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『星の王子さま』を読むまで死にたかった

 新テニ(新テニスの王子様)U-17を観るために久しぶりにAmazonプライムを再開したというのに、再開した初日も1時間も観ていられず、あれから5日間、1話も、1分も何も観られないまま去った。


 アマプラに入った後から生理が来て、今回は生理前は眠いくらいだったのに、生理が始まってから起き上がれなくなった。起き上がれなかったけれど、仕事だけは、身体をなん度も叩いて起こして踏ん張って泣きながら行った。でも、仕事のために起き上がるのに40分もかかった。


で、今回は生理前や生理中というよりはもう終わりそうという頃になって身体がどんどん動けなくなっていって、おまけに金曜日に雨が降って体調が悪化して土曜日は、一日中起き上がることができなくて、なんとか1日にカップ麺を1つと、食パンを2枚だけ食べたのが食事だった。


悪天候と寝たきりが多くてベッドが不快だった。幸い今日は、生理がほぼ終わってきて、体調もそこまで悪くなく心は珍しく快適で、おまけに天気も晴れ。
10時くらいまでには起きられたから、朝イチで溜まった洗濯物を一気にかけて、その間に着替えて朝ごはんを食べて、洗濯物を干したら、布団と枕カバー、この間も洗ったけど気持ち悪いからパジャマも、全て攫って洗濯第二弾をはじめた。


ご飯を食べ終わって昨日放置したままだったお皿もすべて洗った。

少し手持ち無沙汰になって、ぼーっとしてそれから着替えて化粧もした。


洗濯が終わったら出かけることにした。


 音が鳴って洗濯が終わったけれど、外に干した布団と毛布がまだ乾いていないから、外に干していた洗濯物に乾燥をかけて、外に毛布などを干すことにした。


 洗濯をしている間、親愛なる友人は、フルタイムで働いて残業もして、土日も出勤の時もあって、お子さんがいて奥様のお腹には第二子がいて、その中で家事掃除やりながら働いてることを思って、私にはできないなって思った。

働いている人々がそうやって生きていることをわかっているけれど、それが当たり前なのかもしれないけれど、起き上がるのも精一杯な私にはそんな超人生活はキツすぎる。


 結婚して夫になっても、子供が産まれて父親になっても、私と親愛なる友人の関係や関わり合い方は変わらなくて、それが彼のすごいところであり、また安心できるところだったけれど、さすがに2人目を奥様が妊娠して変わりつつあることを認識しはじめた。というよりは、おそらく私に見えていなかっただけであり、第一子出産の時がまさに2020/3〜のコロナ禍だったから気づかなかった、というだけかもしれない。


 彼が観葉植物を育てていることも観葉植物の種類の話をするのもこの間初めて聞いた。私と親愛なる友人は、そういう友人関係なのだ。私はペラペラと彼に話をするから、彼は私の恋愛関係や友人関係について知っていることが多いけれど、私は彼の奥様やお子様の話を聞かないから知らない。


 そんなこんなで、洗濯をして布団のお掃除もしてから出かけた。生理中なのによく頑張ったよ私。



 お出かけのお供に今日は、持っているすべての『星の王子さま』を持っていくことにした。


読むかはわからないけど、とりあえず持っていくことにした。


 部屋を片付けるのも、アニメを観るのも全部後回ししている。後回し癖は、特性もあるし、昔からだけど、今、後回しにしていることを書き出してみることにした。


・転職(正規雇用)
・実家を出ていく準備
・部屋の片付け
・本を読むこと(部屋を片付ける最大の助力になる)
・写真の整理(8月末までにあと12000枚くらい消さなければならない。)

ざっと大まかに今先延ばしにしている大きなことはこのくらい。


 家を出ると家のすぐそばの道にはまだ桜が咲いていた。すっかり葉桜になってしまったと思っていたから、まだ残っているピンクが私の目に飛び込んできた。


 今日は天気が良い、晴れていて16〜17℃ある、暑すぎず暖かくて、風も心地よい微風でこういう春の陽気がとても好きだ。


 カフェに入って少し気持ちが落ち着いてきてSpotifyではPerfumeがDream Fighterを歌っているのを心地よく聴ける余裕が出てきたので、持っている星の王子さまの本を6冊とサン=テグジュペリの、人物伝の本1冊を発行年月順に並べ直して、古いものから読むことにした。


 ①内藤濯訳. 『星の王子さま』(1953第一刷, 2000新版第一刷, 2006新版第六刷.岩波少年文庫)

 ②鈴木一郎監修. 『小学館学習まんが人物館 サン=テグジュペリ』. (1997初版第一刷. 2023第十二刷. 小学館)

 ③池澤夏樹訳. 『星の王子さま』.(2005第一刷. 2021第二十六刷. 集英社.)

