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世界史漫才再構築版54:太平天国編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 苦:今回は中国最後の宗教反乱である太平天国の乱、その指導者洪秀全(1814年~1864年)です。
 微:えっ、最後か? 1931年から1949年の毛沢東教徒の乱、1959年のチベット動乱、1978年から続く拝金教徒の乱はどうなるんだ?
 苦:やばいことを言うな! 前の方は中華人民共和国の成立で、後の方は鄧小平の復権と「改革・開放」政策だろが。こここがウイグルだったらお前は殺されているぞ。
 微:それより、次の反乱はどこだろうな? 香港は力ずくで押さえつけられたけど。となると、党内かな? もう期待で胸がワクワクしちゃって。
 苦:無視ね。さて、本題の洪秀全は宗教活動に入る前はひたすら科挙受験生でした。
 微:通信教育だけでは、やはり無理があったようです。
 苦:Z会とか進研ゼミかよ!! ですが、25歳の時の郷試で3度目の失敗をし、失望感から40日間病いで床に臥せます。
 微:メンタル弱すぎだな。そんなんだから科挙も失敗するんだよ。
 苦:いや、文化資本が少なすぎたんです、今の日本もそうです。でその時、謎の老人より破邪の剣を授かり、お前を現世の妖魔を取り除くべく派遣したと告げられたとの幻覚を見たそうです。
 微:その直前に林則徐が処分し忘れたアヘンを吸っていたのか?
 苦:アヘン戦争後は、アヘンは国内で普通に売られていましたから、そんな必要はありません。
 微:ま、要するにテンパッた4浪のおじさんが、自分が見た幻覚を後で宗教の形にしたと。
 苦:さて洪秀全は1843年春に郷試に4回目の挑戦をしますが、これも落第します。
 微:3年に一度だから10年に及ぶ受験勉強がムダだったんだな。人生、嫌になっただろう。
 苦:その直後に、宣教師からもらったプロテスタントの小冊子を読んんでキリスト教を知り、夢に現れた老人をヤハヴェと確信します。
 微:麻原彰晃こと松本智津夫と確信してたら、もっとすごかっただろうな。
 苦:洪秀全は孔孟の書を捨て、キリスト教へ改宗しますが、当然ながら『聖書』の学習経験はありません。
 微:東アジア名物の「キリスト教風味の新興宗教」路線だな。
 苦:洪秀全はキリスト教の教義を勝手に解釈した拝上帝教を説き、ヤハヴェを上帝と訳しました。
 微:みうらじゅんなら、間違いなく”マイ・キリスト教”って名付けるね、ゆるキャラも用意して。
 苦:本人の口癖まで真似しなくていいよ! とにかく、デタラメなキリスト教というか、キリスト教の味付けをした世直し運動みたいなものだったわけです。
 微:アジアでは多いよな、金にうるさいキリスト教風味の宗教。統一協会とか日本著作権協会とか。
 苦:最後のは独占禁止法を適用された営利団体だよ! 拝上帝教は入信すれば男女平等であり、男性は兄弟、女性は姉妹となり、ヤハヴェを天父、キリストを天兄と称しました。
 微:そしたらヤハヴェから送られてくる伝言は「天父メール」だな。ウイルス付いてそう。
 苦:ここまではいいんですが、洪秀全をキリストの弟、ヤハヴェの次子とし、人間界で神の意思を実行する者と位置づけたのです。
 微:オウム真理教そのものじゃねえか! じゃ、武装蜂起は『ポア』だな。で、どこでダライ=ラマとコンタクトを取ったんだ? VXガスとかは用意していたのか?
 苦:取ってないし、チベットは無関係です! さて、当時の広西省は貧しく、連年の災害で飢民で溢れていました。1844年から洪秀全は幹部の馮雲山とともに広西に移動して布教活動を行います。
 微:山梨県上九一色村だな。
 苦:平成の大合併で、名前は消えました。バス停には残ってますが。1847年に太平天国の前身組織拝上帝会を広西省桂平県金田村に創設し、その地での信徒を増やしていきました。
 微:最初はヨガのサークル「オウム神仙の会」として始めたんだな。
 苦:それもオウム! 拝上帝会の参加者は、炭焼き・貧農・鉱山労働者・客家などの低階層が中心でした。
 微:さすが、ハッカー集団以上に客家の本場!
