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世界史漫才再構築版33:ヘンリ8世と6人の妻編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 苦:今回はイングランド王のヘンリ8世(位1509~47年)です。
 微:あの6人の奥さんを取っ替えひっかえしたスケベ親父だな。母の異なる子供たちを残して死んだ無責任きわまりない。まあ徳川家斉には負けるけどな。
 苦:そういう言い方はかわいそうだろ。日本の桓武天皇なんて女官に半裸の制服を着せてやりたい放題で、ヘンリ8世なんてその4分の1にも及びません。
 微:まあ、昔から「英雄、色を好む」と言いますから。詳しくは岩波新書の保立道久さんの『平安王朝』を読んでね。
 苦:モテたい一心でバンドやってたことを正直に告白しているミュージシャンもいますから。
 微:当てて、結婚してからもファンに手を出すやついるからな。そのレベルか?
 苦:ヘンリ8世ですが、1491年にヘンリ7世とエリザベス王妃の次男として誕生しました。兄はアーサーで、名前にもテューダー家がウェールズのケルト系であることが色濃く表れています。
 微:確か晩年にはアイルランド王にもなってたよな。それと父親の代からウェールズのイングランド統合がテューダー家の課題だったし。
 苦:百年戦争で負けたとはいえ、フランス王位も要求しています。実際、1544年には皇帝カール5世と同盟してフランスを攻めています。
 微:それで、メアリ1世の時に突然「大陸最後の拠点カレーを喪失」と出てくるのか。
 苦:まあ、支配者としては有能だったのは間違いないでしょう。ただその有能さを発揮するにはイングランドは小さすぎた、あるいは貧しかったとも言えます。
 微:カール5世の息子があのスペインを破産させたフェリペ2世だということを思うと、まあ、女性を含めてほぼ国内で暴れただけ、マシか。
 苦:一応、ヘンリ8世はイングランド王室史上最高のインテリであるとされ、ラテン語、スペイン語、フランス語を理解し、舞踏、馬上槍試合などスポーツにおいても優れた才能を発揮しました。
 微:こいつが歴代トップって、イギリス王室どれだけレベルが低いんだよ。
 苦:岸一族最大のバカよりいいでしょ、一族東大卒の中で一人だけ成蹊大ですから。
 微:詐病男ね。
 苦:その妖怪というか怪人みたいな言い方やめろよ! そいでヘンリ8世は音楽にも造詣が深く、合唱曲“Pastime with Good Company”も彼の作曲と言われています。
 微:その神童が、なぜ色の道に入ったんだ? せめてお前みたいに色物の道ならよかったのになあ。
 苦:キミには負けます。そのためには、1453年に敗北に終わったフランスとの百年戦争に遡らないといけません。
 微:ああ、土俵際で「うっちゃり」を食らったような負け方ね。
 苦:逆転負けな上に貴族の本拠地を失ったもんで、その責任問題を巡って、イングランド貴族たちはランカスター派とヨーク派に分かれて争い、内乱=バラ戦争(1455~85年)が勃発します。
 微:昔の自民党は選挙で負けると必ず派閥抗争をやって、新しい首相を選んでいたよな。いや、あの頃の方が活力あったよ。2000年に小渕が意識不明になって以降は森元発菅行きだもんな。
 苦:バラ戦争により、イングランド名門貴族はほとんどが断絶します。テューダー家というのはケルト辺境のウェールズの君主の家系の末裔で、下級貴族に過ぎない存在でした。
 微:辺境薩摩の島津荘の地頭となって落ちぶれた藤原氏の末端みたいなもんですな。
 苦:しかしオーウェン・テューダーが、イングランド王ヘンリ5世の未亡人キャサリン・オブ・ヴァロワと結婚したことから大きく変わっていきます。
 微:あくまでフランス王家とのつながりだな。
 苦:彼女との間に生まれたエドマンドらの子供たちは一躍、国王ヘンリ6世の異父弟として、またフランス王家の血を引く者のとして上級貴族の一員となってしまったのです。
 微:彦根藩主十四男だった井伊直弼を上回る急上昇だな。まあ、ここも色の道だな。
 苦:変な日本史譬えはいいよ、もう! さらにエドマンドが、エドワード3世の四男の曾孫であるボーフォート家のマーガレット・ボーフォートと結婚してヘンリ、のちのヘンリ7世が生まれます。
 微:河合案里じゃないのか?