 ④池澤夏樹訳.『絵本 星の王子さま』(2006第一刷. 2022第二十ニ刷. 集英社.)

 ⑤奥本大三郎訳.『星の王子さま』.
(2007初版. 2020第十九刷. 白泉社.)

 ⑥池澤夏樹訳.『星の王子さま』(ポップアップ絵本〈コンパクト版〉).(2016第一刷.2052第二刷. 岩崎書店.)


 ⑦ドリアン助川訳.『星の王子さま』.(2016初版発行. 2019第三刷. 皓星社.)


 池澤夏樹訳が3パターンあって、訳者違いで4人とサン=テグジュペリの人物伝漫画が1冊。


 サン=テグジュペリは、伯爵家の長男で、子どもの頃から飛行機を知って育って飛行士になることを夢に持って生きていて、おまけに文才にも恵まれていた。いいなと思う反面、彼は若くして弟を病気で亡くしているし、WWⅠも経験した人物で、決して楽な人生ではない。


 親戚の希望で、従軍するなら陸軍よりは海軍の方が死ぬ確率が低いだろうと海軍に入隊したアントワーヌ(サン=テグジュペリ)は、(小学館の人物館の漫画で)彼が通っていた高校の教頭先生でもあるシュドゥール神父に「陸軍よりは海軍のほうが死ぬ確率が低いだろうって。ぼくは死んだってかまわないんですけどね」(p.43, 小学館)というと神父が彼に「アントワーヌ。軽々しく「死ぬ」なんて、口に出すんじゃない。」(p.43, 小学館)といわれる。神父は、戦場に行って若者たちがたくさん死んでいくのを見てきた、戦争のせいだといい、サン=テグジュペリは神父に
「人間が命をかける価値のあるものなど、そうたくさんあるわけではない。それを見つける時間がある君は、まだ幸せなんだよ。」(p.44, 小学館)と諭される。


 小説家の夢を持ちながらも自分には無理だと思っていた彼は、子どもの頃飛行士が言っていたことや神父にかつて言われたことを思い出して空を再び目指そうと航空隊に入隊し、一年をかけて飛行士資格もとった。ところが翌年大きな事故で頭の骨を折ってしまい、さらにルイーズと結婚するために危険な仕事である隊を退いて自動車会社に勤め始めることになった。その中で、かつてアントワーヌに小説家になればいいじゃないといった従姉・イヴォンヌに、書いた小説を読んでもらう。すると知り合いの小説家を通じて彼の小説が出版社の目に留まり、『飛行士』という題で出版された。


 アントワーヌの本を読んだ実母は、彼が飛行士の夢をまだ捨てられないのだと気づきシュドゥール神父にお願いをして、神父の紹介でアントワーヌは軍用機をつくるラテコエール社に入社し、そこで親友ギヨメとも出会う。


 彼はそこで、飛行機の上から、草原を走る羊の群れをみたし、砂漠で仕事をすることになった。

 星の王子さまミュージアムにも書かれていたけれど、この、サン=テグジュペリという男は、生まれや育ち、機会や環境、人のつながりに大変恵まれていたとはいえ、その上人々の心を掴んでしまう不思議な人格があったようだ。


 正直なところ、その後のコンスエロとの結婚やその後の夫婦の金銭感覚なども含めたら、決して素晴らしい人格者というわけではないし、尊敬に値する以外にない、というわけではないけれど、その、微妙にダメなところがあるところが彼の人間味なんだと思う。


 その後も、彼は、様々な経験を繰り返しては、それらの経験をもとに『人間の大地』、『風と砂と星と』、『戦う操縦士』を書き上げてたちまちベストセラー作家になったし、その間に彼は戦争は嫌だし人殺しも嫌だが逃げるのはもっと嫌だと空を飛ぶ偵察隊に入っている。


 これだけでも私からしたら、エネルギッシュすぎる。たった起き上がってご飯を食べることすらできない私からしたら、異常なエネルギーだ。


 そうして過ごしていくうちに、たまたま童話を書かないかという話がきて1943年に書き上げたのが、この、砂漠に不時着したパイロットが不思議な王子さまと出会う『星の王子さま』という物語。


