昨日、子供と川沿いを沢山歩こうとリュックを背負って歌を歌いながらいった。
花粉症はたぶんある。
くしゃみも目頭も痒いけどマスクなんてかなぐりすてて口からおもいっきり空気を吸って歌をうたってあるいた。

子供が幼稚園のときいろいろあって幼稚園に行きたくないと本人がいったときは辛かった。先生にも相談したけどなんともしてくれなくてわたしの心配はどこにいってもついてくる、どんどんふえた。
子供が斜視だとわかったときもなんとかしようと足掻いて足掻いて病院を何個かかわりその度に心をえぐるような医師の言葉と知り合いの嫌がらせと思うような言葉。ますます他人がこわくなった。

でも、ここまでなんとか子供もおおきくなった。子供の大きくなる力でここまできただけで、私は苦しみ方だけうまくなったきがする。

砂をつかんで立ちあがれ 好きだった中島らもさんの本に載っていた言葉。辛い時は思い出していたけれど、転んだときに砂をつかみ、お前がバカだからだ!と自分にいつも砂を投げつけていた。相手に投げれない私を私は憎んだ。

だけど、昨日、見えない花粉と舞う風のなかの砂をみたときにふと、砂をつかんで立ち上がれは
その砂を誰かに投げつけろ!といったんじやなくて
転んでもただでは起きない の意味だったんだ。と。
私はころんで砂は自分になげたけど何回も立ち上がったじゃないか。
例え誰かに転ばされても何回も我が子と

立ち上がったじゃないか。
転ぶ前の私と立ち上がった私。立ち上がっただけですでに違うんだ。
あいつらみんな不幸になれ、ならなきゃ不公平だとおもうけど、おもったっていいじゃない?誰かを許せるほどお人よしでもなくていい。
ああ、砂をつかんで立ち上がれ。そしてその砂はいつかの私をたすけてくれる。立ち上がったことの証。
それこそが私だけの自信なんだ。

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