ケーキ屋さんにならなかった私(前編)

小さい頃の夢、何でしたか?

私が1番鮮明に記憶しているのは
パティシエ。

 もっというと、
パティシエ、なんて職業名、
小学校高学年くらいで知ったので、

「ケーキ屋さん」。

ケーキ屋さんになりたい

 いつそんなことを言い出したのか
記憶にはないけれど、

 幼稚園生か小学校低学年のどこかで、
そう言い出したらしく、
 パティシエという名前の認知に
変わってからも、中学3年生か、
高校1年生頃まで
それが夢だった。

夢だと思っていた

 ちなみに、
しばらく前に部屋の片付けをしていて
4歳の時の私の将来の夢は、

 「たぬきになりたい!?」と

幼稚園の先生が書いていたことで、

 「たぬきになりた」かったのだと
知った。

 こんな可愛いたぬきには、
なれていないかもしれない…

 小学校に上がって、

 将来の夢が、

 「ケーキ屋さん」になってから

15歳の時

 「私はケーキ屋さんに
なりたいわけじゃない」

 そう気づくまで、実に10年ほど、

 私はケーキ屋さんになりたいのだ、

と思い込んでいた。

 
 15歳のある日、おそらく、

職業インタビューや
高校生になる、
文理選択、
大学進学、

 などの中で、
中学3年生か高校1年生になって

 「私の夢はパティシエじゃない」

ケーキ好きだからケーキ屋さん
だと思った幼稚園の頃から、
ケーキ屋さんと言い続けていたら
いつのまにか親や祖父母や周りに

「ゆかまる(実際は本名)ちゃんは
ケーキ屋さんになりたいんだもんね」

そう言われて、

それが中学3年の時気づくまでに

いつのまにか、

「なりたい」から

「ならなければいけない」

ように感じていた

ということに気づいてしまった。

 気付いてしまった!

 「私はケーキ屋さんになりたい
わけじゃないんだ」

 「ケーキが好きと、
ケーキ屋さんは違う」

 そう気づいてしまった中3の時、
10年越しに、

「夢」が消えてしまった。

そのあと、
もともと文字を書くのも
本を読むのも好きで

ケーキ特集の雑誌なども見ていたから
母に「そういう記事を書く人は?」
といわれたり、

小説家、詩人、ライター、と
いう選択肢もやっと出てきた。

 私は何になりたいのだろう…

と考えても、これといって
わからなかったけれど、

とりあえず好きな科目は
全て「文系」だったし、
苦手な科目は軒並み「理系」
(科目や何かを文理で分けるのは
ナンセンスだと今私は思うので、
あえて「」つけます。
でもこの時代は、まだ
文理選択、という言葉に、
誰一人疑問を抱かず
言っていたのです)

まぁ、それで、文系科目の選択をし、
どの科目もできなかったけれど
あえていうなら英語が
1番得意だったから、
英語をもう少し勉強したいなという
気持ちもあり、

 いや、

 今考えると、
刷り込みかもしれない。

別に親が悪いわけではないし、
英米文学科に入って本当によかった、
と思っているのでむしろ感謝しているが

 母が英文科卒だったからか、
私が英語が好きだったからか

兄が中学生になった頃から
英語さえできればみたいなことを
親は言っていた気がするし
(私は非英語圏海外帰国子女だが
兄の友人たちは、
英語圏帰国子女だったから
中学入学時からペラペラ、TOEIC満点、大学ももちろん他の科目もできる方々
だったようだけど、
英語が圧倒的にできる理由で
東大、慶應、早稲田ばかり)

(しかも東大や慶應など
全部合格した兄の友人が、
東大が一番簡単だったというレベル)

そんな環境もあって私は
小学校2年までいた海外の学校で
小学校3年からはじまる英語の授業を楽しみにしていたし、
それにもかかわらず、
小学2年の終わりで
日本に帰国することになったので、
小学3年の時から、中学受験で
忙しくなる5年生の途中まで、
そして中1から中3まで
母にお勧めされるまま、
NHKラジオ講座の基礎英語を、
聴いていた。


