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体育座りで一晩過ごすんだ、携帯も何も見ないで

具合の悪さで喉を通るものに異物感を感じるようになってから大体九日が経った。味覚も嗅覚もない今、料理をすることが習慣的な儀式のようなモノになっていて、ただ栄養を取るためだけならサプリメントの方がよっぽど今の身体にはあってるように感じた。癖で味見をする度に、今の自分には不必要な行為だと気付かされげんなりする。

6畳のワンルームも大分散らかってきた。必要な栄養素だけを接種し寝込む生活が思っていたよりもほんの少しだけ長引いているからか、自身が植物のような存在になってしまったと錯覚する。熱は下がったものの身体のだるさから布団の上に根を張って、今日も小さい画面の光を浴びて過ごしていた。基本的にこの9日間の生活はこんな感じだった。布団の上で寝て過ごすか、スマホやタブレットでどうでもいい時間を過ごすか、栄養を摂取するか。
むくりと立ち上がって、台所に水を飲みに行く。水は、味覚や嗅覚がなくなっても変わらずに美味しいと思える。だからか、水を飲んでる時だけは安心して過ごせているように感じた。そういえば前に付き合っていた彼女が、夜に植物に水をやると「トチョウ」すると言っていた。意味もわからず聞き流していたけれど、忙しい時期に仕方なく夜に水を上げる恋人に「トチョウしちゃうよ」と徒らに言っていたことをなんとなく思い出した。

今日も、小さい画面の光を浴びて過ごして、水を飲んで安心し、料理という儀式を二度ほど行い、部屋を暗くして眠りにつこうとした。今は具合が悪いから仕方がない。流行りの病だ、外に出ることは控えるように言われている。誰かに会う事もない、ただ時間が過ぎていくのを待つだけだ。俺が悪いわけではない、仕方がない事なんだ。

急に寂しくなった。理由は考えれば考えるほど出てくる。一つは、この9日間の生活で誰にも会うことがなかった事。誰かに会えなかったからと言うのが理由ではなく、誰にも会う事のない生活によって自身の未来を想像してしまったからだ。このまま恋人も作らず、こんな狭い部屋で1人過ごすのを耐えれる気がしなかった。
一つは、九日間で体調の悪さを言い訳に何もしなかった事だ。わかりきってるが一人の人生においては時間は有限で、それを理解できているにも関わらず何もしなかった。いや、何かする気になれなかった事が寂しいのだ。中学生の頃は風邪をひいたら寝ながらでもゲームやプラモに没頭したものだ。そう言うものも、もう自分にはないのかもしれない気がして、それで寂しくなった。

今晩は誤魔化すために寝てはいけないと感じた。ちょっとした抵抗だ。日記でも書いてみるかと、noteを開くもあまり上手い事を書けるわけでもなかった。もどかしさに向きあって1時間くらい経っているが、集中力が無いからか喉も乾いてもいないのに2杯も水を飲んだ。「トチョウしちゃうよ」って自分で言ってみたりした。もう一杯水を飲んだ。

大人になったら寂しくならないんだと勝手に思ってたけれど、そんな事は全然なかった。少しだけ慣れて、寝るか酒を飲むかで紛らわせて過ごすのに上手くなるだけだった。昔の自分はどうやって過ごしていたかなって思い出してみると、ただただベッドの上でいろんな事を想像しながら寂しい気持ちが過ぎるのを待っていたように思えた。
だから今晩は、体育座りで一晩過ごすんだ、携帯も何も見ないで。

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