 苦:それらの民衆を病調伏等の現世利益重視の布教で吸収していきました。単なる宗教的熱意や倫理を説くばかりでなく、現在の生活でのメリットを強調することで多くの信徒を獲得したのです。
 微:どこかの日蓮宗と絶縁された日蓮宗系団体みたいだな。
 苦:馮雲山はこのタイプの布教活動で約3千人の信徒を獲得しました。
 微:この頃に水中クンバカとか空中浮揚で出家者を大量に獲得して。
 苦:もうオウムはいいよ!! 組織の拡大は、公権力やその土地の有力者とのあつれきを生み、馮雲山をはじめとして拝上帝会幹部の逮捕が相次ぎます。
 微:「患部」の間違いだろ。
 苦:弾圧をきっかけに、洪秀全はそれまでの宗教活動から政治革命へと踏み出すことを決意したわけです。1850年、拝上帝会は金田村に集結して団営という軍事組織を結成します。
 微:それを日本語に直すとサティアンだな。
 苦:余計な喩えはいいよ!! 厳しく男女を分け、それぞれ男営・女営に入営させました。鵞鳥の鳴き声でカモフラージュしながら、鉄砲や大砲等の武器を密造し、革命の準備を進めたのです。
 微:ランドセル並みの威力しかなさそうだな。
 苦:担ぐんかよ!! そして1850年に本拠のある広西省桂平県金田村で反清蜂起を決行したのです。
 微:その様子を島田裕己先生が中継していたそうです。
 苦:オウムはもういいよ! それに島田先生は被害者だろ。1851年初、洪秀全は太平天国の建国を宣言し、天王を自称します。
 微:彼の邸宅を天王寺と呼んだそうです。
 苦:大阪の駅かよ!! 参加した信者は約1万人と推定されています。天国はキリスト教の楽園、太平は儒学の平和のことです。
 微:訳すとミルク金時みたいなネーミングなんだな。いや、カレー丼か?
 苦:変な譬えもいいよ! 反乱の方ですが、まず金田村から藤県を経て永安、現在の広西壮族自治区蒙山県を落としました。
 微:それより広東語すら通じたのか? コロンブスのスペイン領有宣言並みに怪しい。
 苦:藤県では、後述する後期太平天国を担う名将たちが参加しています。永安に半年の間滞在した太平天国は、ここで官制や官爵などを決め、国の体裁を整えます。
 微:オウムも防衛庁とか科学技術庁とか国家機構を整えていたよな。
 苦:この時に天王の下の五幹部は、東王に楊秀清、西王に蕭朝貴、南王に馮雲山、北王に韋昌輝、最後に翼王の石達開と決定しました。
 微:モナ王とか、東大王とかのポストを作らないとメディアに取り上げられないぞ。
 苦:この中の楊秀清はヤハウェの託を受けられる別格扱いで、キリストの託宣を受けられると称した洪秀全の発言力は皮肉にも減っていったのです。
 微:オウム真理教で言う所のホーリーネームを授けられた幹部、平田信・高橋克也・菊地直子・村井秀夫・早川紀代秀たちだな。
 苦:称号だよ! そして中国の宗教反乱・農民反乱の怖さというか安易さを教えてくれるのが、太平天国の膨張です。
 微:イースト菌もカルメラ焼きも敵わなかったそうです。
 苦:清朝正規軍との激戦で5000人までに減少した太平天国軍は、南京を陥落させた時には、20万以上の兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至っていました。
 微:在家信者を動員したのか? それとも派遣切りに会った失業者を集めたのか?」
 苦:まず背景としてアヘン戦争以後の戦費調達や敗戦後の損害賠償を支払うために、清朝は法で定める何倍もの税を特に東南沿海部の地方から徴収していました。
 微:困った時の海関収入と臨時課税、地方官による裏課税だな。
 苦:しかも賠償は銀決済だったので「銀貴銭賤」現象も発生しました。
 微:KINKI Kidsはこの頃からアイドルだったんか、いやすごいな。
 苦:耳の調子がおかしいぞ。さらに清朝は各省に負担を押しつけていたため、負担の地域差はすさまじく、不満を覚えた庶民が大挙して太平天国軍へ参加したことが急な膨張の要因の一つです。
 微:まさに年越し派遣村だな。ということは、浜松市までの交通費は支給されたのか。
 苦:それは2008年末の静岡の市町村の福祉課だよ。また南京条約によって広州を起点とする物流ルートが混乱し、貨物輸送従事者の多くが失業して匪賊化していました。
 微:この時失業した船乗りたちがソマリアで海賊しています。
 苦:デタラメもいい加減にしろ! さらにアヘン戦争時の臨時募集兵が失業して、これまた匪賊化し、太平天国軍に「再就職」したんです。
 微:実は日雇い派遣で、しかも1864年に契約が切れたんで太平天国は崩壊するわけだな。
 苦:グウドウィルもキヤノンもないよ! 太平天国軍の性格は通常の流賊とは大きく異なり、軍内の規律は厳正で高いモラルを有していました。
 微:「聖域なき構造改革」や意識高い系の介護施設と同じで、どうせ最初だけだろ?