高1の夏の
オープンキャンパスに行く時点で、
ほとんど、文学系、しかも、
英米文学科、英文科しか
見に行っていない。

そうして、気づけば、
文系に、英語系の学部に、
進むような道に進んでいた。

 まぁ、でも今考えれば、
ある意味、いいオープンキャンパスの
周り方でもあったと思う。

同じような学部学科で、
様々な大学を比較して、
それを含めて学校の雰囲気等で
大学を選ぶ。

そうしてオープンキャンパスに
20〜30くらいいって、

わたしはどうも、

近代的で、
スタイリッシュな建物の学校で、
騒々しい、荒々しい感じのしない
学校がお好みだったようで

 以下に挙げる
どの大学にも進学していないから
挙げるが

早稲田ではなく慶應、

上智、

青学や立教は、
当時の建物の感じが嫌。

でも、明治のリバティタワーが
気に入った

そんな感じだった。

 いやもっというと、

ひどいのは、

早稲田は上智の
オープンキャンパス(OC)の
あとに行ったから午後から
夕方しか見ていない、

立教も何処かの後に行ったから
たいして見ていない

そう、
今振り返って思えば

ちゃんと見に行かなかったから

よく映らなかった、
だけかもしれないけれど、

いやそれでも立教と青学は

わたしはあの伝統ある
ツタが受け入れられなくて

(とにかくスタイリッシュなのが
良い!という単純思考)

選ばなかったと思う。

 もちろん、それ以外の、
例えば体験授業や
大学生のお兄さんお姉さんの話し方、
大学の職員や教員の印象、
大学にきている高校生の雰囲気、
も見ていた。

 それで結局、高校2年の時も
いくつかみに行った大学はあるのだが

 高校1年の時に見に行ったおよそ
30校ほどの中から

 高1 の時点で、行きたい大学は
5つに絞られていた。

 話を戻すと、
文理選択や進路選択の段階で、

強いて言えば得意なのは英語

英語は好き

OCでは英文科系で見た

楽しそうだなと思ったものがある

という点と、

いま、なりたいものや、やりたい仕事
わからない、夢もわからない、

でも、英語の勉強を続けたいな

そんな風にして、

英文科・英米系・英語科系で

先ほど挙げたような大学郡を

志望校としておくことにした。

これが高1〜高2のこと。

「ケーキ屋さんになる」

 そうして、高校生になった時、物心ついてから初めて夢をなくした私は
とりあえず今やってみたいこと、

で進路を選んだ。

 ケーキ屋さんだと思っていたのに、

将来の夢、がわからなくなった時

 本当に困惑し、戸惑い、
不安になったのをよく覚えている。

 わたしは何になりたいのだろう。

 わたしは何者なんだろう。

 どうやって生きていくのだろう。

わからなかったから、

 今、1番勉強していて楽しいもの、
今比較的科目の中で得意なものを、
続けよう。

 そういう風にロジックをたてて
そこに、母からのお勧めもあって、
いつのまにやら英米文学系、英語系に
進路が決まっていた。

 だから、はずかしながら
大学に入学するまで英語学が、
どんな学問か
あまりわかっていなかった。

英米文学科、と

英文科、と

英語学科、と

国際コミュニケーション系の

名前の学科、

の違いすらあまり意識して

考えていなかったのだ。

 英語だって得意とは言えないけれど
とりあえず英語以外は、全部
不得意だし、、と。

そして結局、一般入試と、
蹴ってもいいAO入試・
奨学金獲得入試など、合わせて
9校11の入学試験を受け、
オープンキャンパスを観に行った
大学は全て落ち、入試の日まで
一度も足を踏み入れたこともない
合格した4校のなかから、
総合的に様々見て今の出身校を
選んだ。

英語学と
英文学と
英米文学と
国際コミュニケーションの
違いすらわかっていなかった私は

英語自体を学べるのが英語学だと
勘違いしたまま大学へ入学し、

大学入学後、
初めて英語学の授業を受けて
ぁあ、これは英語の音声や
英語の歴史、そういうものを
学ぶ学問なんだ、

となんとなく理解し出した。

興味はあったけれど
かなり難しい分野で、

これを使って何か勉強、研究していく
これを使って仕事する、
まで考えられなかった。

後編へ続く……

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