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世界史漫才再構築版31:大航海時代編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 苦:今回は大航海時代です。
 微:もう、自分の若い頃の失敗を思い出すたびに思いっきり後悔してしまうんですよ。
 苦:そっちの「こうかい」じゃねえよ! お前の場合、人生イコール黒歴史だろ!
 微:それにしても財務省や入国管理局の公文書「大公開時代」はいつ来るんだろうな?
 苦:絶対来なねえよ! いい加減に文字化しないと誰もわからないボケは止めろよな。
 微:ところで、いつから、なぜ「地理上の発見」が「大航海時代」になったんだ?
 苦:はい、それは岩波書店が14~18世紀のインド航路発見、新大陸発見、アジア探検、太平洋地域の探検などに関わる叢書名を「大航海時代叢書」として出版したからです。
 微:20世紀末だったら「大海賊時代叢書」としてワンピ・マニアからも搾取できたのにな。
 苦:「地理上の発見」と語った時、その話者は世界の中心たる西欧から世界を見ています。西洋中心史観の権化のような言葉が「地理上の発見」だったのです。
 微:永遠に「世界の中心だと叫ぶ獣」はどうしたらいいんだ?
 苦:中華思想は置いておきましょう。『世界の中心で愛を叫ぶ』がベストセラーになった時、何人の日本人が『世界の中心で愛を叫んだ獣』というご本家を連想できたでしょうか?
 微:まあ、マイケル・ムーアの『華氏911』が焚書を描いたブラッドベリーの『華氏451』がご本家だったことを知らない学校関係者も多かったしな。
 苦:話を戻します。インドに西欧人で最初に到達したヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ東岸でムスリムの水先案内人の手引きでインドに行きます。つまりインド洋海域では既知の航路だったのです。
 微:まあ、明治にお雇い外国人が日本在来種にラテン語学名つけまくったようなもんだな。
 苦:実際、アラビア海ではダウ船を使った季節風交易がずっと行われてきました。またベンガル湾から東南アジアを経て中国の広州や寧波へ向かう交易も存在していました。
 微:それに気づいて1511年にポルトガルはマラッカ王国を征服する。
 苦:つまり、西欧がアジア交易を創造したのではなく、既に存在したそれに寄生することで憧れのアジア物産を手に入れたことを明確にする必要がありました。
 微:1543年に種子島に来たポルトガル人も倭寇王直の船に乗ってたしな。まさにただ乗り。
 苦:それだけではなく、西欧がアジアに売り込むことができる世界商品はなかったので、憧れのアジア物産が西欧で売れれば売れるほど貿易赤字となって銀が流出しました。
 微:でもポルトガル単独で見れば、ぼったくりし続けたジェノヴァやフィレンツェから富を回収したわけだから、ポルトガルにはまさに地理上の発見だよ。
 苦:その慢性的貿易赤字を解決したのが新大陸での銀発見と輸送、そして新大陸でのタバコ、サトウキビなどの世界商品を強制労働で生産すること、そのためのアフリカ奴隷狩りでした。
 微:それはスペインとイギリスにやられてしまったけど。
 苦:つまり資本主義世界経済の起動を重視するなら、「地理上の発見」では射程不足なんです。
 微:「寄生商人から寄生地主へ」とでも呼んだらダメなのか?
 苦:ポルトガルに限定すると、本国がダメダメで、マカオ以外のポルトガル人は現地化・拡散します。大航海時代でも足りないので「大交易時代」という概念を提唱する人もいます。
 微:よく言えば、現地社会に溶け込んだ、意地悪く言うとオランダやイギリスに圧倒されたと。
 苦:その通りです。とにかく、先行したポルトガルから始めます。なぜ、ポルトガルに遠洋航海が可能な知識、造船技術、操船技術、設備と用具、有効な武器が集まったのか?
 微:そりゃ、キミの大学合格と一緒で一生分の運を14~16世紀に使い切ったからだろ?
 苦:実はイベリア半島でのレコンキスタ、つまりイスラーム勢力からの国土回復運動はカスティーリャやアラゴンよりもポルトガルは先に13世紀末に完了していました。
 微:というか西の端っこにいたから、面倒なことはカトリック両国に押しつけたんだろ。
 苦:目を大西洋と英仏海峡に向けることができたんです。そしてポルトガルはカスティーリャが百年戦争にフランス側で介入した隙に、イングランドと反カスティーリャで同盟します。
 微:まさか、序盤の快進撃に幻惑されたんじゃないだろうな、第2次世界大戦の日本みたいに。
 苦:意外に思えますが、イングランドやネーデルラントとの交易ではポルトガルはスペインに比べて圧倒的に優位な地理的条件にあり、そして1385年にアヴィス朝が成立します。
 微:そしてそれをまだフランス王権に併合されていないブルターニュ公国が支援すると。
 苦:ポルトガルは、最初はカスティーリャ王国に宗主権を握られていたんですが、アヴィス朝で王国になります。まあ、カスティーリャとの関係は切れないんですけどイングランドとつながった。
 微:確かジョン失地王によってブルターニュ公が謀殺され、反イングランドになっても不思議じゃないのに、なぜだ?
