど、母が持っているこの父のスマホを借りてU-NEXTで期間限定配信で観たかったBE:FIRSTのライブはとりあえず観られたのも、先に視聴チケットを買っておこうかと思いつつも買わずにいたからスマホを無くして父のスマホで購入することになってもチケットをダブって買わずに済んだのも不幸中の幸いだ。


 それから、Swish!のライブの入場チケットはデジタルチケットだったが、ライブ当日より後にiPhoneをなくしたので、チケットを買ったのに入場できなかったという悲劇にも見舞われなかった。



 不幸中の幸いはこの程度。不幸のなかの不幸は父の携帯は勤務を終えたら母に返しているため、U-NEXTで観たかったテニスの王子様が未だ観られずに時間が経っていることと既に画面がバキバキに割れているため11月中旬頃に買い替えたいなと考えていた矢先になくしてしまって、バックアップも何もしていなかったために見つかるまで結局買い替えられないこと、そしてただただ不便であることだ。


 iPhoneをなくしてから、ふと中高時代よく携帯をなくしていたことを思い出す。当時はガラケーだったし次の日になれば友人たちに会うし連絡なんて昔の友人か、親に学校から帰る旨を伝える程度だったから、1週間も見つからない時もあったけれど何もかもできないことはなかった。しかし、スマホへの転換、中高生から大人へとなった今、人との直接的な繋がりは日常ではほとんどなく、また1日にメールや電話程度しかしなかったガラケー時代から24時間365日でも手にスマホを持っている事実を突きつけられた。


 勤務にかこつけて母にiPhoneを借りたからこうしてインターネットからnoteにログインして記事を書くことができているけれど、今日勤務がなかったなら週に1回、火曜日にnoteを書くという習慣も途絶えるところであった。

 ところで、私がスマホをなくすずっと前から連絡の取れないメロくんのことだが、iPhoneをなくす前々日ころにLINEを見た時に、トーク履歴が消えていた。そしてついに私もLINEを見ることができない現状になって、仮に連絡が返ってきていても見られていない。

 iPhoneを手にしていた時、1ヶ月以上、連絡の取れない彼のことが頭のどこかで気になって脳内の容量を割いていたけれど、自分自身がiPhoneをなくした今、このnoteを書くまでそのことは頭から消えていたことに気づいた。


 消えた日常は、良いことばかりを持ってきたわけではない。写真やLINEなど私のiPhoneの中で重要な情報ほど、バックアップの容量制限等でバックアップが取れないまま携帯をなくしてしまっていて、すぐに新しいものに買い替えれば代替になるとは言い難い状況である。そしてそのことが私に、普段、スマートフォンを使用していて私のメインの使い途はLINEと写真であってむしろそれ以外の情報は仮に消えてしまったとしてもとりあえずその二つさえ生きていればよくて、しかし、スマホを無くして失うのはこの大事な2つなのだと気づかせた。


 消えたiPhoneは、今どこで何をしているのだろう。失くしたその日に、電池は切れていた(なくしたと気付いてすぐに電話をかけたけれど音は鳴らなかった)から、眠ったまま、彼は今どこにいるのだろうか。

 それにしても、部屋のものをすべて出したし、居間は、両親のもので溢れかえってはいるものの、私が普段、ぽんとiPhoneを置いてしまうところは確認し切ったはずなのに、どこからも出てこないなんて。まさか、ほんとに、歩いて逃げたのではないか、と思えてくる。


 ああ、もしかしたら、あの、スマホをなくした日、なんだかとても心がざわざわしてイライラしていて、ベッドの布団にiPhoneを何回か投げつけていたから消えてしまったのかもしれない。

 iPhoneを何度も落として、iFaceを壊してしまったが故にカバーをはずしたところについに落としてしまって画面が1回でバリバリに割れてしまうほどにしてしまったからかもしれない。そして、それでも買い換えようと思いつつもなかなか買いに出かけずに酷使し続けたから暴挙を起こしたのかもしれない。


 iPhoneが見つかったら、なるべく早く新しいものに買い替えて、今度は落とさないように紐もつけるしiFaceという防護服も新しくかいかえるから、お願いだから出てきておくれ。


 消えた日常は、やはり面倒で、不便で、やっぱりわたしたちとスマホはもう、簡単に手放せるほどの距離にいない。


 それでも、私はもう少しiPhoneと、きちんと大事にできるところまで上手に距離をおいて関係を構築せねばならないだろう。


 先日、母が出掛けに、神社でiPhoneがはやく見つかるよう願ってくれたそうだ。神頼みをしてもなかなか出てきてはくれないけれど、やはりなるべくはやく出てきて欲しい。


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