 その後再び従軍したサン=テグジュペリは、二度の着陸失敗で、飛行停止処分を受けるも空を飛ばせてくれと頼み込み5回の偵察の決まりを超えて7回目の偵察に出かけたまま消息を絶った。


 彼のこの人生については、以前、もっと昔、十代の頃か、ミュージアムを訪れた際になんとなく見て、ほう、と思っていたので、彼が飛行士だったこと、最後は消息不明のまま消えたことなども知っていたが改めて読むと、世界的には戦争があっても少なくとも目の前で戦争を見たことのないわたしは、彼の強さが信じられなかった。


 きっと彼は、弟を亡くしたことや親友ギヨメを失ったことなどを通して、戦争は嫌だけれど、本を書いていくうちに、だんだんと目の前の飛行士(戦闘機に乗るパイロット)としての仕事にのめり込んだのかな、戦争は嫌だけれど目の前のことから逃れるのはもっと嫌だという結果がこうなってしまった(戦闘機としてパイロットになり、戦争に向かっていく)のかなと思って、その強さが眩しかった。


 彼が最後に出した本が、何でもなくまさしく『星の王子さま』で、その星の王子さまという本には、彼の幼い頃からの経験や思い、考えとともに最後王子さまが音を立てずに消えてしまった、そのストーリーを、読者は偵察に飛び立ったまま消えてしまったアントワーヌに重ねざるを得ない。



 私が初めて星の王子さまに触れたのが内藤訳だったから、それはボアではなく私にとってはウワバミだし(池澤夏樹訳ではボア)トルコの王様と思っていたものは池澤夏樹訳では、トルコの独裁者になっていた、、(ドリアン助川訳でもボアだった。)


 内藤訳では飼い慣らされていないから遊べないというキツネは、奥本訳では「ペットにすればいい」と書いてあるし、内藤訳で「仲良くなる」と書いてある部分は、奥本訳では「ぼくときみの心と心を結び合わせる、紐をつくる」と書かれていて池澤夏樹は「仲良し」と訳し、「だってボク、きみになついてないもん」と訳されている。

 紐をつくると仲良しは同じには感じない。それが訳し方の違いのそのニュアンスを訳者がどう汲んでどのような言葉を使って訳すかの楽しみだと思う。


 もちろん、最後は、すべてサン=テグジュペリがコルシカ島基地から偵察に飛び立って消息不明になったように、王子さまは砂漠の上で消えるのだけれど奥本訳だけは、王子さまが消える瞬間に"ぼく"が立ち会っていないことも知った。

 ちなみに、『星の王子さま』という邦題は、最初に訳した内藤濯氏の草案なのだが、池澤氏、ドリアン助川氏が書いたようにこれ以上の邦題は今後も出てこない気がする。



 こうやって、さまざまな訳本をパラパラとめくっていた私は、しかし、その『星の王子さま』のストーリーから、作者アントワーヌが、他の大人たちが忘れてしまったことを共有できる相手を、忘れずにいられる相手を、「王子さま」という存在を作り出して残しておいて、それをレオン・ウェルトに託したことを思った。

 王子さまは、アントワーヌ彼自身だとされているがきっと、もしかしたら、子どもだった時の彼や彼が忘れたくない気持ちや考えをペルソナ化したのが王子さまなのではないか。ちょっと屁理屈で知りたがりで想像力を忘れていなくて純粋な気持ちを、戦争に向かう自分が忘れないために書いたのだろうか。それとも、そうしてこれまで持ち抱えていた心持ちや考えを、王子さまに投影して『星の王子さま』という本を書き上げることができたからこそ、彼は筆を折る覚悟で戦争に向かったのだろうか。若い人々が亡くなっていくのをみて従軍を決めて、死に向かっていったとされるアントワーヌの姿に、私は昔読んだ『永遠の0』(百田尚樹氏)の宮部久蔵の最後を重ねて思い出して


 ああ、ああいう感じなのかな、と昔見た映画の岡田准一の表情を思い出した。


 ちなみに、『星の王子さま』で1番好きな文章の箇所は以下の通りだ。

「夜あなたが、星空を見あげるでしょう。星空の星のひとつに、ぼくが住んでるから、その星のひとつでぼくが笑っていると思ってね。そしたら、空じゅうのお星さまがみんなで笑ってるような気がするよ。あなたは笑ってる星空をぜんぶ自分のものにすることになるんだよ」

(奥本訳,p.44)

これに関しては、『星の王子さま』、内藤訳、奥本訳、ドリアン訳、池澤訳と4つ読んだけど奥本さんの日本語が1番好きだった。


王子さまが消える前、王子さまはぼくにこんな話をする。(以下、同じ部分を別訳で載せます)


