学校教育と公務員は恐ろしいほどリンクしている

公務員とは見事なほどに学校教育の延長線上にあると、僕はそう確信している。公務員になるということは学生のままで一生を過ごすということです。


どういうことかというと、公務員は一応社会人ではあるけども本質的には学生となんら変わらないということです。体は大人だけど中身は中学生のまんま、ということ。


小学生レベルの悪口に聞こえるかもしれない。でも、10年間公務員として公務員を見てきた僕からは、それ以上の感想が驚くほどに出てこないのです。

学校教育では従順で真面目であることを良しとしますが、公務員は従順で真面目であることを強要されます。

真面目にコツコツ働くことこそが彼らにとっては絶対の正義となっている。目上の者に反論るすなんて論外、意見することすら快く思われません。そう、上司=先生、仕事=勉強、なのです。いわば公務員とは学校教育の強化版です。だから、蔑まれるのかもしれない。


仕事の成果は大事なのですけど、成果以上に重要視されるのが勤務態度です。仕事はイマイチだけど、勤務態度が良好なら全てが肯定されるという風潮があります。仕事をないがしろにしているのかと言われれば、YES。基本的に、仕事はできる奴にやらしとけ、で終わります。仕事ができなくとも、勤務態度が良好であればなんらお咎めは受けません。


まぁ売上ノルマがあるわけでもなし、公務員の仕事なんて99%は自作自演ですからね。大変は大変でも、やる意味のない仕事をミスったところで社会的な影響度は屁みたいなものです。なので、とりあえず「真面目にやってる風」を演じることが最も意味をなしてくるというわけです。


過ぎたるは及ばざるが如し?

マジメにコツコツ努力するのがダメなのかというと、そうではありません。特に知識もスキルもない学びたての頃は、教えに素直に従いコツコツ努力するのは大事でしょう。何も土台がないのに我流でやるのは効率が悪いだけで時間の無駄ですからね。基礎がなければ学力もなかなか身につかないし、仕事だってなかなか上達しないでしょ。


しかしながら、基礎がいくら大事だといっても、基礎ばかりやっててはハナシになりません。基礎が大事なのはあくまで最初の学びはじめの頃だけです。基礎を習得したなら、さっさと応用にうつらなければなりません。応用にうつることで、一刻も早く効率化をはかりパフォーマンスを上げなきゃならない。普通はね。


ところが、公務員には応用など許されないません。「応用=効率化」ではなく、「応用=横着=クソ生意気」だとみなされるからです。

「効率化だと?お前、楽をしたいだけだろ?応用やって事故とかあったらオレが責任とるんだぞ!」


というように、とにかく公務員は基礎を好み応用を嫌います。極端な事なかれ主義で、あまりに基本基礎にしがみつき応用を完全否定するため、そこには効率化もパフォーマンス向上も己の向上心すらもない有様なのです。


官公庁と業務上関わった経験がおありの方であれば、公務員がいかに非効率なのかは痛いほどお分かりのことだと思います。彼らが非効率である最大の理由こそ、まさにコレなのです。


まじめの弊害

真面目は悪である。僕はそう考えています。

学校教育や公務員のように、基本基礎から外れるな!などとしつけられると、柔軟な思考ができなくなるんですよ。答えはこうあるべきだとか、こうじゃなきゃならない、などと無理矢理方程式を当てはめようとするのです。公務員は予定を立てることに狂ったようにこだわるのですが、その理由がコレです。

悲しいほど愚かですね。世の中、ハッキリした答えなんてないのにね。


まじめに学校教育を受けてきた人ほど、社会に出れば埋もれてしまうものですが、その原因は「しつけられ過ぎた」からです。逆に、真面目に学校教育を受けてきた人ほど、公務員として大成するのも「しつけられ過ぎた」からです。


真面目にしつけられた人間はビジネスマンとしては無能だけど、公務員としてはとても優秀なんですよ。この問題はこうあるべきなど勝手に決めつけ、決まった定型で決まった書類を作る。公務員の優秀さは、まさにこの点に現れるのです。


官僚なんてその最たるもので、日本の国家戦略が毎度毎度見事なほどに「絵に描いた餅」で終わるのは、官僚というクソマジメなだけで哲学のカケラもない連中が携わっているからなのです。

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