 苦:持参金1億5000万円ですかね、出所が怪しいけど。リッチモンド伯ヘンリ・テューダーは母方の血統によりランカスター朝に代わる王位継承権者となります。
 微:しかし、逆にフランスに吸収されるかも、って考えなかったのかね。
 苦:1485年にヘンリ・テューダーはボズワースの戦いで対抗馬のリチャード3世を破ってヘンリ7世として即位し、テューダー朝を開きました。
 微:ここまでくると、王位継承業界の「わらしべ長者」というかロト6だな。
 苦:当時のイングランドというのは、ヨーロッパの西北辺境のど田舎の貧しい国で、テューダー朝もできたての三流貴族の王家でした。
 微:ほとんど「血液ドーピング」だな。しかし、ヨーロッパは競走馬以上に血統で決まる。
 苦:ヘンリ7世は生き残っている大貴族たちのご機嫌を伺いながらも、彼らを抑圧して絶対王政を推進し、カボットの北米探検に出資するなど海外進出にも積極的でした。
 微:指導力のない社長に限って、新しいことをしようとして滑るんだよな。ないしは就任から1年間はやたら張り切る。そして予想通り失敗すると、知らぬ顔をし、そのうちに不祥事で退陣。
 苦:それはマクドとベネッセを破壊した原田ですか? それとも元大阪府知事か? まあ、いいよ。
 苦:兄は王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)のアーサー、姉はスコットランド王ジェームズ4世に嫁いだマーガレット、妹はフランス王ルイ12世に嫁いだメアリという布陣です。
 微:ヘタしたらまたもイギリスとフランスが合体しかねない凄まじい政略結婚だな。
 苦:そして将来のイングランド国王アーサーの妃として、なんとアラゴン王国継承者カザリン、英語名キャサリン・オブ・アラゴンが決まったのです。
 微:喜ぶべき話だろうが、これも逆にスペインに吸収されるリスクは考慮したのか? イングランドもイベリア半島もサリカ法典外だから女王ありなんだし。
 苦:もちろん両親は1479年に結婚したカスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世。まだメキシコ銀は届いていませんが、断ればスペイン艦隊に蹂躙されかねない結婚話です。
 微:姉がハプスブルク家をどついた、じゃない、嫁いだファナちゃんだったな。
 苦:ファナがカスティーリャ女王になったように、キャサリンは地中海王国アラゴン女王になれる権利を持っていました。しかし、アーサーはキャサリンとの結婚直後に急死します。
 微:スペインにとっては大打撃だな。ファナは狂気に陥り幽閉されるし。
 苦:しかも1501年当時、残っている男ヘンリはわずか10才のガキです。
 微:・・・これは二人に泣いてもらうしかないな。マクロンを顧問に呼ぼう。
 苦:彼女をスペインに送り返すなどという失礼なことは当時のテューダー家には不可能なので、父ヘンリ7世は残った息子ヘンリに「お前がキャサリンを引き取れ!」と命じました。
 微:麻雀の責任払いというか、奨学金の連帯保証人というか、かわいそうだな。
 苦:父の死によって1509年にヘンリ8世として即位し、その2ヶ月後に未だ喪中だったんですがキャサリンとの結婚式をあげたという変なスケジュールは父の強硬な遺言の結果なのです。
 微:きっつい遺言なだ、おい。8年間待ったキャサリンも凄いが。まあ、昔は嫁に行った姉が死ぬと、代わりに妹が姉の嫁ぎ先に行く風習が日本にもあったしな。クルド人は今でもそうだけど。
 苦:まあ、それでもキャサリン・オブ・アラゴンは1485年生まれなので、6才違いなだけなんだけどね。ペタジーニやマクロン級ではないです。
 微:ある意味羨ましい気がしてきた。しかし、どんなことでも兄貴と比べられるのって、嫌だよな。
 苦:それでもキャサリンは後のメアリ1世を産みます。しかし彼女の侍女としてブーリン家が差し出したアンにヘンリ8世は眼移りし、キャサリンとの結婚自体が教会法に反すると言い立てます。
 微:選挙で負けたトランプかよ!
 苦:そして1533年に離婚を強行し、キャサリンを幽閉します。
 微:
 苦:その年にアン・ブーリン(Anne Boleyn)と結婚、彼女との間に後のエリザベス1世が生まれますが、男子を生まなかったことを理由に1536年に離婚、この年にキャサリンも死んでいます。
 微:今のキャサリンさんは多産だけどね。劇的だけど、後世に戯曲化してもらうための深謀遠慮か?
 苦:そんなわけねえだろ! 今度はアンの侍女だったジェーン・シーモア(Jane Seymour)に目をつけたのです、ヘンリ8世は。
 微:宮廷内で「結婚相手」と書かれたバトンを使ってリレーでもしていたのかな?