 苦:イングランド王ジョンではなく「アンジュー伯ジャン」に殺されたということです。
 微:なるほど。しかし、百年戦争終わるまでのイングランドとフランスはややこしい。
 苦:海に未来を見出す、それを示すのが写真の先頭に立っているエンリケ航海王子(1394~1460)で、彼の母はランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘であるフィリパでした。
 微:おれ、高校生の時、ずっと航海「玉子」だと、コロンブスと混線して覚えてたよ。紛らわしい!
 苦:オマエがバカなだけだよ!! 父の結婚が示すようにポルトガルは地中海商業とイングランド、ハンザ商業圏の中継点にあります。後の時代の目で、南の方だけ見ていては理解できないんです。
 微:じゃあロンドンとパリを同時に見るよ。
 苦:やばいよ! 1420年にエンリケはテンプル騎士団の後継であるキリスト騎士団の指導者となり、死ぬまでその地位にあり、騎士団の莫大な資産をアフリカ探検事業の強力な資金源としました。
 微:ポルトガルの森喜朗と呼ばれたそうです。女が入ると会議が長くなるとかほざいて。
 苦:その前の1415年に父と一緒にジブラルタル海峡のアフリカ側、つまりセウタを攻略し、アフリカ探検の拠点としました。そこでサハラ砂漠を横断するキャラヴァン交易と金・香辛料を目の当たりにし、アフリカ西岸を南下して交易を掌握することを決意します。
 微:セウタって今はスペインの飛び地だけど、元々はポルトガルが奪ったんだな。
 苦:また、ここにいたムスリムから「プレンスター・ジョンの国」伝説を聞くんです。そして今日、サグレスと呼ばれる一帯に「王子の村」を建設したそうです。
 微:「集まれ どうぶつの森」を参考にしたそうです。
 苦:もっとスケールでかいよ!! この村に、造船所、天体観測所、航海術や地図製作術を学ぶ学校などを建設し、各種の航海術や地図製作技術に大きな発展をもたらしました。
 微:それが、序盤でオマエが出した問いの答えか。
 苦:そして大西洋上でマデイラ諸島、次いでアゾレス諸島を発見・植民地化します。金の産地を求めてアフリカ西岸探検も進みます。
 微:探検先の謎を解くたびに新しい島や陸地が海上に現れたそうです。
 苦:ドラクエ7じゃねえよ! ジョアン1世が死ぬと、兄ドゥアルテ5世が即位します。
 微:「あつもり」に夢中だったのを悪用されたな。
 苦:関係ないよ!! エンリケは政治の表舞台には現れません。自分の成果でもある大西洋及びアフリカ探検の特権、それを使った富蓄積に専念します。
 微:ポルトガルの竹中平蔵と呼ばれ、カナリア諸島はポルトガルの淡路島と呼ばれました。
 苦:その富を航海関連の技術革新に使ったんです。1440年代に入ると、ポルトガルで開発されたキャラヴェル船により探検事業は飛躍的に進みます。
 微:それってアフリカ側からしたら良い迷惑だよな。暴走族が大型バイク手に入れるようなもん。
 苦:1444年、バルトロメウ・ディアスの父ディニス・ディアスがギニアに到達し、ニジェール流域算の金を入手し、1452年にポルトガルは金貨の発行ができるようになりました。
 微:当然、息子は「おうちの仕事のお手伝い」をさせられたんだろうな。
 苦:こうして探検を繰り返させるうち、エンリケ自身は1460年に亡くなります。
 微:ある意味、幸せな人生だったんだろうな。ポルトガルが夢を見ることができた時代。
 苦:その後、ポルトガルはアンゴラに拠点を築き、サトウキビ栽培のための奴隷貿易を始めます。そしてジョアン2世治世の1488年にバルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達します。
 微:なぜそこで止まったんだろ? 日本帝国軍なら徒歩で上海から南京まで行ったぞ。
 苦:距離が違いすぎるよ! ちなみに喜望峰より東が東インド、西つまり新大陸は西インドとなります。本当ならインドを目指す予定でしたが、コロンブスのインド到達ニュースで頓挫します。
 苦:ダメもとですが、1497年にリスボンを出発したヴァスコ・ダ・ガマ艦隊は喜望峰を回ってアフリカ東岸に行きます。そしてこのガマが無能どころか足を引っ張る張本人なんです。
 微:帰りはひどかったもんな。こいつがいない方が安全で確実。
 苦:アフリカ東岸でインド洋季節風貿易に従事するムスリム水先案内人を雇ってインド南部のヴィジャヤナガル王国の港市カリカットに着きました。これがインド航路発見です。
 微:それで買えるだけ胡椒を買って帰ったと。
 苦:ペストを直す魔法の薬と思われてましたからね。話を戻すと、コロンブスのインド到達がガセネタとわかると、一気にインド航路開拓と拠点確保が進みます。
 微:情報戦でポルトガルは時間を失ったんだな。
