小確幸
夜中だけれど、この微熱を解き放ちたい。
だから、今書いた。
ソロ活女子のススメ4
2ndシーズンの時に知って、そこからずっとシーズン2、3、とみて、今回4も楽しみにみはじめた。
主人公、江口のりこさん演じる、五月女恵も、これまでひとりクルージングとか、ひとり遊園地とかして、ついに今回はバースデーソロ活ということで豪華に1話から台湾に!(確か前のシーズンの時も有給を取っての豪華ソロ活などがあった)
せっかくの海外旅(海外ロケ)ということで、3話にわたってたっぷり台湾旅をしていろんなことをやっていた。
その台湾旅の最後、霧台・神山というところへきた五月女さん。入って食堂にいた若い大学生の青年に、「ルカイ族は日本と関係があります」といわれ、話を聞くと、昔、この地域でしか採れない雑穀・粟の種が台風で流されてしまい作れなくなって困っていたところ、実は50年以上前に日本の植物学者がこの霧台の粟の種を持ち帰り保存していたことがわかり、日本から台湾に種が里帰りして、台湾の食文化が失われることはなかったという。
そのあと、青年は教会を指差し、かつて台湾にオランダ人が来てキリスト教を広めたため、この辺りの人はキリスト教徒が多く、その後日本人が来たので、老人は日本語を話せる人が多いと、恵に話す。
そこにはきっと悲しい歴史もあったのだろうと思う恵に青年が言った。
私の耳の奥に、この言葉がなんだかすごく響いた。
4話の最後にも出てきたけれど、今回のソロ活台湾旅の中では、初日にランタンを上げていてそこで、何を書くか迷う恵に、「小確幸」と、お姉さんが書いてくれた。
小さいけれど確かな幸せ
昨日は今日の糧に
今日は明日の思い出に
これからは全部思い出に
なんだか、そうした言葉たちが私の心に、
ひゅっと入り込んできた。
あまり、村上春樹さんの作品に詳しくなかったので恥ずかしながら知らなかったのだが、「小確幸」は、中国語でも台湾のことばでもなく、1996年5月に発売の村上春樹氏の『村上朝日堂ジャーナル・うずまき猫のみつけかた』という本に書かれた造語らしい。
村上春樹ファンは日本にとどまらず中国や台湾にもいるとのことで、この言葉が浸透したらしい。
小確幸は、著書の中では
大きな欲望や野望などを持って成功や失敗からの歓喜や悲哀に振り回されるよりも、日々の生活での些細な事に喜びを見出して幸せを感じる方が有意義な人生である、という意味で示されているらしい。
かなり古い作品なのに知らなかった。
日常生活の当たり前な事を幸せと感じること、日常の生活のなかに幸せを見つけること、のような感じだろうか。
少し調べてみたところ、
P.126に
とあるらしい。
大きな幸せ(結婚とか、昇進とか、お金持ちになるとか、そういうのかしら)ではなくても、
今の、何気ない日常生活のなかにある、自分が無意識に当たり前に、享受している小さいけど確かに幸せなこと、をちゃんと感じられる感度をなくさないでいること、
その、小さな幸せをちゃんと感じられるために、激しく運動した後のビール、のその、"運動"もちゃんとやること、が、ただビールを飲むより、ずっと美味しく感じさせる(ただ何もなくビールを飲む時の幸福感より、運動をした後に飲むビールの方がビール好きにとってはずっとずっと美味しく感じるということだろう)。
だから、小確幸には、
その前に"大確為"?、いやこれは勝手に作った言葉だけれど、
ちゃんとやるべきこと、が必要条件なんだな。
別に五月女さんの真似をしているわけでもないけれど、「ソロ活女子のススメ」というドラマを初めてみたシーズン2の(2022年の4月)あたりで、初めてソロ活を知った。
ひとりで何かをすることを、「ソロ活」と言い出したのもこの番組なのではないだろうか。(もしくはそれ以前からしっかり単語としてあったなら、このドラマは、その「ソロ活」または「ソロ活女子」というワードを、広く世に浸透させたように思う)
いろんなところへ行って、いろんなことを経験してきた社会人の、自立した大人女子の五月女恵さんが、ソロ活で有給や休日を十二分に楽しみながら、その、1秒1秒に、「小確幸」がこれまでもあった。
そして今、2022年に、彼女をみていた時より私も少しばかり歳を経て、30を過ぎて、
「小確幸」とか、
昨日は今日の糧に
今日は明日の思い出に
これからは全部思い出に
という言葉が、スッと、自然心に馴染んでくるような歳になったんだと感じられた。
私も2021年頃以降から少しずつ欲しいもの、行きたいところへ行くようになって自分の時間を作るようになって、特に2023年いろんなところへひとりで行ってみて、やりたいと思ったことはなんでもやって、ひとりで得られる「小確幸」で「马上我想要的是(すぐ欲しいもの:中国語があってるかはちょっとわかりません)」は得てみた。
その中で、小確幸、が自分にとって何を指すのか少しずつ掴んできた気がする。
あともう少しで掴めそうなところまできた。私の心の奥底の本質的な、何か。
そしてまた、逆にこれまでやってきたソロ活の、主目的そのもの自体は実のところ、その、自分の、本当の欲しいもの、ではないのかもしれないとも思うような時もあった。
そう振り返って、また、青年の、
"昨日は今日の糧に 今日は明日の思い出にこれからは全部思い出になるといいですね"の台詞が、私の頭をぽーんと叩いた。
毎日必死に生きて、ちゃんと生きて、そうした中で、忙しなくすぎる日々の中で、"運動した後のビール"のような、ちゃんとやることをやった上での小さいけれど、確かに幸せなこと、を重ねて、
そういう毎日を、重ねていくことで、
そして今回のドラマの中での意味も含めるのなら、悲しい歴史(個人的な人生でいうなら悲しいことや辛いことに当てはまるだろうか)もあるけれど、
昨日は今日の糧に、今日は明日の思い出に、これからはなるといいな、
と願って生きる。
確かにそれが、幸せの真髄なのかもしれないなと、ふと思った。
いいことを知れた。
名言は、着てみるのがよい、着てみて合わなかったら脱ぎ捨てれば良い、と『20代で得た知見』にたしか、書いてあった。
なるほど、と身体で少しそれを感じた。
小確幸を、ちゃんと受け取れる人間、でありたいし、
そういう大人の女性になりたい。
それが、きっと、自分で自分を幸せにする力だし、幸せに生きられる人生の方法なんだろうなとも思って
少し前から、親愛なる友人に言っていた「長年の闇というか、なんかこううまく生きられない何かから抜けられそうなんだ」というそれを、私はこの言葉でもう少しだけ掴みとれた気がする。
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