 苦:少なくとも天京建都まではその傾向が強かったのです。
 微:どの宗教団体も歩む道だな。そのうち、ゴーストライターが月1冊ペースで本を出すぞ。
 苦:遂に太平天国は1853年に南京を占拠して「天京」と改称し、首都に定めました。
 微:ゆるキャラの「てんとくん」が不人気で、そこからケチがつき始めたそうです。
 苦:「まんとくん」もいませんから。国家としてのしくみは、洪秀全が朝政を司り、軍事権は東王楊秀清が握る分業体制です。
 微:ヤハヴェの声が聞こえる楊秀清が軍事権を握ったら、関東軍以上に統制が効かないだろ。
 苦:キリスト教国家のふりをするだけで手一杯です。太平天国も初期はキリスト教に忠実であろうと務めますが、統治のためには中国社会との妥協は不可欠でした。
 微:マテオ・リッチやアダム・シャールの霊まで召還したそうです。
 苦:古すぎです!! 三位一体論を改変したり、太平天国に都合良く改訂した六経が流布することも認めるますが、やはり洪秀全と楊秀清の溝が深まっていきます。
 微:麻原逮捕後の上祐と麻原の奥さんみたいなもんだな。
 苦:洪秀全は、楊秀清に対して同じように不満を募らせている北王韋昌輝、翼王石達開、燕王秦日綱と協力し、1856年9月の天京事変で楊秀清ら3人を粛清しました。
 微:この辺りは毛沢東的だな、ピンチを悪用して権力掌握と。
 苦:次いで石達開と洪秀全・洪仁発・洪仁達3兄弟の対立が深まり、石達開は大軍を率いて洪秀全の指揮を離脱します。
 微:その意味で「文武両道」は必要だな。しかし、洪秀全の「文」も怪しいが。
 苦:一連の政変で太平天国の実権を掌握した洪秀全ですが、これ以降その勢力は急速に衰え、1864年3月には天京が包囲されます。食料不足の中、洪秀全は発病し、6月1日に病没しました。
 微:その時、高級メロンを大事に抱えていたんだよな。
 苦:無視無視。太平天国の乱が持つ社会革命的性格の一つとして纏足の禁止があります。
 微:それは金持ちの変態趣味だろ。
 苦:実際には関係ありませんでした。元々客家出身が多い太平天国では纏足の習慣がなかった上に、兵站において女性が重要な役割を担っていたことがその理由です。
 微:ジェンダー平等のように見えるけど、重労働を押しつけたわけで、まさに日本の総合職の原点!
 苦:他に売春の禁止、女性専用科挙も実施されましたが、実際には女科挙合格者は重用されませんでした。
 微:二階というか森元並みの「絵に描いた餅」だな。
 苦:清朝との戦争も続いていたので、太平天国の社会編成は兵農一致が原則でした。男女は夫婦でも別々の集団に分けられました。
 微:戦場が逢瀬の場だったんで、圧勝しているうちは士気が高かったそうです。
 苦:延安の共産党かよ!! ただ天王以下首脳部は例外で、庶民には一夫一婦制を求めながら、旧約聖書における一夫多妻を理由に多数の妻女をもっていました。
 微:ここからユタ州のモルモン教かよ!
 苦:そして目玉とも言える天朝田畝制度です。
 微:日本だとチェーン店の「名ばかり店長」みたいに、一切の職務命令権限がないようなやつだな。
 苦:これは古代からの井田法や均田制などの国家的土地所有の変種とも、毛沢東が導入した人民公社の原型とも言えます。
 微:人民公社って、武者小路実篤の美しき村がヒントだったんだな。まさに美しい幻想。
 苦:イメージでは、田畝で誰もが耕し、収穫物は皆で分け合い、豊かな衣食を手に入れる中国的農村ユートピアです。
 微:辺鄙な農村出身者からすると、他人の不幸が最大の娯楽だから、無理だよ。
 苦:それは日中で変わりはないでしょうね。土地平均主義を全面に押し出したこの制度は大土地所有が進行していた清朝において、強烈な印象を与え、その思想的意義は無視できません。
 微:孫文の「平均地権」もやはりこの「農村ユートピア」の流れだろうな。
 苦:しかし実際には民衆にほとんど知られることもなく、施行もされなかったと考えられています。しかし、反乱の母体が昔から定住していた農民から嫌われた客家が母体ですから。
 微:うーむ、歴史は失業者と不況時に生まれる宗教とを放置するのは良くないと教えてくれてるわけだ。
 苦:でもキミのような自発的失業者は失業者じゃないけどな。(チャンチャン)

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