「人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。旅行する人の目からすると、星は案内者なんだ。ちっぽけな光くらいにしか思ってない人もいる。学者の人たちのうちには、星をむずかしい問題にしてる人もいる。ぼくのあった実業家なんかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての星は、みんな、なんにもいわずにだまっている。でも、きみにとっては、星が、ほかの人とはちがったものになるんだ……」 「ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、君が夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると、君だけが、笑い上戸の星を見るわけさ。」

(内藤訳,p.156)


「だれの頭の上にも星はあるけれど、みんな同じ気持ちでながめているわけじゃないんだ。旅をする人たちにとって、星は道案内になる。別の人たちにとって星は、つまらない、ただの小さな光の点にすぎない。星を研究している人たちにとっては、問いかけで埋まった空だ。ぼくが会った実業家は、星のことを財産だと思っていた。だけど、そういった星はみんな同じだ。静かにだまりこんでいる星なんだよ。でも、あなたは、まだだれ一人ながめたことのない星々を持つことになる……」「夜空を見上げてよ。ぼくは一面にかがやく星々のひとつに住んでいて、そこで笑っているんだ。するとあなたからは、すべての星々が笑っているように見える。だから、あなたは笑うことのできる星々を友だちにできるんだ。」

(ドリアン助川訳,p.138)



「人にとって星の意味は、人ごとに違うだろ。航海している人には星は案内だ。他の人にとっては小さな光るものでしかない。学者たちには星は研究の対象。あのビジネスマンの目にはお金に見える。でもそういう星はどれも声を出さない。きみだけが他の人たちのと違う星を持つ……」「夜の空を見て、あの星の1つにぼくが住んでいて、そこでぼくが笑っている、ときみは考えるだろう。だからぜんぶの星が笑っているように思える。きみにとって星は笑うものだ!」

(池澤夏樹訳.pp.106-107)



 王子さまとぼくは、"絆"を結び、仲良しになったのだ。



 東京の夜は、明るすぎて星が見えない。だけれども、その夜空の先にはたくさんの星があって、かつて人々は、星を旅の道標に、人生の指針に、生きてきた。そして今も。


ー 夜空を見上げ 星空に魅了された人々 
人は星空を見つめ 真理を探し続けてきた
星空の向こうに あなたは何を見つけますか? ー 


 これは、私が大好きなコニカミノルタのプラネタリウムで今まで見たことのある4〜5作品の中で最も好きで4〜5回観に行っている作品「時を刻むこの星空 with Dreams Come True」の紹介動画でナレーションを担当する中村倫也さんが語る言葉である。




 星空がほとんど見えないからなのか、スッキリできるからなのか私はプラネタリウムに行くのが趣味である。昔から都会にしか生きてこなかったから、満天の空を眺めたことがない。サン=テグジュペリが生きていた20c初頭も、既にライト兄弟が飛行機に乗った時代で、彼はそれがきっかけとして飛行士を目指したとされている。


 そうした時代にあって、自由な心を持っているのに、環境に押し付けられ、世界の時代の趨勢に飲み込まれながら彼は、描いた本の中だけで、特にこの『星の王子さま』という作品の中で自由を忘れないように書きつけたのだろう。



 プラネタリウム、それはプラネット、惑星を見る場所、という意味で、planetとはギリシャ語で「さまよえる者」という意味の由来があるそうだ。コニカミノルタプラネタリアのこの作品は、コニカミノルタプラネタリアTokyoのオープニング作品として上映されたものである。



 Tokyoがある有楽町は、かつて、日本で初めてのプラネタリウム、東日天文館が開設された場所である。


 星の王子さまを読み終わる頃、私の頭の中ではこの、コニカミノルタプラネタリアの作品が流れ始めて、その頭の中の上映作品の映像の奥底に、子ども抱き抱えている親愛なる友人の姿が私には見えた。


 時代は、物語は、子どもに、次の世代に、引き継がれていく。


 引き継ぐために、生きているのかしら。


 死にたくて消えたくて、消えることができなくて、助けて欲しくなって苦しくて、家族が旅行で不在なのをいいことに、ひとり真夜中に大声をあげて泣いた昨日を思い出した。私は、やっぱり、親愛なる友人の名前を呼んで助けて欲しくて震える手で、LINEの彼とのトーク画面まで開いたけれど、