 苦:そんな競走はないよ! ジェーンは結婚の翌年の1537年に待望の男子エドワードを生みますが、ジェーン自身も産褥熱で死亡します。
 微:これを見て厚生労働大臣が「産む機械」と発言したそうです。
 苦:父ヘンリ8世の死によってイングランド王に即位したエドワード6世ですが、病弱な体の原因は父から感染した先天性梅毒だったという説もあります。
 微:ヘンリ8世って、こいつ、どこからそんな病気をもらったんだ、おいおい。
 苦:4人目アン・オブ・クレーヴズと1540年に結婚しますが年内に離婚です。その原因は肖像画があまりにも美化されていたため、初対面時にヘンリ8世が激怒したことです。
 微:だから、デジカメ画像とフォトショップ修正には気をつけろと言っておいたのになあ、もう。
 苦:そんな技術はまだありませんし、キミの奥さんほど原形をとどめないような修正ではないはずです。5番目の妻キャサリン・ハワードはアン・ブーリンの従妹です。
 微:だんだんやる気がなくなってきているのがよくわかるよ。
 苦:1540年に結婚し、気に入らなくて1542年に離婚というか反逆罪で処刑です。最後のキャサリン・パー(Catherine Parr)とは1543年結婚し、彼女は殺されませんでした。
 微:よほど気に入ったのか?
 苦:1547年にヘンリ8世が先に死んだからです。彼女は学識も高く、メアリ、エドワード、エリザベスの教育係も務めた女性です。
 微:この6番目のキャサリンが子どもたちの対立を煽ったのかな。それともキャサリンはイングランド王室の「呪いの言葉」か?
 苦:まあ、聖書の登場人物から名前を選びますから、限りがあるんです。逆に言うと、キリスト教圏はキラキラネームの余地はないので、子どもが将来悩むこともありません。
 微:よし、なんちゃってプロテスタントのイギリス国教会に行こう。
 苦:はい、ヘンリ8世はルターの宗教改革を批判する「七秘蹟の擁護」を著した功績から、教皇レオ10世から「信仰の擁護者」の称号を授かるほどの熱心なカトリック信者でした。
 微:カトリックの松岡修造と呼ばれたそうです。
 苦:役に立たないよ! ですがキャサリン王妃との離婚およびアン・ブーリンとの再婚を巡る問題から次の教皇クレメンス7世と当然ながら対立します。
 微:こいつ、前にも登場したよな、ルネサンスのところで。
 苦:はい。ヘンリ8世の振る舞いは、単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑などもからみ、複雑な政治問題に発展していきます。
 微:上半身はスペインを重視したけど、下半身はそれ以上にアン・ブーリンを支持したわけだな。
 苦:ヘンリ8世は1527年から教皇に最初の妻キャサリンとの結婚の無効を認めるように願ったのですが、教皇の態度は変わりません。
 微:結婚も神の秘蹟だから被造物にすぎない人間が解除できない建前だもんな。
 苦:そこで1531年にはイングランドの聖職者たちに対し、王による裁判権の承認を迫ります。首長法というか国王至上法の提案ですね。
 微:オレの目には国王私情法としか映らないけどな。
 苦:ウィクリフの頃から、イングランド教会は教皇からの自立を主張してきた経緯もあり、1531年に聖職者たちはヘンリ8世がイングランド教会の首長であると認める決議を行いました。
 微:うーん、大阪では維新に、国政では自民につく公明党のような対応。
 苦:1532年にイングランド聖職者は自らの法的独立を放棄し、完全に王に従う旨を発表しました。
 微:反対したら何されるかわからないもんな。後先考えない王だし。
 苦:1533年には教皇上訴禁止法が制定され、カンタベリとヨークの大司教が教会裁治の権力を保持することになりました。そして国王至上法、一般には首長法が1534年に発令されたわけです。
 微:それで、宗教というか教義的にはどうなの?
 苦:今の女王エリザベス2世も「信仰の擁護者」という称号を使っています。これは飾りにすぎませんが、ヘンリ8世はカトリックの教義は守りました。
 微:じゃあ、なぜ宗教改革なんだ?
 苦:エドワード6世の時に儀式では英語訳された聖書を使うことになった点ですかね。それ以外は、ローマ教皇の介入を阻止したくらいで、変わっていません。
 微:一言で言うと、「だが、断る」か。
 苦:1559年のエリザベス1世の統一法も、国王によるイングランド教会への統制を洗練し、反プロテスタント的法令を廃止したものです。
 微:それでピューリタンがエキサイトするわけか。
 苦:聖書の解釈も時代に合わせてピューリタン的だったりルター派的だったりと柔軟です。
 微:ただ、戴冠式を荘厳にできるよう、カトリックの儀式は残したい。けどローマというか外野は口を挟むな、と。勉強したくないけど大学に行きたいと平気で言う高校生みたいだな。
 苦:それシャレになりませんよ、AO枠がどんどん増えるこの時代。
 微:まあ、いいじゃねえか。純粋凶暴なピューリタンの怖さを17世紀に思い知るんだから。
 苦:いや、拡散するからもっと怖いよ。

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