 苦:イングランド=ポルトガルに対抗してジェノヴァと提携したのがカスティーリャ王国です。
 微:ジェノヴァと言っても市じゃなくて国だからね。コルシカ島も持ってたし。
 苦:ジェノヴァはイタリア半島の付け根の西に位置し、ビザンツ帝国やイスラームとのとの東方貿易ではヴェネツィアに負けてましたから、西地中海と大西洋に賭けるしかありませんでした。
 微:関本で言うところの必死のパッチだな。
 苦:ジェノヴァの商人も多数カスティーリャ王国に進出していましたが、1479年にアラゴンと合同するわ、レコンキスタが進むわで相手にされていませんでした。
 微:「ツンデレ」路線でジェノヴァを操縦してたんだな。
 苦:コロンブスがカスティーリャ女王イサベルに西廻りでのインド渡航計画を持ちかけたのが1489年ですが、ポルトガルの喜望峰到達によりインド一番乗りは諦めムードが濃厚でした。
 微:コロンブスに濃厚接触して西回り計画賛成に感染したんだな。
 苦:違います。スペイン(カトリック両王)の予想を裏切り、1492年の1月にグラナダが陥落して、レコンキスタほぼ1年分の軍事費が浮いたんです。そこでイサベルは援助を決断します。
 微:でも、サンサルバドル島を発見し、イスパニョール島に上陸してインドと勘違いだったと。
 苦:しかし勘違いかどうかも確かめようはないんです。コロンブス自身も実績をイサベラに認めさせて特許状を手に入れることで必死でしたから。でも以後の探検もOKが出ます。
 微:現地のインディオを証拠として連行したんだから、コロンブスも鬼畜だよな。
 苦:コロンブスの探検は4回に及び、ベネズエラのオリノコ川の水量を見て、同行したフィレンツェ人アメリゴ・ヴェスプッチが「インドではなく未知の大陸」と判断しました。
 微:コロンブスは「想定外を超える水害だったので分からなかった」と言い訳したそうです。
 苦:真備町じゃねえよ! まあ、スペインはなんだかんだで1494年のトルデシリャス条約で新大陸のほとんどを自己の勢力圏にすることに成功します。
 微:勢力圏じゃなくて私物化な。王領、二つの副王領。
 苦:1517年以降、中南米征服が始まり、コルテスは1521年にアステカ王国を征服、1533年にピサロはインカ帝国を滅ぼし巨額の金銀を奪います。また今も採掘中のポトシの銀を手に入れます。
 微:本物のインドより儲かったんだな。
 苦:ポルトガルはダメ元でガマを1497年にインドに派遣し、インド航路とその維持に必要な拠点、東南アジアのほとんどを手に入れます。例外はマゼランが上陸したフィリピンです。
 微:マゼランはポルトガル人なのになぜスペイン王カルロス1世の援助で世界周航に行ったんだ?
 苦:残念ながら造船技術、航海技術や知識でポルトガル人には勝てませんでしたからインド航路経験者で西廻り航路開拓に意欲を持つ者がスペインにはいなかったんです。
 微:カブラルのブラジル漂着も気掛かりだろうな。「お雇い外国人」頼みか。
 苦:しかもマゼランの計画は本気でアジアでの交易を想定して、艦隊は銅10トン弱、水銀約1トン、鏡1000個、ハサミ600個、釣針1万本、色布1万束などドイツ特産品も積んでいました。
 微:妙なところで用意周到だな。
 苦:しかし、南米大陸東岸をいくら南下しても太平洋への出口となる海峡は見つからず、アルゼンチン南端まで来ました。南極圏近く、寒い上に敗血症で苦しむ乗組員が続出しました。
 微:サンリオ的には「ゲロゲロゲロッピ」だな。
 苦:航海は困難を極めます。そしてマゼラン海峡に迷いこみ、しかも部下のゴメスの船が逃げます。
 微:「ランナバウト」だな。人気ないけど。
 苦:風は強く波も高く、ずぶ濡れになり、寒さから口を利く者も減っていきました。
 微:「波浪キティ」だな。あ、口は最初からないか。
 苦:なんでサンリオのボケを連打するんだよ。疲れるよ、もう! 妹のミミィはどうするんだよ!
 微:「疲労キティ」だな。
 苦:しつこいよ!! 行きつ戻りつを繰り返し、その苦労を乗り越え、遂にホーン岬を越えました。
 微:「苦労キティ」だな。それを眺めていたマゼランペンギンが「タキシードサム」になったと。
 苦:そりゃ苦労します。敗血症の原因がビタミン不足だということも分かってない時代ですから。悪寒、倦怠感、鈍痛、認識力の低下、全身に炎症が起きる病気です。
 微:キミの解説を聞いている時のワタシと同じ症状だな。でも本当はポルトガルを蹴散らしてリオデジャネイロやサンパウロもスペインのものにしたかっただろうな。
 苦:なんでそう思うんだよ?
 微:合併してサンリオにするために・・・
 苦:そこから離れろ!!(ペシッ!)

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