 ふと、私の知らない彼の時間が、家族やお子さんといる彼の顔が、靄がかかってその表情がわからないけれど浮かび上がって、それを邪魔できなくなって私は、結局、消えたい衝動を抑えるために布団の中から出ないように自分を縛り付けて泣いたまま眠った。

 王子さまのように、サン=テグジュペリのように消えて空へいけたら、よかったのにと思った。サン=テグジュペリの人生とともに星の王子さまをパラパラめくったわたしは、神父がアントワーヌに言ったとされる


 「人間が命をかける価値のあるものなど、そうたくさんあるわけではない。それを見つける時間がある君は、まだ幸せなんだよ。」(p.44, 小学館)という言葉を思い出して、何度も頭の中で反芻した。



 死んでもいいと思っていたアントワーヌは、結局この言葉の後生きて、世界で最も有名な童話となる作品を遺した。


 私が、星空を見上げるためにプラネタリウムに行くのは、もしかしたら、星の王子さまが所以なのかもしれない。星の王子さまを読んだ私は、星の見えない東京でも、空を見上げたら、その先の星のどこかに、王子さまが、命令ばかりの王さまが、呑んだくれが、計算ばかりする実業家が、ただ火を付けたり消したり命令に従順する点燈夫が、本物の川も山も見ないけれど本ばかり読んで知識だけある地理学者が頭に浮かぶ。


 1999年、サン=テグジュペリ生誕100周年の事業の一環で開館した、箱根の星の王子さまミュージアムは、2023年3月31日、20年余りの歴史に幕を閉じた。


 その最終日、2日間連続でミュージアムに行った。久しぶりにきたミュージアムは、どこも老朽化を感じないくらい美しくて、王子さまを振り回して魅了していたような、手入れされた薔薇もフランスの街角のような街並みも、サン=テグジュペリの生誕から亡くなるまでの歴史も、サン=モーリス城を再現したような建物も、教会も、ミュージアムショップ「五億の鐘」も、何もかも、まだ溌剌と輝いていてけれど、ミュージアム内のあちらこちらに佇み座る王子さまは、確かに20年の歴史も感じた。


 ミュージアムがなくなってしまう喪失感を傍らに抱えながら、けれど、「星の王子さまは永遠なんだ」と実感しながら、もう二度と同じ景色として見られないミュージアムを焼き付けて、二度と同じ感覚を得られない道を踏み締めて歩いた。


 これからも、何度でも、私は星の王子さまを読み続ける、どの訳も。何度でも、できればいつかフランス版が欲しいとも思う。


 星の見えない東京で、私は、心の中に星の王子さまを住まわせて、迷った時の道標にしたい。死にたくて、消えたくて、苦しかった気持ちは、朝まで消えなくて、私はなんだかもわっとした感覚を覚えて気持ち悪くてこの間洗ったばかりの布団や枕カバーとかもすべて洗い直した。幾分か心地は良くなって、それから持ち出した『星の王子さま』をめくっているうちに、心は落ち着いてきたと思われて、今日は、親愛なる友人にヘルプを出さなかった。


 星空の向こうに、わたしは何を感じているのだろうか、何かを見つけたのだろうか。それを見つけるまでは、やっぱりまだ彷徨っていたほうがいいのだろうか。"命をかけるほど価値があるものを見つける"までは、彷徨えるんだろうか。


 けれどやっぱり私は、アントワーヌとは違って、どれひとつにも恵まれた才能がないから、彼の苦しみを分かち合えない一方で、彼の持っている幸せを羨ましく思う気持ちがあって、消息を絶って消えてしまったアントワーヌを少しばかり羨ましく思った。私みたいな凡人以下の人間の、何もできず、社会の役にも立てず、けれど死ぬこともできない人間を、アントワーヌはどう描くだろうか。


 大人になった今、わたしは呑み助の気持ちがよくわかる。


 点燈夫が好きなのは、命令だからとthoughtlessにただ灯りをつけたり消したりして生きているだけの彼の、その命令だからと言っても言われたことをきちんとこなし続けられるそれが、わたしにはできないからなのかもしれない。


 星の王子さまをもう一度さまざまな訳で読み返して、それからまたコニカミノルタプラネタリアTokyoに行こうと決めた。


とりあえず、それまでは、生きてみることにした。

それでわたしは、「人間が命をかける価値のあるものなど、そうたくさんあるわけではない。それを見つける時間がある君は、まだ幸せなんだよ。」(p.44, 小学館)を頭の中でまた呼び起こした。わたしにとっての星の意味は、何だろう…



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